「ねえ、トワ。さっき言ってた、魔術とそれを行使する人間の関係は、エンゲージのうえ
で成りたってるようなものだっていうのはどういうこと?」
甘さと苦さの混じった香りに包まれる、宿のこの一室。彼らは、長くなると思われる話
をする前にと、紅茶を用意して、部屋に備えつけられていたテーブルの席に着いていた。
初めのレオンの問いかけに、トワと呼ばれた彼女が答える。
「魔法は、術者の精神から発せられ、使用できる術は個人の特性によるといわれてます。
もちろんそれも間違いではありませんが、自分以外の、外の力に働きかけて発することも
可能なのです」
そう述べられると、まるで要領を得ないといったふうに首をかしげるレオン。トワは、
そんな彼の様子を感じ取り、唐突に次のことを確かめる。
「雨が降る仕組みをご存知ですか」
「太陽の熱で暖まった海と川の水が、水蒸気となって空にのぼって、溜まってきたら雨と
して降ってくるんでしょ」
トワは、一度うなずくと、
「雨を降らせる術も、天に属するとされてますが、もとは地上、海と川のものに類すると
もいえます」
「なるほど。それで婚約の意味を冠するエンゲージというわけか」
そう納得の意を示したのはアレクだ。彼は、湯気のたつ紅茶を口にすると、続けざまに、
「異なるもの同士というものは、案外と引きつけあう関係で、それらが掛け合わさると、
なんらかの現象が起こる。雨の場合は、天と地上、熱気と冷気が織りなしたものであると
いうことだな。それで、魔術とそれを行使する人間の関係にもいえることだと」
結婚する男女の性格が正反対であることが多いというのもそういうことかと、ひとりご
ちるアレク。
「もしかして、火の魔物のくせに氷の魔術を発したのって、そのエンゲージっていうもの
のせい?」
「ええ。魔術を行使するということは乞うということでもありますから、自身の性質とま
ったく異なる属性のものを求める傾向はあります」
そう、ある意味では恋でもあるかもしれないと。
「自身の精神から発するものよりは、外の力に働きかけるエンゲージ型のほうが、負担は
半分ほどで済むんですよ」
あくまで世間話でもするかのような調子を崩さないまま語る彼女。首をかしげたり見す
えたりしながら、次の言葉を待つレオンとアレク。
「術を発するために必要なエネルギーを、自身の内側と、その外側とで、二手に分かれて
発してるからなんです」
やはり要領を得ないといったふうに首をかしげるレオンに、次のたとえを持ち出すトワ。
「それぞれが持ち寄った、別の料理のメニューを、半分ずつに分けるようなものです。食
事することによる、消費の労力が半減されるということです」
「あ、それなら分かるよ。なんとなくだけど」
「それに、眠っている合間であっても術が途切れないので、その点は有利だといえますね」
トワは、そこまで語ると一息つく。それはため息のようでもある。術者である彼女が眠
っている合間にも降っていた雨。当の彼女にとって、あの術は人々をだます協力を呼びか
けたようなものでもあるため、気が引けているのだろう。
「それで、あのナイトメアというやつが氷の柱を打ってきた理由は分かったが、火の魔物
でありながら水に強くて、火に弱いのはなぜだ」
アレクがそうたずねると、トワはすぐさま気を持ち直して、
「それも先ほどの料理のたとえで説明が付きます。この場合は、自分で作ったものよりは、
人が作ったもののほうがおいしく感じられるといったところでしょうか」
火の属性を持ちながら、水による損害をあまり受けないのは、こういうことであるらし
い。
「なにごとも、バランスの取れた状態が最も良いということですね。冷たすぎても熱すぎ
ても、とても生きてられませんから」
そして、火の属性によって痛手を負ったのはそういうことであるのだと。
「へえ。僕なんて、暑いときにでも熱い飲み物でもいいけど、確かに寒いときに冷たいも
のは飲みたくないね」
レオンは、そう言って熱い紅茶を飲み干す。
「わたしは逆に、寒いときに冷たいものも飲めますし、本当にのどが渇いてるときにはそ
ちらのほうがいいですよ」
そして、トワは、ほとんど飲んでいない紅茶のカップを手に持ったままそう言った。
「わたしも、寒がるほうでもなく、ずぶぬれでも気にならないほうですが、火はこわいと
思います。ナイトメアの弱点の見当がついたのは、事情は似通っていたからでもあるんで
す」
「そうだったんだ」
「ですから、神事で火を扱うことができなくて、わたしひとりが落ちこぼれたぐらいなん
です」
そう言ったとき、トワは先ほどからの調子を崩して、照れ笑いの表情を浮かべた。レオ
ンも、呼応するかのようにほほえむ。
「神事ということは、カーナルに関係した仕事というわけか。言われてみれば、その格好
は、尼僧服をかたどった巫女服のように見える」
「確かにそうなんですが、その、落ちこぼれたせいで破門状態にあるので、一般の方々と
なんの変わりもないですよ。今はただの旅の身です」
「ふむ。その程度で破門とは、カーナル神をまつってるひざもとにしては器量が狭いな。
程度はどうであれ、追放するなどと考える時点でそうなんだろうが」
なにげなくそう述べるアレクに、トワは困ったように笑う。
「そういえばさ」
ぽんと手を打つかのように切り出すレオンに、即座に彼のほうを向くトワとアレク。
「トワって、ひと月ほど前に、王都の近くにいなかった? ほら、あの雨が降っていた日
に」
レオンはまるで遠い昔を追懐するかのように思い起こす、雨の降りしきるなかであって
も輝きを放っているように見えた、彼女の姿を。
トワは、話がのみこめないといったように目をしばたかせたが、すぐに合点がいったと
いうふうに答える。
「そのぐらい前なら確かそこへ行きましたね。視界は良好とはいえなかったので、すぐに
引きあげましたが」
「ああ、やっぱりあれは確かにトワで、幻じゃなかったんだ。だったら、最初の対面はあ
のときがよかったなあ」
感激であるとも、残念であるともとれる調子のレオン。
「声を掛けようとしたんだけど、遠くのほうからすっかり見とれていて、タイミングがつ
かめなかったんだ。そのとき、いきなり吹き荒れた風に視界が覆われたりしてさ、気が付
いたときには、君の姿はもう見えなくなってた」
ふうっと息をついて、二杯目の紅茶をカップに注ぎながら。
「ところで、記憶を失ってる様子はなさそうだが、俺たちが出会ったいきさつも覚えてる
か?」
そろそろ紅茶の熱が去っていこうとする頃。ふとアレクがそう問いかける。
「ええ。操られてたので意識はなかったのですが、記憶としては残ってます。あのときは、
とんでもないことをしてしまったうえに手間を掛けさせてしまって申し訳ありません」
「トワのせいじゃないんだし、正気に戻ってくれたならいいよ。僕たちも乱暴にしてしま
ったことだし。それより、君を操ってたやつに心当たりはない?」
かく言うレオンは、のんきに構えていながら、どことなく果敢な調子である。
「残念ながら、術者の姿を見てないので、だれがとまでは……」
やはりそう簡単には見つからないかと、肩を落とすレオン。
「術者のねらいの見当はつくか? 標的は無差別だったのか、それとも俺たちだったのか」
「ほかの人に襲い掛かる様子もなかったですし、橋の上で待ち構えてたのは、あなたがた
のことだけだったようです」
「だということは、ねらいは俺たちか。それで、レオンと俺の両方を知ってるということ
は、セルヴァールにいただれかか。かなりの群集だったし、特定は難しそうだな」
トワが、自身の両腕を抱きかかえるようにして、
「あの……、確証はありませんが、本当のねらいはレオンを捕らえることであると思えま
した。その目的までは分かりませんが……」
「ええ!?」
おどろきのあまり、ぱっと顔を上げるレオン。
「トワを操ってレオンを捕らえるだと? ますます術者の意図が分からんな」
レオンは、顔面蒼白となりながら思考をめぐらせる。もしかすると、レオン・フォール
イゼンが王子であることを知っている者の犯行ではないか。いや、顔出しはしていないの
だから、そのことは城に勤めている者たちしか知らないはずである。そもそも、なぜ今に
なってねらってくるのか。
「ああもう、考えても分からないよ。とにかく、逆にそいつを捕まえて聞き出してやる」
自身に害をなそうとしたばかりか、人を操ることで遂行しようなどと考えた者へのいか
りが尽きないようである。かいらいとなったのが、奇妙な偶然にもトワであったこと。そ
れがさらに彼をかきたてるのだろう。
「確かに、推測だけで物事を考えても埒があかない。図らずとも、いずれその術者とやら
にも会うことになるだろう。それまでの辛抱だな」
アレクが、腕を組むと、いすの背にもたれ掛かり、そう締めくくる。トワは、まだなに
か気掛かりに思うことがある様子ではあったが。
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