+. Page 016 | 動き出す運命 .+
「トワのことはだいたい分かった。しかしまだ肝心な疑問が残ってる」
 彼らだけのささやかな茶会もそろそろ終わろうとしていたとき、さらにそう持ち出した
のはアレクだ。
「ナイトメアとかいったな。なぜあんなものが出現したんだ。それも、おとぎ話でしかな
いはずの、魔物のようなものが」
「おとぎ話だとされてる世界や生き物は、この世界とは別の世界でありながら重なり合っ
て存在してるものなんです」
 にわかには信じがたいことを、あっさりと告げるトワ。
 世界は幾層にも重なっている。人や物などの姿かたちを構成している、その型は同じだ
が、多少の見えかたが違ってくるという説。この世界アルテュルナでも、そう唱えている
者たちはいるが、それほど浸透しているわけではない。書物に多少のなじみがある者たち
にとっても珍しい話ではないが、やはりほとんどの者にとってはおとぎ話でしかない。
 想像しうることは起こりえる。言い換えると、ありえないことは想像できないというこ
とだと。そう説明した後も、レオンとアレクは、疑問をはさむでもなく、ただ次の言葉を
待っている。
 もともと疑るということを知らないのか、実際に見たため、信じないわけにはいかない
のか。どちらにせよ、話が早いという安心もあり、トワは話を続ける。
「おそらく、この世界と、魔物が実在する世界の一部が結合されたのでしょう。そのため、
ナイトメアがこの世に現れるかたちとなったんです」
「ふむ。そのようなことが起こっていたら、まったく語り継がれずにいるというのは無理
があるだろうし、事例はなかったと見ていいだろう。なぜ今このときなんだ」
「そこはわたしにも見当が付きません。ただ……」
 トワは、そこまで言って息継ぎをすると、
「ナイトメアというのは悪夢という意味で、夢のなかに現れて恐怖させる悪魔だともいわ
れてます」
 そう告げられると、レオンとアレクは目を丸くする。
「その名のとおり魔物のかたちをとって襲い掛かってくるということもありますが、どち
らかというと現象によって恐怖させるということのほうが多いですね。分かりやすいとこ
ろでいうと、業火に覆われるとか。先ほど現実でも起こったとおりです。とにかく、この
ままでは、この世界が徐々に侵食されていくおそれが……」
「ああっ!」
 トワが語っている途中で、レオンが声をあげながら立ち上がる。トワとアレクも、目を
丸くして彼のほうを向く。
「夢……、僕が見たあの夢ってもしかして……」
「のどかな村が、いきなり火の海に覆われたというあれか。しかし、夢魔の仕業でなくと
も、夢に見る場面としては、それほど度外れなものではなさそうだが」
「それだけじゃなくて。火の海のなかで引き裂かれるカップルのほう」
「ああ。確か、そんな男女もいたと言ってたな」
「現実にもいたんだよ。僕が町なかを歩いてるときに、教会で結婚式を挙げてたカップル
が」
「おい、それってまさか」
「もしかすると、そのカップルも、レオンが夢で見た彼らと同じ目に遭ってるかもしれな
いということですね」
 事情を察したトワが、不意に立ち上がり、アレクの言葉を引きとるかたちで確かめると、
間を置かずして、凛とした表情で促す。
「可能性は否定できません。教会に行って確かめましょう」

 雨上がりのフレンジリアは曇り空であるため、星は映っていない。辺りを照らしている
ものといえば、辛うじて難を逃れて点在している、おぼろげにあかりを発している街灯の
みである。夜間に差し掛かっていることも相まってか、建物までも灰に染まっているよう
に見える。
 実際に、建物には焼け焦げた跡が残っていた。魔術の炎によるものであったことが幸い
して、原形はとどめられている。さすがに、道ばたに飾られていた花などは炭となって散
ってしまったが。
 町なかにいる人々はというと、空や建物と同じぐらい、いや、それ以上に暗い形相であ
る。どうにか歩みを進めている者や、その場に座りこんでいる者、身を寄せ合う家族や友
人、恋人同士などさまざまであるが、そのだれもが憔悴しきっているというのは、暗がり
のなかでもよくわかるほどである。
 そんななか、駆け足でどこかに向かっている三人の姿。その先にあるのは教会だ。
 教会の前では、神父が、暗い空を見あげ、祈るようにして立っている。彼の表情からも
哀感がうかがえ、ふとした拍子に崩れ落ちそうなほどである。もちろんこの場でも、おぼ
ろげなあかりの街灯でしか辺りをうかがい知ることができないのではあるが。
「神父さーん」
 ここよりやや遠くのほうから聞こえてきた、やや高めの、青年の呼び声。先ほどから走
ってきていた三人のうちひとり、レオンである。
「おや、君たちは……。それに、なんと、おお、お嬢さん。どうやら目を覚まされたよう
ですね」
 神父は、彼らの姿に気がつくと、ぱっと、あかりがともったかのように向き直って応じ
た。
「はい。ご心配をおかけしたようですね。ありがとうございます。ご覧のとおりもう大丈
夫です」
「それはよかった。君たちも無事なようでなによりだ」
 そして、かく言う神父の表情は、先ほどまでのうれいがうそであったかのように、徐々
に明るんできた。
「それで、ちょっと聞きたいことがあるんだ。今日ここで結婚式を挙げていた新婚のふた
りは無事でいるかな」
「おふたりとも、多少のけがはされておりましたが、命に別状はございません。今はここ
の控え室で休んでおられます」
 そう聞いたレオンは、ほっと胸をなで下ろす。どうやら、あの悪夢が現実に反映される
事態は起こらずに済んだようだ。
「そういえば、ほかにも大勢のけが人がいたはずだが、今このなかにいるのか」
 続いてアレクがそう問いかけると、神父は、悲痛の表情を浮かべた顔をうつむけて答え
る。
「ええ。現在、看護を担当してる者たちが、彼らの応急処置に当たっております。なにぶ
ん、それほど広い教会ではないため、皆様にはご不便をおかけしておりますが」
 教会の窓からはかすかなあかりが漏れており、悶絶としたざわめきの声が聞こえてくる。
「これから先しばらくは、人々の心は混乱に満ち、今までのような安寧は訪れないでしょ
うね」
 ぽつりと、表情に再びうれいの色を浮かべて推し量る神父。
「時代の節目なんでしょうね。なにが終わり、なにが始まるのかは知れませんが」
 彼らのたたずんでいる辺りを、ひゅうひゅうと吹き抜ける風。流れにさらわれるかのよ
うに、神父が再び空を見あげる。レオンたちも、それにならうかたちで、そこに顔を向け
る。
 雲間からは、青白い満月が半分その姿をさらしていた。
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