町を襲う火の海は、いっそのこと煌々としてみえるぐらいにあやしい光を放っていた。
　おおかたの者は逃げ終えたようで、人通りも少なくなってきた頃。逃げているふうでは
なく、どこかに向かっている様子の彼。しばらく走ったところで、
「――レオン！」
　彼の名を呼ぶ者の声。
「あ、アレク。よかった。今、そっちに行こうとしてたんだ」
　声のぬしの姿を確認すると立ちどまり、両手をひざにつけて息を整えるレオン。
「無事だったようだな」
　アレクも、ほっと一息ついて確認する。
「ええと、あの子は……？」
「安心しろ。宿屋の主人が、町の外まで運んでくれた。腕の立つやつも護衛についていた
から大丈夫だろう。ところで――」
　そこまで言いかけて、赤く染まった空のかなたに目をやるアレク。
「どうやらあれは、目の錯覚ではないようだな」
　その向こう側に浮かびあがっている、なにか魔物のようなものをかたどった影。町の中
心に向かって迫ってきているようである。
「これもあいつの仕業なのかな」
「とにかく、あのままにしておくとまずいだろうな。しとめに行ってくる」
　アレクは、そう言って、即座に影のほうに向かっていく。
「待って、僕も……！」

　町の中央にひらけた広場では、それほど取り乱していない者、もしくは、気がたかぶっ
たあまりに戦意にかられた者たちが、得体のしれない魔物に応戦していた。
　戦況は、力がつきて倒れている者と、どうにか立っている者が半々ぐらいであり、魔物
のほうはまるで衰えが見うけられない。武器での攻撃はほとんど通っておらず、大魔法で
さえ、まったくといっていいほど効果がない。
　そんななか、間もなくしてレオンとアレクが到着した。
「ねえ。あいつ、アレクの剣の技でどうにか切り伏せられない？」
「あんな未知のもの相手だとわからんな。それに、実体を持っているという感じがいまい
ちしない。もしかすると、物体というよりは精神的なものかもしれん」
「ということは、魔術のほうが効果がありそうかな」
「ああ。だが、どちらにしても、俺は、お前やほかのやつらには近づけないようにしてお
く。その間にたのむぞ」
　アレクが剣を抜いて、敵に向かって駆けだしたのとほぼ同時。レオンの身体の周囲には、
冷気をまとった光が舞う。水の属性を持った魔法を唱えている。火による猛攻を仕掛けて
くる相手には、水で対抗するのが常套であろう。
　レオンが詠唱を終えると、彼の周囲を埋めつくすかのような水流が発生した。しかしな
がら、魔物に攻撃がとおっていないことはおろか、辺りの火を消す役目も果たしていない。
　すると、レオンとアレクに呼びかける声がする。
「お前たち、早く逃げろ。そいつは、武器による攻撃も魔法もほとんど効かない。それば
かりか、この火は水を掛けても消えないんだ」
「だからって、このままにしておいたら大変なことになるでしょ」
　レオンがそう言って気を取り直し、再び水の魔法の詠唱に入ったそのとき。音もなく、
幾本かの氷の矢が、レオンへと襲い掛かる。突然のことで、というよりも、あまりにも予
想できる範囲を逸脱していたためか、彼の反応は遅れた。
　なぜ、火の属性に特化しているはずの魔物から、氷の術を発したのだろうか。いや、発
せられたというよりは、どこからか呼び寄せられたかのような印象だ。そう考えをめぐら
せていた合間にも、攻撃をよけることはできなかった。
　氷の矢による攻撃を受けたレオンは、命中した箇所を手で押さえた状態で、後ろによろ
めく。魔術による攻撃であるため、致命傷ではないが、幾度か受けると命にかかわるだろ
う。
　再び、レオンに向かって飛んでくる氷の矢。今度はよけることができたが、これでは、
彼が再び詠唱するすきがない。
　アレクが放つ剣の技では、痛手を負わすことはできているが、活動を停止させるまでに
はいたらない。そのうえ、この場で戦っていた者たちも、すでにほとんどが動けない状態
である。
　アレクの顔にも、疲労の色が浮かぶ。彼とて、どれほどの技量があっても、体力が底な
しにあるわけではない。
　完全に打つ手がなく、あわやと思われたそのとき、
「――水の属性の魔法ではほとんど効果がありません。火の術を唱えてください」
　とどろくような業火のなかでは、およそ不釣合いな、凛と澄んだような声。
　レオンが振り返った先には、まだ眠っていたはずの、白を基調とした衣に身を包んだ、
あの少女がいた。その姿も、辺りの光景には似つかわしくない、どことなくきらびやかさ
のうかがえるたたずまいだ。
　ぼんやりとした面持ちで、彼女を見つめるレオン。そんな合間にも、魔物の攻撃は容赦
なく続く。彼がはっと気がついたときには、近くまで迫っていて、よける余裕すらない。
　しかし、レオンに攻撃は命中することなく、彼の目前でとまり、消えていった。とっさ
に彼女が、魔術で練成した防御壁を展開したのだ。
　そして、彼女は、レオンのもとに歩いてきながら、
「信じられないのはわかりますが、説明している時間がありません。とにかく火の術を唱
えてください、お願いします」
　口調は凛としているふうではあるが、どちらかというと張りつめているといった様子で
ある。
「――わかった」
　もとから疑ってはいないというように、力づよくうなずくレオン。
「でも、火の魔法を放ったとして、これ以上に燃え広がって大丈夫かな？」
「この火は魔術によるものです。術者、つまりあのナイトメアの動きをとめれば解除され
ます」
　そう告げられると、レオンは早速、火の魔法を起こす詠唱に入る。彼のはなったそれが、
ナイトメアと呼ばれた魔物を取り囲んだ。
　すると、それなりに打撃を与えることができた。
「やった！　これを何度か続ければ勝てそう。ねえ、アレク。もうしばらく足どめしても
らってていいかな」
「ああ、まだやれる。こっちのことは気にせず攻撃を続けろ」
　そうして、火の魔法による攻撃を繰り返すレオン。しかしながら、彼の精神力も底なし
ではなく、敵の動きをとめるその前に尽きることとてありうる。ここでいう魔法というも
のは、人の念をかたちにしたものであるのだ。
　そんなとき、レオンの身体の周りを、白く、柔らかい光のようなものが包みこむ。
「あれ、なんだか元気が戻ってきたような気がする」
　それは、彼女が、精神力を転写する魔法をレオンに施したしるしであった。
「これ以上の力を送ることは難しいですが、使いきる前にはきっと動きをとめることがで
きます。どうかよろしくお願いします」
　レオンは、彼女の言葉にうなずくと、全速力で応戦するようにして魔法を唱えつづけて
いった。
　やがて、レオンの精神力も尽きようとしていた、そのちょうどのところで撃ち破ること
ができた。ナイトメアと呼ばれた魔物は、はじめから存在していなかったかのように、そ
の姿が消えていく。それにともなって、町を襲っていた火の海も消えていった。
　レオンとアレク、そして彼女は、そんな光景への感慨にふける余裕はいっさいなく、そ
の場で息を切らせながら、しばらく座りこんでいた。