――なに、やつが動き出しただと!?
暗く、なにも見えない空間で響く。抑揚こそあるものの、無機質であるかのような声。
――はい。たった今、城を離れ、外の世界へと出立したことを確認しました。
――ぬうう、厄介なことになった。かの魔剣は、王家に伝わっておるのだろう。持ち歩
いておらぬとは考えにくいぞ。
――まったく。よりにもよって、あの者が王族とは。
――なんとしてでも、やつが世界を渡り歩くことを阻止するのだ。その際、生かしてお
くと面倒だ。しかし、人の手で殺させるとなると、今度は事後の処理に手間取る。まだ試
験の段階だが、あれを解き放つぞ。
――御意。魔剣のほうはいかがいたしましょう。
――捨て置け。ほかの者が手にしたとしても、高価なようではあるが使い勝手の悪い武
器でしかない。
ひとしきり話を終えると、すっと。彼らの気配は闇に消えてゆく。
夜もふけてきた頃、木の葉や草花に触れて吹く風は力を増し、冷たく通りすぎていく。
辺りは暗く、光といえるものは、空でおぼろげに浮かんでいる満月ぐらいである。いや、
木々の根元で輝く、人工の明かりがひとつ。電灯が置かれているそばにはテントが張られ
ていた。そのテントの裏手から、草を柔らかく踏みしめる音。
「やっとできたあ」
高いというほどでもないが、透きとおるような声。彼は、レオヴァートという名である
が、レオンという偽名で、身分を隠して旅に出た王子である。
「旅人ってこういう生活をしてるのかあ。へへ、これはこれでおもしろいな」
そして、一息ついたところで、テントの横で仰向けに寝転がり、
「星は出てないけど、雲がかかった満月だけなのもいいね」
だれに向けたでもなくそう言った瞬間、
――グルルル……。
彼の足の下あたりから、威嚇するような、それでいてうなるような鳴き声。風のように
素早く反応して、横に置いてあったつるぎを手にしてから起き上がる彼。そこにいたのは、
大型の狼のようである。彼をにらみつけている目は、暗闇のなかで光っているといえるほ
どに赤い。
凛とした表情で、さやから抜いたつるぎを構えて向かい合った彼は、
「うまく仕留めれば、今晩のおかずが手に入る……!」
そういうわけで戦闘開始。
目標を定めた狼が、怒涛の勢いでレオンに飛びかかってくる。しかし、剣術を学んで鍛
えていた彼も遅れをとらず、なぎ払うようにして切りつけた。
すると、レオンは、表情には出ていないものの、予想外のことでおどろいている。狼の
身体は硬かったのだ。つるぎの刃が、幅が太くまっすぐであることを差し引いたとしても。
それとて、相当に硬質なものであり、闇夜のなかでも輝く、圧倒的な純度を誇っているの
である。
レオンの戸惑いが収まるのを待ってくれるはずもなく、その合間にも激しさを増してい
く狼。
しかし、レオンとて、いつまでもほうけているわけでもなく、再びつるぎを構える。全
力で掛からないと殺されてしまうかもしれない。そう本能の部分で察知していた。
狼は、レオンを殺めるべくして、ひたすら襲いかかってくる。
レオンのほうも、決して近づけさせまいとして技を繰り出しつづけている。そんな彼の
様子は、敵意もなにもない、まるで子どもがじゃれついているようでもあった。次第に、
彼の表情からは、なにかにとりつかれたかのように感情の色がうかがえず、それでいて険
しい雰囲気が浮かびあがってくる。
やがて、弱ってきた狼がのけぞる。傷は負っているものの、再起不能となる打撃までは
与えられなかったようだ。
レオンは、息を荒げてはいるものの、つるぎを構えている手は緩めることなく立ってい
る。
「はあ……、こうなったら、水の魔術で遠くへ流すしかない」
そういうやいなや、つるぎを持ったまま下ろして、詠唱の構えをとるレオン。
彼の周囲を埋めつくすかのように発生した水流は、魔術であるだけに、この暗い夜のな
かでも青々として見える。その様相は、いにしえの記憶を呼びさますかのような、はたま
たすべてをのみこむかのような。
清く澄んだ光景が消えると、そこには、力つきて横たわっている狼の姿があった。負か
されたのだ、微々たるものではないが強力というほどでもない、中魔法によってあっさり
と。
――あれがやられただと!?
場所は、再び暗くてなにも見えない空間。抑揚こそあるものの、やはり無機質であるか
のような声。
――ええ。反応が消えたようですので、そう考えるのが妥当かと。希望的観測を申しあ
げるなら、共倒れもありえますが。
――確実に仕留めるまで気は抜けぬ。くそ、創世の時からの、魔剣に対抗しうる研究の
成果が……!
――まあ、あれは試作の段階だったこともありますし、次はさらに強力に仕上げてごら
んにいれましょう。
――とにかくだ、やつがあの場から去ったこと、もしくは死んだことを確認した後、あ
れを回収するぞ。
さて、所は戻って現場では、
「やったあ! 仕留めた。今晩のおかずも手に入れたぞ」
ひたすら果敢に戦っていたレオンが、うって変わって歓喜の声を上げていた。
早速、獲物に包丁を入れる。先ほど使っていたつるぎよりも、刃のとおりがよいぐらい
だ。そうしているうちに、刃に硬いものが当たり、
「へえ、動物の体内ってこうなってたんだ。これ知ってる、技術の進んだ地域で使われて
る、機械ってやつだよね」
そして、だれに教わったでもないが、機械の部分をよけて、食するべくして、肉となる
ところのみを切り落としていった。
木々のてっぺんからは、鳥たちがせわしなく羽をばたつかせながら飛び去っていく。夜
は、まだ長い。
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