+. Page 003 | 流離い人 .+
 夜間に差し掛かった頃、雨や風はやんでいたが、透明に霞みかかった大気はなおも辺り
を包んでおり、空に浮かんだ星は見えない。
 城下町アーメンベーレは、電灯がかすかにともりはじめ、幻想のような雰囲気を演出し
ていた。人の波とけん騒は、なおも鳴りやまない。
 そんな町なかで、それなりに上質な服に身を包み、それなりに豪奢なつるぎを携えて歩
いている青年。とはいえ、まだあどけなさの残る顔つきである。焦点の合っていない、夢
を見ているかのような目で、城のほうへと向かっている。
 正門のある辺りを通りすぎ、その裏手のほうへまわる彼。道場に到着して、つるぎをし
まおうとしているとき、
「レオン」
 彼を呼ぶ、低めの緩やかな声。武人の風体であるが、落ち着いて静かな雰囲気の青年。
「ガッセル」
 彼、レオンは、やはりあどけない調子で青年の名を呼び返す。それから間をおかず、ガ
ッセルは、手にしていたタオルを差し出した。
「またずいぶんと濡れてるな」
 そう指摘されたレオンは、自身の髪や服を見まわす。そして、水分を大量に含んでいた
ことに気が付くやいなや、
「ほんとだ。全然気づかなかった」
 タオルを受け取り、水滴をぬぐうというよりは、落ちてくる邪魔となるものを取り去る
ようにしてそれを当てる。
「なにかおもしろいものでも見つけたか」
 ガッセルが、なにかを推し量ったかのようにそうたずねると、
「そうそう。僕、女の子の幻を見たんだ」
 おどけてみせながら告げるレオン。ガッセルは、興味を持ったようで、静かに次の言葉
を待っている。
「きれいな金髪で、かわいい子だったよ。それで、女の子の周りが、白く光ってたんだ。
服も白かった。幽霊かなと思ったんだけど、足はあったし……」
 レオンは、そこまで語ると、ひとりで考えはじめた。
「そこまではっきり見えてたなら、実在していたんだろう」
「そうかもしれないけどさあ、強い風が吹いて、僕が目をふさいでる間に、女の子の姿が
ぱっと消えてしまったんだ」
「ならばそれは、ここより高い次元にある世界の片りんが、瞬間的に映されたんだろう。
それが、たまたま彼女の姿だったというわけだ」
「高い次元にある世界ってどんな?」
「世界は幾層にも重なってるという話を聞いたことはないか。人や物などの姿かたちを構
成している、その型は同じだが、次元の高さによって多少の見えかたが違ってくるという
説だ」
「そういえば、昔、そんな話の本を読んだことがあるような……」
「だから、その彼女が神々しい姿で映ってたとしても不思議ではないというわけだ」
 そう解説されたレオンは、興味をひかれたようで、表情がかすかに明るみかかった。
「その子と、なんとか会話をする方法はないかな」
「姿をとらえることができたということは、接触できる可能性もあるということだ。一度
や二度話しかけたぐらいでは難しそうだが、幾度か試みればあるいは」
「それじゃあ、僕にもできるってこと?」
 さらに、胸が躍る様子でたずねるレオン。
「ああ。お前なら、素質はじゅうぶんにありそうだ」
 ガッセルは、世辞やら気休めやらではなく、事実をありのままに述べているといったふ
うである。
 レオンは、顔をほころばせると、ガッセルを見やり、
「それにしてもさあ。こんな話を真剣に考えるのはガッセルぐらいだよ」
「確かに、本当かどうか確認のしようはないが、うそだという確証もない。ならば、そう
なんだと言うしかない。それに、少なくともレオンのなかではそのようなことが起こった
ということには違いない」
 ガッセルのその言葉を聞くやいなや、明らかにというほどではないがあっけにとられた
表情へと変わるレオン。
「まあ、そのような話をされたところで、こちらに不都合があるわけでもないから構わな
いといったところだ。どちらにしても、平静でいられないのは話した側だろう」
 そして、なだめるふうでもなく、思ったことをそのままに、包み隠すつもりもなさげに
言うガッセル。
「あはは。やっぱり持つべきものはガッセルだね」
「王様には語ることはできないのか?」
「うん。父上にこんなことを話したら、渋い顔をされそうだよ」
 ひとしきり話し終えたレオンは、タオルをガッセルに返して、王城のほうへと進んでい
く。裏手にある扉をひらき、履物を脱いだ後、建物のなかに入ると、
「それじゃあガッセル、また明日」
「はい、ではまた。レオヴァート様」
 ガッセルのほうも、レオンを本名で呼び、かしこまった口調で一礼した。

 王家の晩餐も、これはまた華やかな装飾が施された部屋での、ぜいたくにあしらわれた
料理の数々でいろどられている。数十名ほど座れそうなその卓上にも、キャンドルをかた
どった電飾が置かれており、ほのかに揺らめく光が優雅さを演出している。たったふたり
いるだけでは広すぎる室内であった。
「父上。旅の儀の件ですが、やはり明日にでも出発したいと思います」
 食事をする手を一旦とめて、唐突にそう告げたのは、王子、レオヴァートである。もと
もと騒がしくはないこの空間が、さらに静けさを帯びたようだ。
 王のほうはというと、表情を変えるでもなく、レオヴァートのほうへと目を合わせ、
「ふむ。その心意気や素晴らしい。しかし、こちらもいろいろと準備が必要なのだ。渡し
ておくものがある。明後日まで待ってくれ」
 あくまで平然である様子でそう言うやいなや、再び食事する手を動かしはじめた。
「渡しておくもの……ですか?」
「明日の昼食の後で、謁見の間に来てくれ。話はそれからだ」
「……? はい、承知しました」
 そして、それ以上の言葉を交わすでもなく、レオヴァートも再び食事に手をつけだす。
 かちかちと、皿にナイフとフォークの先が触れる音が、時を刻む秒針であるかのように、
夜のふけていく様相を告げていくようであった。

 翌日のこと。謁見の間では王が座しており、彼と向き合うようにして王子が立っていた。
そして、王の側近である者たちや、赤い幕が張られた通路の周囲でこうべを垂れて居並ん
でいる兵士たち。ほかは重臣たちのみである。
 そのなかのひとりが、とあるつるぎを抱え、王に手渡すべくして玉座のほうへと踏み出
す。王は、それを受け取ると、
「レオヴァートよ、もっとこちらに来るがいい」
 王子――レオヴァートは、言いつけられたとおりに前へ出る。
「このつるぎを受け取るのだ」
 そして、言いつけどおりにそれを受け取った。
 くだんのつるぎは、さやに収まっているが、つかの部分を見た限りでも、人間のなせる
業とは思えないほどの技巧さがうかがえる。
「それをさやから抜いてみろ」
 レオヴァートがさやから抜いてみて現れた、その刃は、実用性があるとは思えないほど
にまっすぐであり、幅は太めでであった。それでも、刃自体は硬質のものであり、この世
のものとは思えない純度であることが見てとれる。
「父上、これは……」
「それは、我が王家に代々伝わる、なにものたりとも切れぬものはないとされるつるぎだ。
旅の儀の証でもある。使用は自由だが、手入れはおこたらず、決してなくさぬようにな」
「承知いたしました。つつしんであずからせてもらいます」
 刃をさやに収めなおすと、一礼してそう述べるレオヴァート。周囲からは拍手と声援。
 旅の儀を終えるまでは、レオヴァートの顔を民たちに知られるわけにはいかない。そう
いうわけで、出立する前の祝賀会は、こうして城の者たちのみでささやかに執り行われた
のだった。

 時は過ぎて夕刻。レオヴァートは、早速出立しようとする。朝まで待ったほうがよいと
の提案はされていたのだが、善は急げとの彼自身の希望もあり、なかば強行するかたちと
なったのだ。町の出入り口に差しかかり、しばしの別れの余韻に浸ろうとするそのとき、
「レオン」
 彼の仮の名で呼ぶ、低めの緩やかな声。武人の風体であるが、落ち着いて静かな雰囲気
の青年。
「ガッセル」
 レオヴァート――レオンは、あどけない調子で青年の名を呼び返した。
「もう行くのか」
「うん。やっぱり、いても立ってもいられなくてさ」
「そうか。ならば、しばらくは会えないな」
「できるだけ早く帰ってくるからさあ。そしたら、また剣の手合わせしてよね」
「分かった。楽しみにしてよう」
 彼らは、それだけの会話を交わすと、がっちりと拳と拳をぶつけ合い、さわやかな風が
吹くかのように分かれていく。
 しかし、外の空気を貫く風は、彼の旅だちを嘆くかのように、そして、時の終末を告げ
るかのように冷たかった。
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