それは、彼ら姉弟の年端が十のなかばにも満たなかった頃のこと。彼らミカゲとチカゲ
は、とある研究施設から逃げ延びて以来、どこともしれない空の下をさまよい歩いていた。
陽の光はまぶしいぐらいに射しているが、彼らは目もくれない。天を拝んだところでな
にかを得られるとは思えず、地に足をつけて生命の活動を維持することに精一杯なのだろ
う。
彼らは、人のいない場所をひたすら歩く。北の方角は時期によっては寒さが増すため、
南方に向かって進んでいく。もちろん、入ったらいつ出られるか分からないうえに、とこ
ろによらず夜になると冷えこんでくる森のなかも避けて通る。
幸いというべきか、寝具や衣類だけは、じゅうぶんとは言えないまでも一通りはそろっ
ている。今は崩壊した、かの研究施設のあった場所で拾ってきたものである。どういうわ
けだか、男物と女物の衣服と靴の一式が入っていた背負い袋と、寝袋が数枚、そこの焼け
跡にまぎれて落ちていたのだ。爆発にさらされた影響か、ところどころが傷んでいるもの
の、辛うじて使用できる代物だ。衣類に関していうと、新品ですらあるようだった。
突如として爆破され、炎上して跡形もなくなった研究施設。なにも前触れがなかったわ
けではない。はじめは、とある場所での爆発音であった。これはまだ小さな規模のことで
済んだといえる。それからしばらくしてからだ、本格的な爆発が起こったのは。その合間
の混乱に乗じて、彼らふたりは脱走に成功したというところであった。
それからも、ミカゲとチカゲは、日が暮れる頃合いを見計らいながら、近くで息を潜め
ていた。
しかし、所員たちは逃げた後だったのか、人がいる気配はまったくなかった。だからだ
ろうか、彼らがどちらからともなくその場に戻ってみようと思い立ったのは。こわいもの
見たさだったのか、ほかに行くところが思い浮かばなかったのか。そもそも理由などなか
ったのかもしれないが。
そこは、騒動から数刻しか経っていないというのに、もうずいぶんと昔から廃れていた
かのようなあんばいであった。がれきの下には、ところどころになにかが挟まっているよ
うである。
そのときに見つけたのが、この道具類であった。寝袋は、なにかの調査におもむくとき
のために、所員たちのだれかが用意していたものであったのだろうか。背負い袋に入って
あった服などは、おとな用ではないようで、十とそこそこの年端のミカゲとチカゲがどう
にか着ることのできる寸法のものであった。こちらのほうはもしかすると、自分たちと同
じく、ここに捕らえられていた子どもたちのものであったのかもしれない。そんなかなし
さに包まれたのもつかの間で、心のなかでわびると、それを手にとり、なかから靴を取り
出して履き、寝袋も一枚そのなかに入れて背負う。
それにしても、なぜ都合よくそのようなものが落ちていたのか。そう考えるも、疑問は
すぐに影を潜めた。生き残ることが第一であり、使えるものは持っていこうと判断する。
その場にあるのだからあるのだ、そのときの彼らにはそう納得するほかになかった。
考えこんでいる合間にも、だれかが戻ってくるかもしれない。とにもかくにも、早めに
この場を離れることが先決であったのだ。
さて、当面の問題は食料のことである。さすがにこればかりは用意されていなかった。
だが、彼らはそれほど悲観もしていなかった。なぜだが、寝袋のなかには、鋭い切れ味の
短刀とマッチ、飲み水や香辛料まで入っていたのだ。つまり、木の枝や食べられそうなも
のさえ手に入れば、それなりの食事はできるということだ。
まず彼らが目指したのは川辺。そこからどうにか下流に沿って歩いていくことができれ
ば海辺に出られる。同時に、人のいる場所に出られる可能性も高くなるわけだ。それに、
食べるもの、魚を手に入れることだってできるかもしれない。
もちろん、事はそう簡単に運ばなかった。それまでは、ほとんど木の実などで空腹をし
のいでいた。できうるだけ採ってあったが、なくなるのも思いのほか早く、道ばたの草を
食べるときもあった。
ようやく川を見つけて、魚を採ることもできると、集めた薪に火を点けてそれを焼く。
消えゆく命にわびの念をこめて、手を合わせて食べた。そこまでは順調に思えても、夜と
もなると川辺は冷える。それに、道が開拓されていないのでは、海に出るまでずっと川沿
いに進んでいくことは不可能であった。
どこにたどり着こうが、外にいる限り、安全な場所などどこにもないということだ。一
見、危険がない場所であっても、なにが起こるともしれず、熟睡することなどできない。
そんな生活が幾日も続くと、体力も気力も消耗してくる。ミカゲもチカゲも、動く力も
しゃべる力もほとんど残っていない。
ふと、ミカゲは、隣でうずくまっている姉、チカゲのほうを見やる。普段どれほど気が
強くとも女であることには違いないのだから、無理もないことだろうと。同年代の者たち
と比べても体力もあるほうで、順応力もあり、状況をどうにかする力もそれなりにあると
自覚している自分とてこのような状態なのだからと。彼女のほうも、はじめのうちは悪態
までもついていたが、今では一言も声を発していない。
ミカゲは、これが自分ひとりであったなら、適当に流れ歩いていたところだろうと思っ
た。食べ物に関しても、それほど必至に探したり蓄えたりしなかっただろうとも。あるな
ら口にするが、ないなら仕方ないと。生きるか死ぬかも運に任せて。そもそも、あの場か
ら逃げようとさえ思わなかったかもしれない。
カーナル神とやらが与えた運命によるものなのかはしれないが、簡単に死ねないのだろ
うとは、ミカゲ自身もそう見当をつけた。理由までは分からない。まさか、神ともあろう
ものが、人間を苦しませて楽しんでいるとは考えづらいが。そうは思っても、ある意味、
姉を人質にとられていることには変わりがない。控えめに見ても、尊敬の意を示すなど到
底できなかった。
ひとまず、極寒の地に放り出されて、ひとりでいるわけでも、見ず知らずの他人と一緒
にいるわけでもない。なにものかに、直に敵意を向けられる心配もない。だからといって
自分たちの状況が決して増しだとはいえないが、そうでも思わないと身が持ちそうにもな
かった。
朝がやってくると、ミカゲもチカゲも、少しは身体を休めることができたのか、そこそ
こ回復しているようで、どうにか自分たちの足で立っている。
しかし、体力と気力ともに完全にとり戻しているわけではなく、そう長くは行動できそ
うにはない。
それでも、一刻も早く人のいるところを見つけないことには、命とて危険にさらされる。
自身のことはともかくとしても、片割れをそんな状態にさせるわけにはいかない。とにか
く進む。両者とも思いは同じであるのか、なんとなく通じたのか、どちらからともなく今
日も歩みを進めていく。
しばらく歩いたところで、道らしきものを見つける。舗装がなされているふうではない
が、ずいぶんと踏みならされている。人が頻繁にとおっている証拠であろう。
ミカゲとチカゲは、同時に顔を見合わせる。ここをたどっていけば、だれかが住んでい
る場所に出られる可能性が高い。そして同時にうなずくと、再び歩みを進めていく。
またしばらく歩いた先には、清らかであるとともに荘厳な雰囲気を漂わせる建物、一件
の教会がぽつりとあった。
あまりいい印象をいだけないカーナル神の、というよりは「組織」であるというところ
にまゆをひそめはするが、背に腹はかえられない。もうそろそろ、外をさまようぐらいな
ら、あの施設に捕らえられていた頃の生活のほうが増しであると思いかけてさえいたとこ
ろだ。
ミカゲとチカゲは、同時に顔を見合わせると、意を決したようにうなずき、白い箱のよ
うなそこへと向かっていった。
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