+. Page 063 | ディルト・リーゼフ編 .+
 列車のなかで暴れていた男を取り押さえてからというもの、レキセイは、やはり体力を
消耗させすぎていたためか、しばらくは歩くことも困難であったようだ。目的の駅に着い
てからも、疲れが取れるまで、待合所のほうで休養していた。いざリーナやアルファース
とともに町へと歩みだしたそのときには、もう夜であった。
 ディルトの夜の町並みも、リーゼフ以上のにぎわいときらびやかさを誇っている。競売
が盛んに行われているためか、闇に覆われた刻のほうが、町や人々を活気づけるのだろう。
 やはりというべきか、空に浮かんで見えるはずの星の輝きは、電飾の強烈な光によって
遮られている。
 レキセイは、そんな光景をよそに、なにかを考えこんでいたようだ。
「さっきの人、列車を乗っ取りたかったか、力を誇示したかったかのようには見えたけど、
もともとは俺をねらって乗ってきたんじゃないかと思って」
 レキセイが不意にそう述べると、リーナは首をかしげて、アルファースはあっけにとら
れる。
「だったら、ほかの乗客たちを巻きこんだり、列車を運営してる人たちに不利益をもたら
したりして、申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思ったんだ」
 駅のほうに目を向けて言うレキセイ。その様子に、アルファースは、今度は大きなため
息をつき、
「お前はまたそうやって、考えなくていいことを気にしやがって。だとしても、悪いのは
襲撃してきたほうに決まってんだろ。とにかく宿を探すぞ」
 そう言って早足で歩き出す。レキセイとリーナも、彼の後に続く。
「今度は、怪しいやつが従業員にふんしてたなんてことがないといいけどな」
 そして、だれに言うでもなくぼやくアルファース。
 そのかたわらで、レキセイは、彼について考える。リーゼフのほうで、ホテルの支配人
として振る舞い、自身を捕らえて連れていくすきをうかがっていた彼のことを。それから
というもの、思いがけないことに、一緒に食事の準備をしたり語らったりした彼、ミカゲ
のことを。

 捕らえにきたと言っていたが、そのわりにあっさりと見逃した彼。そう言う彼の目は真
剣そのもので、とても虚勢を張っているふうには見えなかった。見定めているうちに興が
さめたというわけでもなさそうであった。いつでも捕らえることができるという余裕の表
れであろうか。
 それに、リーナの身に危険が迫っていることを告げた彼。だれかの、そしてだれかのだ
いじな人間の命に関わることであれば黙っていられないというのは、だれもが持つ情念で
あることには違いない。しかしながら、リーナも含めて捕らえようとしていた彼にしてみ
れば、自らを不利に落としているようなものだ。自身の姉を人殺しにしたくない、そのよ
うな感傷でもないようであった。
 エアリスという結社にも、強制されて入っているわけではなく、自らの意志でいるのだ
という彼。そこも、反カーナルを主張している組織であるというわりには、はじめから悪
事が目的であるふうもなく、あくまで神からの解放に向けてという理念で動いているとい
うことらしいが……。

「ご苦労さまでした、ミカゲ」
 清らかなまでの女性の声がそう述べる。ここは、潔癖といえるほどにまで掃除の行き届
いた、広めの部屋、どこかの社長室のようである。
 しかし、その清々しい雰囲気とは裏腹に、事務用の机の背後にある、逆十字を模した碑
がおぞましさを際だたせる。しかも、その社長であると思われる彼女も、素顔を仮面で隠
しているときているのだから、怪しさはさらに増す。
 仮面とはいっても、暗めの色あいでありながら、それなりに意匠の凝らされたものでは
ある。それにともなうかたちで、衣装のほうにも、それとなくまがまがしさがうかがえる。
 そのためか、彼女の素顔を知らない者は、妖艶な女性像を思い浮かべてやまないのだと
いう。肌理は細かなようであり、歳は取っていても中年ぐらいであるだろうともいわれて
いる。
 彼女の横に構えている、秘書であると思われる男性なら、もしかすると知っているのか
もしれないが。
 そして、彼らと向きあうようにしてたたずんでいる彼、ミカゲ。
 ミカゲは、そんな彼女に、好奇心をそそられているわけでも、いぶかしんでいるわけで
もなく、ただ見すえている。
 やがて、ミカゲが口をひらき、
「いいえ。任務という意味では失敗しましたから」
 そうすまなそうに振る舞いはするものの、口調は平然としたものである。
「そっちのほうは急がないから、次以降に期待するわ」
 彼女のほうも、特になにを思うでもなく、そう受け答える。むしろ、結果はそうであろ
うと予想していたかのように。
「ええ、いつかはその心積もりではありますが。ただ、連れ帰ったところで、カーナルに
対抗しうる手段となるようには思えませんね。罰は甘んじて受けるといったようなふぜい
でありましたから」
 自業自得、なんていうのが口癖でありそうでもあった。それを、自分以外の人間にまで
当てはめて考えるのかどうかまでは分からなかったが。そう付け足して述べた。
「反逆心はそれほどなくてもいいわ。願いをかなえてあげたい、そう思わせる資質が重要
なのだから」
 さりげなくそう述べた彼女に、首をひねる様子のミカゲ。
「とにかく、今は、相手側の技量や人となりが推し量れただけでもじゅうぶんよ。次に備
えて、今日のところはもうおやすみなさいな」
「……はい。それでは失礼いたします」
 いきなりたたみかけるように促す彼女に、自身をむりやり納得させるかのように述べる
ミカゲ。
 そうして、ミカゲが退室してしばらくした頃、
「彼をあのまま行かせてよろしかったのですか」
 先ほどから彼女の横で黙ってたたずんでいた秘書が、そう切り出す。
「確かに、任務の遂行はできればで構わないということにはなっておりましたが、彼の場
合、本気でいそしんでいないばかりか、故意に失敗を犯しているように思えます。それも
今回に限ったことではなく」
「そうでしょうね。だけど、彼はそのぐらいでちょうどいいわ」
 予想だにしない返答に、今度は秘書が首をひねる。
「ミカゲに必要なのは、いやなことはいやと言うことと、たとえいやではないことであっ
ても、適当に手を抜く技なのよ。そうでもなければ、彼自身の命に関わるわ。彼に期待を
かけすぎた人間たちにだって報いは降りかかるでしょうね」
 まるで要領を得ない物言いであり、突飛さも甚だしくあるが、彼女自身は冗談を言って
いるふうではないため、秘書のほうもとりあえず了承の意を示した。
「ところで、ミカゲとは別に、独断でレキセイ・シルヴァレンスを捕らえようとして返り
討ちに遭い、現在は軍部に捕らえられてる構成員の処遇はいかがいたしましょうか」
「交渉担当の者を向かわせて、釈放を求めるわ。それから、列車の運営に当たっていた者
たちへの賠償を」
 もちろん、エアリスの影を残すことはないようにと。

 ミカゲは、エアリスの構成員にあてがわれている、自身の部屋へ入る。
 寄宿するためのところとはいえ、部屋ひとつの広さはそれなりにあり、寝台や机など、
必要なものもとりそろえられている。
「ようやく戻ったか」
 そのとたんに、男のような口調ではあるが、女の声がそう確かめる。この部屋のもうひ
とりのあるじ、ミカゲの姉である彼女、チカゲ。
「わたしのほうは厳重注意で済んだ、が、お前のほうはずいぶんとあれこれ言われたと見
える」
「いや、俺のほうこそ、それとなく催促されるだけで済んだが」
 そうなると、手中に収める優先度は、レキセイよりはリーナのほうが上だということか。
ミカゲは、そうぼんやりと考えをめぐらせる。
「ならいいが、昨日今日の働きとは別に、疲れが色濃く出てるように思えたのでな」
「ああ。それは多分……、昔のことを思い出してたせいだ」
「……そうか」
 チカゲは、それだけ答えて、後はなにも言わなかった。彼がなにを思い出しているのか、
想像がつくからこそ聞かないというべきか。
 遠い昔に思いをはせるかのように、窓の外を眺めているミカゲ。実際に、彼の意識は、
視線の先にあるのではなく、内なるその記憶にあるのかもしれなかった。
 ミカゲは、めい想するかのように目を閉じる。もやのような、ベールのような、白く柔
らかなものに包まれていくかのような心地で。
 そして意識は、彼の望郷の世界へと飛んでいく――。
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