それは、ボーっと、もの悲しい音をたててやって来る。その様は、まるで霧の向こうか
ら現れたかのようにぼんやりとしている。ぎらぎらとしたようなこの町の雰囲気にはおよ
そ似つかわしくない光景。ここは、別の町へと通じるところ、駅。その鈍い音とともに、
金属がかん高くこすれる音をさせてとまる列車。はでやかというわけではないが、どこと
なく威厳をうかがわせる外観の。
実はこの列車、電力ではなく、蒸気によって動いているのだ。この国、センドヴァリス
の技術の水準からしても、電車に換えることは決して不可能ではない。機器も輸入にたよ
ることができる。それでも敢えて蒸気機関車として稼動させるというのが、この国の方針
であるようだ。
列車の扉がひらくと、人々は瞬く間に吸い寄せられるかのように乗りこんでいく。全員
の搭乗が完了したとともに、扉が閉まり、再び発車しだした。
走行する列車のなか、レキセイたち一行がいる席。
「わあ、すごいすごい。景色が次々と切り替わっていくみたい」
そう感嘆の声をあげたのはリーナ。
「ねえ、走馬灯ってこんな感じなのかしら」
そして、なにげなく疑問を投げかけてきた。
次々と現れては消えていくものごとのたとえであり、特に昔の記憶を指していわれてい
る。彼女も、知識としてはわかっているのだが、その肝心な記憶がない。レキセイと出会
った時期からの、およそ五年分しかないのだ。
「どうかな。俺も、昔の記憶は、断片しかなくて、それもはっきりどんなだったかもわか
らない。だから、本当に思い出せるのは九歳ぐらいからのもので、実質でいえば八年分し
かないんだ」
「生まれてから数年はそうだろうが、それにしたってお前のは遅すぎだ」
そう受け答えるレキセイに、そう指摘するアルファース。そんな会話をくりひろげてい
たそのとき、
「きゃあああ……!」
レキセイたちのいる席から、やや離れたところから悲鳴が聞こえてきた。続いて、発砲
したような音がした。
レキセイは、即座に立ちあがって、そのほうへと向かっていく。そのさまは、彼の銀の
髪がさらにそう思わせるのか、まるで閃光が走ったかのようである。
「おい、待て! 鉄砲玉か、お前は」
アルファースが制止している合間にも、リーナは、とりわけてうろたえている様子もな
く、慣れているかのような調子でレキセイに続いていった。
「だあああ、ったく」
アルファースも、こうなってしまってはしかたないと、瞬時に判断を切りかえ、遅れを
とらないよう、彼らのあとを追っていく。
「ぎゃはははは! 列車は俺様が占拠した。ひざまずけ愚民ども」
現場には、銃器を構えたままで高笑いをしている男がひとり。悦に入っているためか、
言っていることに筋がとおっていない。見たところ、まだ青年の年ごろである。とりわけ
て粗暴そうだというわけでもないが、利口でありそうだとも言いがたい。
間もなくして、レキセイがやって来た。彼は、立ちどまると、息を切らせながら、辺り
の状況を確かめる。そして長い息をついた。逃げ遅れた者がいないことが、不幸中の幸い
であろうか。
続いて、リーナとアルファースもやって来ると、レキセイは、青年のほうに向きなおっ
て、
「この騒動を起こしたのはあなたですね。いったいどうしてこんな……」
そこまで言いかけたところで、
「ひゃは! 紫のかかった銀の髪。なるほどな。近くで見れば、確かにかすかな光沢があ
る。貴様で合ってるな、レキセイ・シルヴァレンスというのは」
突然そう述べられたところで、おどろきのあまり目を見開く。
「ここで貴様をとらえれば、俺様がキングオブエアリスの座に就く日は近い」
どうやらエアリスの構成員であるようだ。彼らの幾割かは、すきがあればレキセイをと
らえようとしている。この目の前の青年も、そのうちのひとりであるのだろう。
「とりあえず、俺以外の乗客なら見逃してくれるということですね。だったら、ディルト
の駅に着いてから話……」
また、レキセイがそう言いかけたところで、
――ドゥン!
耳をつんざく砲声。彼に向けられた威嚇。当のレキセイはどうにかよけきったが、弾が
当たった箇所、相当に丈夫な鉄の床であってもくぼみができるほどの効力である。
「ひゃひゃひゃひゃ、おとなしくこの俺様に従え」
「ちっ。やられる前にやるしかないようだな」
そう言ってまっ先に武器、大剣を構えたのはアルファース。
「お前ら、床から足を離すなよ」
続いてリーナも、携えていた槍を構えると、
「どうして……って、あ! ものすごい速さで走ってる列車のなかでジャンプなんてした
ら、ここから遠いところに着地してしまうから?」
「いや、詳しい説明は省くが、着地ならもとの位置にできる。だが、こんななかでは、動
くだけでも体力を消耗するし、足場も悪い。反応だってさらに遅れちまうからな」
レキセイも構えの姿勢をとって、青年のほうをまっすぐ見すえる。
とにもかくにも、長期戦は危険だ。飛んでくる弾丸を幾度もよけ続けることなど不可能
に近い。はじめの攻撃で勝負を決めるしかない。
それからというもの、間髪をいれずに、レキセイの片足が、青年の足を目がけて蹴り上
げられてくる。ひとまず転倒させてすきをつくり、銃器を奪う作戦に出たようだ。
「うお!」
しかし、青年のほうも、おどろいたそぶりはあったものの、寸のところで均衡をとり戻
して、転倒は免れた。
「気をつけろ。そいつ、訓練は受けてるようだ」
次に、リーナが槍を突き出して攻撃を仕掛けるが、こちらも寸のところでかわされた。
彼女の持ち味は、相手に動きを読ませず、意表をつく攻撃である。おもに跳躍を駆使した
変則的な動きによるものであるが、今はそれも封じている状態であり、そこそこ武器を扱
える少女のそれと変わらない。
「しゃは!」
その合間にも、妙な掛け声とともに、青年の攻撃は容赦なく続く。弾が、耳を突き破る
ような音をたてて発砲された。
あくまで生かしたまま捕らえることを目的としているためか、急所をねらった砲撃はし
ていないようはあるが、命にかかわるという点は変わらない。ただでさえ、走行中の列車
のなかというのは、不安定であるうえに、足場もそれほどない。どこで手違いが起こるか
もわからないのだ。
レキセイも、いつまでもあっけにとられているわけではなく、次の行動に移る。青年の
背後へと素早くまわりこみ、拳を繰り出そうとする。
「どりゃあ!」
しかし……、まやもや阻止される。後ろにまわってきた彼を察知して、殴りつけるかた
ちで。それも、手にしているその銃器で。
あまりの痛みのためか、殴られた箇所を押さえながら、後ろ向きによろめくレキセイ。
「だはあ!」
そして、そんな合間にも、青年は弾を発砲させる。今度は、あきらかにリーナをねらっ
てきたものだ。
それでも、リーナに弾が当たることはどうにかさけられた。アルファースが、大剣で弾
を受けとめたのだ。彼が攻撃をしかけているさなかではなかったことが幸いしてか、すぐ
にかばう体勢がとれた。大剣を振るうとなると、すきができやすくもあったため、攻めあ
ぐんでいたのではあったのだが。
そのアルファースも、あまりの衝撃を受けたためか、からだじゅうにしびれが走ってい
るようで、ひざをついているのがやっとといったふうである。リーナは、その場に、力な
く崩れて座りこんだ。
「ひゃーっははは! 終わりだあああ」
絶体絶命かというところまで追いつめられたなか、レキセイは、いかりがわきあがって
きているようで、表情もいつになく険しい。なにがなんでも状況を打破しなければならな
いといった意志に満ちている。もはや、敵の動きをとめて終わりというところではとどま
りそうになく、殺しさえしそうなあんばいである。
不意に、本人も意識していないうちに、上のほうを見やるレキセイ。そこには、列車に
沿うかたちで横に伸びている、鉄の棒がとりつけられていた。彼は、なにかを思いついた
ように、はっとする。
次の弾を発砲するわけでもなく、青年が悦に入っているところ。レキセイは、瞬時に思
考し、そして一切の迷いもなくそれを実行する。その鉄の棒をつかんだかと思いきや、今
度は跳躍して、座席の背もたれの上に着地した。
「な、なななな……!」
レキセイの、予測していなかった動きにうろたえている様子の青年。そのすきにも、彼
は、車窓に足をつけて、ばねのようにして蹴り上げた。そうかと思いきや、いつの間にや
ら、鉄の棒から手を離しており、からだごと青年のほうに向かっていている。
「うわああああ」
青年の悲鳴とともに、レキセイの足が、彼のみずおちに命中した。
たちまち気を失う青年。レキセイも、あお向けに倒れる。彼のほうは、息を切らせてお
り、辛うじて意識はある状態だが、しばらくからだを動かせそうもないということには変
わりない。
レキセイにとって、一連の行動は大きな賭けであった。列車のなかでは、動くだけで体
力を消耗させてしまう。力を集約させた一撃が失敗に終われば、これ以上は動けるはずも
なく、絶体絶命であることは必至だ。どちらにしても危機が迫っていることには変わりな
いのであればと、思いきることを選んだというわけであった。
騒動を起こした青年は、気絶している合間にも、銃器を取りあげられ、手足を綱で縛ら
れて、その辺りの座席に置いておかれるかたちとなった。これで後は駅員に引き渡して、
軍のほうに連絡を入れてもらえばいいだろうと、アルファースは、ふうっと息をついた。
「しかしこいつも、レキセイにけんかを売るとは。運がなかったな」
次いで、手で頭を押さえながら言った。
当のレキセイに目をやると、床の上であお向けになったままである。体力はだいぶ戻っ
てきたようだが、起きあがるにはまだ足りないといったところか。
「う、うーん……。あと五分、十分でもいいから」
「好きなだけ横になってろ。着いたら起こしてやる」
アルファースは、とりあえず話を合わせておく。そんなすべを身につけたのは最近のこ
とであるようだ。
「なあ。こいつのことを鉄砲玉と言ったが、取り消していいか?」
アルファースがそうたずねると、リーナは、どうしてというふうに小首をかしげる。
「こいつは……大砲の弾だ」
ボオオオ……。列車は、なにごともなかったかのように、汽笛を鳴らし、霧のように白
い蒸気を発しながら、ディルトに向けて走行しつづけていた。
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