+. Page 055 | ディルト・リーゼフ編 .+
 宴もたけなわという雰囲気に包まれるとき、リーゼフの酒場では、相変わらず客人たち
で混みあっているものの、ざわめきは収束してきた。それぞれが思い思いに談笑を交わし
ている様は、緩やかな流れを思い起こさせる。
 酒場の中心部にある席、もとよりどっしりとした気が漂っていたことも相まってか、流
れの影響を受けていないかのように、なにかを考えこんでいる様子の者たち。いや、思案
にふけっているのは、空色の髪をした、成人する手前ほどの年ごろである彼だけか。いか
つさを漂わせている男ふたりは、たばこを吹かしたり酒をあおったりしながら、そんな彼
の反応をうかがっているといったところだ。テーブルの上には、大量に積まれているチッ
プと、幾種類かの高価な酒の瓶。後ろ暗いたぐいの情報の提供者と、その依頼人であるよ
うだ。
「気が狂ってやがる……」
 ようやく言葉をしぼり出してそう述べる彼。
「とかなんとか言ってよお、まだ余裕があるように見えるぜ」
 心のどこかで予想してたってところか、ははは。軽やかな調子の男がそう言うと、
「ああ。この手の話を聞かせたやつらは、ひどく青ざめて動けなくなるか、聞くにたえれ
なくなって逃げ帰るかのどちらかだったからな」
 落ち着きを払った男のほうが付け加えて言った。
「どうだ、もっと聞いてくか」
 空色の髪をした彼は、そう差し出されると、その男のほうをじっと見やる。
「ただし、料金は追加でいただくがな」

 人通りがほとんどなくなった頃。リーゼフの町なかの、広くひらけた路上で、舞うよう
に走るふたつの影。吹きつける風さえも切りさくような音。一方が一方に向けて刃物を振
り下ろしたのだ。
 ねらいうたれたほう、リーナは、武器を持っていない状態で、身体を縮こまらせながら、
どうにか立っている。ホテルの部屋でくつろいでいたところ、窓辺からの急襲にあったた
め、いつも使っている槍を手にせずに、反射的に逃げてきたのだ。
「ふん。本当に逃げるのはうまいようだな」
 口調は男性のようであるが、声は女性のものである。実際に女性なのだが、そうである
ことを疎ましく思っているかのような。
「分からん。まったくもって分からん。死なせてもかまわんが、彼の機嫌を損ねると面倒
なうえ、肉体は無傷であるに越したことはないゆえ、できれば生かして連れて来いだと。
中身がこれなら、見た目とてただの小娘そのものではないか」
 リーナを見まわしながら、だれに向けるでもなく言い放つ彼女。
 足もとに目をやった瞬間、街灯に照らされた花壇が視界にとびこんでくる。幾種類かの
花が、集められた宝石の輝きを演出するかのように植えられている。花びらの上に乗って
いる白い雪と、溶けたためにできた水滴が、光にさらされてきらめくように映る。そして
空の暗さがさらにそう思わせるのかもしれない。
「……花か。人間、もしくはカーナルの暇つぶしのために咲かされるか――くだらん」
 なあ、そうは思わないか。彼女は目で語る。

 電灯の明かりがともされていても、視界はかろうじてひらけるほどに暗い空間。研ぎ澄
まされたように無機質な外観の床や壁、天井が、通気孔から吹き抜けてくる風をさらに冷
たく感じさせる。
 その場には似つかわしくない、華のある少女がいた。彼女は、このまがまがしい祭壇を
連想させる場の、いけにえのようなものであった。
 そんな少女に、獲物をねらうかのごとく這うような、男たちの視線が向けられる。それ
は同時に、神を見たときの恍惚な表情をしているかのようでもあった。これは危険だ、そ
う察してはいるものの、彼女には逃げるすべがなく、言われるがままにするしかなかった。
 子どもであったためか、なにかをされているときにも、彼らの詳しい意図まではつかめ
ていなかった。なんとなく分かったことといえば、どれほどの苛酷さまでなら精神が耐え
うるか、つまるところ少女特有の輝きは永劫たるものであるかを確認したくて堪らないと
いう、向けられた思惑。しかもそれは、彼らからすれば、非道なことをしているという感
覚はなく、少女に愛を向けているつもりなのだ。
 少女はふと思う。こうして眺められている様は、まるで花のよう。身動きが取れないよ
う、植えられた花。つぼみでしかない花びらを、むりに引っぱられて咲かされようとして
いる、花。
 いつくしんでいるようでいて、ぬらぬらとしたような彼らの笑みが、ああ、気持ち悪い。
気持ち悪い、気持ち悪い…………。

 リーナは、彼女が回想し終えた後も、脚をすくめて、身を震わせていた。それは、降り
積もった雪から発せられている冷気と、吹き抜けていく風のせいばかりではないだろう。
「まったく信じられない。あなたのような人が、カーナルに復讐するための鍵となりうる
だなどと」
 かく言う彼女は、鼻で笑っているようでいても、面持ちは険しいままだ。
「そもそも、人の力を無理に解放する手伝いのようなことなんて不本意でしかない。だが、
レキセイという彼だけを連れていって、貴様を放っておくと後々面倒なことになる。死に
たくなければ一緒に来てもらう」
 そう言うと、槍を構えて、再びリーナのほうへと向かっていく彼女。
「――待って」
 そのとき、ぶれたように聞こえてきた声。それとともに、なにかが閃光のようにやって
来たかと思いきや、リーナをかばうようにして立ちふさがる。夜のなかにあっても輝くよ
うな銀の髪に、どことなくあでやかで、整った顔立ちの彼、レキセイであった。
 レキセイは、いまだ険しい面持ちの彼女に、負けまいとして気迫のこめられた表情を向
けて言い放つ。
「あの。俺――つぼみも好きです」
 その瞬間、先ほどから吹いていた風が、低い音をたてて通りすぎていく。レキセイの言
葉を受けた彼女は、別の意味で険しい表情に変わった。そしてレキセイに次いでやって来
ている彼は、その様にため息をついた。
「咲いてる花はもちろんきれいだ。だけど、咲きかけているのとか、まだつぼみなのとか
も、いろいろあってこそ本当にいいなと思う」
 リーナをかばっている体勢はそのままで、剣幕をあらわにしている彼女の目を見て言う
レキセイ。
 彼女は、今しがたやって来た彼に視線で訴える。まさか、要らぬことまで話したのか。
それに、なぜ、こいつがやって来て、その後におまえが来る。こいつらを、二手に分かれ
て捕らえた後に連行する手はずだろうが。
「簡単に言うと、それほど戦ってもないうちに負かされてしまったようなものなんだ」
 彼は、そんな彼女の心のうちをくみ取って受け答える。
「姉さん、こいつらはまた後日に捕らえよう」
 それを聞いた彼女は、短く鳴らすように息を吐くと、
「いいだろう。どちらか一方だけを連れ帰っても意味がない以前に面倒だからな。だが、
決して手を引くわけにはいかん。そうなっては――」
「分かってる。俺とて、こいつにほだされたわけでもなければ、カーナルへの怒りが収ま
ったわけでもない。それに」
 彼は、そこまで言いかけて、レキセイのほうを向いて、
「こいつを泳がせて見極めるのも一興だと思ったまでだ」
 レキセイは、なにを言うでもなく、目をしばたかせながら彼を見やる。ひとまずリーナ
の身が助かるということだけでじゅうぶんであるようだ。
 ややしっくりしない雰囲気ではあるものの、互いに疲れに取りつかれていたのだろう、
だれからともなく静かに別れ去っていく。
 そうして、レキセイとリーナ、姉である彼女が去っていった後、彼だけがこの場にとど
まって、空をにらむように見あげる。
「たとえ貴様の所業が人間愛のつもりであっても、つぼみの段階である花びらをむりやり
引いて咲かせるようなことはただの暴力だ。完璧な状態のものを欲する、ただのエゴだ」
 こつこつと水をやって、いつくしみながら育てる感覚は、人間だって持ってる者は大勢
いるんだ。それをなんだ、貴様は神のくせにこらえ性のない。むりに手を加えたものなど、
にこやかさどころか、かなしみにあふれたものになるだろうな。根元にそそがれるはずの
水が、花びらに乗る涙となって。そうか、貴様のお好みは、泥にまみれながらも輝く、い
わゆる健気さだったか。当事者の気持ちなど考慮にも入れないのか、知っていても知らな
いふりを決めこんでいるのだろうな。
「花びらを引っぱる方法があること自体は問題じゃない。本人がそれを望んでるというの
なら、それもありだ」
 ただし、合意のもとで、そしてそのおぼえがあることを前提として。
「だが、加減もできない、しどころを見極められないなら出直せ。どのぐらいの調子で、
どのような具合に手を加えるか、模索してこそのものだろう。相手に嫌がられた時点で、
それは愛にはなりえない。愛なんてものは、心を通いあわせて発揮されたものに過ぎん」
 ああ、そうだ。先ほど、貴様のことをサディスティックだと言ったことを取り消そうか。
分別のある、真のサディストに失礼だからな。そんな皮肉を漂わせながら。
 空は、かく言う彼に答えることはなく、そして音をたてることもなく、闇を深くしてい
った。
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