+. Page 054 | ディルト・リーゼフ編 .+
「――と、粗方そういうわけだ」
 地鳴りのような低い声で告げられる。そう確かに響いてきたのは、ここさまざまな事情
に通ずる者たちが集う酒場、それも中央部に位置する席からである。卓上には、高価な酒
瓶が数種類も転がっているうえに、山ほどのチップが積まれていることから、彼らにあず
かり知らぬことはないといったところであろう。その彼ら、ふたりの男の風貌もこわおも
てであるといえる。
 彼らが相手にしている客はというと、年の頃は成人する手前ほどでしかない彼。鮮やか
なまでの水色の髪が若さを引き出していなければ、鍛えられた身体と相まって大人との区
別が付かないところであったかもしれない。話を聞き終えた彼は、どうしたものかといっ
た様子で考えこんでいる。
「そりゃペナルティーが課せられるのは仕方ねえだろうよ。おとがめのあるやつとないや
つがいるなんざ不公平もいいところだ」
 もうひとりのほうの男が軽やかな調子で述べる。
 水色の髪をした彼は、なにを言うでもなく、ふたりの男をじっと見やって思考をめぐら
せている。情けよりも筋道であると思われるほうをたてるからこそ、こうして律儀さを損
なわない取引が行えるのだろうと。
 その合間にも、先ほどまで語っていた男は、たばこを取り出して火を点け、一度ふかせ
て言う。
「なににしろ、やつらの厄介さは、考えを隠すほうは下手だが、そのわりに暗躍はばれな
いといったところにあるな」
 粗または証拠を残さないというのは、聡明さとはそれほど関係がなく、あらゆる意味で
の潔さにあるのかもしれない。白い煙とともにそんな意を漂わせながら。

 暗い空から白い雪が降り積もる広場では、いまだに彼らによる戦いが繰りひろげられて
いた。淡く輝く銀の髪をした彼と、ずっしりと存在を示すような黒の髪をした彼。彼らは、
今は身体を動かしているというわけではないが、向かい合わせで立ちつくしたまま、互い
が互いの出方をうかがっている。
「なるほどな。俺が襲いかからない限り、言いつけどおり手を出さないか。しかもそれは
条件反射にすぎない。貴様が現状を打破しうる手だてだといわれてる理由が分かった気が
する」
 口をひらいたのは、黒髪の彼のほうである。
「……え?」
 銀髪の彼――レキセイは、事態を理解するのが追いつけないといった様子だ。
「とどまることなく拡散していく、世の悪循環に対して、創造神とやらはどう出るんだろ
うな」
 期待を込めているというわけではない、むしろ皮肉のようでさえある。ますます要領を
得ないといった様子のレキセイ。なにか返答しようとするも、言葉が見つからない。
 黒髪の彼は、補うようにさらに続けて、
「おのれが飼いはじめた人間たちの所業が手に余ったからといって、適当な役どころに持
っていくこともせず、与えるものは罰。思い通りにいかなかったから、当たり散らしたも
同然。救いようがないな」
 いや、神は向こうであるのだから、救われようがないといったほうが正しいか。ぽつり
とそう付け加えられたことはひとまず置いておく。
「子の反応というものは、実に親の様相をあらわしてる。反面教師という場合もあるが。
ならば、それは人間と神の関係にも当てはまるだろう。粗末に扱うといがむ確率が高いこ
となど分かりきってるはずだ」
 そもそも、自身をかえりみずして他人を動かせるはずがないだろうに。そろそろ、故意
に人同士を争わせているのではないかと邪推したくなってきた。そんな意が込められた彼
のため息は、寒さも相まって白濁していた。
 レキセイのはく息も、彼ほどではないがかすかに白い。ぱくぱくと、なにかを飲みこも
うとするような動き。
 黒髪の彼は、時機を計らったかのように問う。
「貴様は、先ほど俺に、理不尽な要求を突きつけられたうえに暴力を振るわれて、あまつ
さえ試された気分はどうだ。さぞ怒りでいっぱいだろう」
「いや、そんなことはない。困惑はしてるけど」
 そう答えられると、彼は再びため息をついて、
「そんなことでは、人どころか神にまでいいように使われるだけだ」
「全く怒らないことはないけど、牙をむく気にもなれない……かな」
 さらにそう述べられると、彼はまたもや戦いの構えをとると、
「なぜだか貴様とは真剣な勝負がしたくなってきた。いや、させたくなったというべきか。
それに、貴様を連れて帰れという令があったのは本当だ。もう遠慮は無用だ。掛かってこ
い」
 レキセイも一応は構えの体勢をとる。そして先ほどの戦闘のありさまを思いうかべる。
両者とも全く同じ動きであり、つぶし合いでしかなかった状態。このままでは解決がつか
ないどころか、無為に傷つけ合って終わるだろうと。
 そんな思索をしている合間にも、黒髪の彼は襲い掛かってくる。レキセイも立ち向かっ
ていく。いや、立ち向かっていこうとした。
 レキセイは、反射で動きそうになった身体をとどめて、なぜだか両方のてのひらを前に
突き出す体勢になった。黒髪の彼も、その異様な構えに気づいて、いったん身を引こうと
するも、付いてしまった勢いはとまらず、そのままレキセイのほうへと向かっていく。
 すると、腹をなぐられた状態でありながらも、向かってきた彼の両肩を受けとめるよう
にして持つレキセイ。ただ、急激に力を加えられたためか、均衡を崩して後ろに倒れこむ。
当の彼は、予想していたためか、地面で頭を打つことはのがれており、背中のほうは打ち
つけているが、それほどおどろいたようでも痛がっているようでもない。降り積もった雪
が衝撃をやわらげていた効もあるだろう。どちらかというと、レキセイの上に乗っている
状態である彼のほうが、状況をのみこめていないようである。
 だれかをしがらみから解放する鍵は、言いくるめるべきでも打ち負かすべきでもない、
むしろその逆にあるのではないか。レキセイなりのとっさの判断であった。
 同時に、不思議な確信があったのだ。この黒髪の彼は、相手に向かっていく頻度こそ高
いものの、致命傷まで与えることは決してしないだろうと。それに、まだ話ができる余地
は残っているのだとも。神への恨みつらみはあっても、人に対しては全くない様子で、む
しろ――。
 そこまで考えたところで、この機をのがすまいとしてレキセイは、
「俺、このままの世界でまだやりたいことがあるんだ」
 彼と視線を交えながら乞う。それはまるで恋うかのように。
「だから、もし俺に現状をどうにかする力があったとしても、勝手ながらもどうにもしな
いし、連れていかれるわけにもいかないんだ」
 そう言いながら、身をよじらせるレキセイ。両方の手は、彼の肩を持ったままであり、
それを支えにして起きあがろうとしている。
 両者ともが立ちあがって向かい合うと、レキセイは今にも歌い出しそうに口をひらく。

 幸福であるためには、得てして練成するか探し当てに行くしかない。
 そのためには、まず衣食住に事欠かない状態であることが必要だろう。つまり、ひとま
ずは安心することができる環境。それを維持するにも油断は禁物なのだ。
 結局のところ、継ぎはぎしていくものでしかなく、仮初めのものでしかないのかもしれ
ない。
 しかし、そうしたものに価値がないかといえばそうではない。例えば雪でできた団子は
似せただけのものではあるが、手を冷やしてまでだれかを思ってつくられたもの、それだ
けで暖かなもの。なにげなくつくったものであっても、結果として安らぎをあたえること
だってある。
 そうだ、世界をその美しいもので埋めつくしてしまえばいい。神とて、妨害することは
できても、そして壊すことはできても、確かにあったものをなくすことはできまい。
 もし、手と手を重ね合うことができたなら、きっと…………。

 ひとしきりたたずんでいた後。夜は深くなってきたが、それによって、ぼんやりとして
いた外灯の明るさが引きたてられていた。雪もいつの間にかやんでおり、街頭に降り積も
った白を残すのみである。
 話を聞き終えた彼は、満足な反応が得られたというふうではないものの、それなりに得
心がいったようではあり、さらに続けて、
「具体的にどうするかは考えてあるのだろうな?」
 そう問われると、レキセイは、困ったように頭に手をやりながら、
「これといった特技があるわけでもないし、俺だと花を植えて育てるぐらいしかできそう
にないな」
「……花が嫌いな人間もいる。ちなみに姉さんがそれだ。正確には、育てている者の姿が
ということだが」
 それを聞いたレキセイは、目をしばたかせる。花そのものに嫌悪をいだくということで
あれば、人によってはそうなのだろうと解せる。しかしながら、育てている者の姿がとい
うのはどういうことであろうかと。花をいつくしんでいる人間こそが、ときに美しくある
と思えるほどでもあった。
「ともかく、今回のところは見逃してやる。急いで連れて来ずとも構わないとのことだし、
貴様が見せてくれる世界とやらにも興味があるからな」
「そ、そうか……。とりあえず助かる」
「だが、ひとつ忠告しておく。急いでホテルへ戻ったほうがいい。今ごろは、姉さんが、
リーナという娘の部屋に乗りこんで攻撃を仕掛けてるところだろう。姉さんは、俺以上に
切れてる。なにを仕出かすか分からん」
 レキセイは、顔色がさっと青ざめるやいなや、
「リーナ!」
 彼女の名を叫んで、素早く彼女のもとへ駆けていった。
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