+. Page 052 | ディルト・リーゼフ編 .+
 夜のリーゼフの都は冷えきっており、空から舞っている雪で徐々に覆われていく。住人
の大半は寝静まっていて、窓から明かりがもれているところもあまり見あたらない。とこ
ろどころに設けられている電灯もほんのわずかの役目しか果たしておらず、視界は良好と
は言いがたい。
 そんななか、足場をとられそうな様子もなく路上を歩いている影がひとつ。成人する手
前であるといった年ごろの男。髪の色は、この時刻とは対照的に、真昼のような空色をし
ている。決して衣類を着こんでいるとはいえず、この低気温のなかに居つづけると凍死す
るのではないかと思わせるほどに薄着である。身体はずいぶんと鍛えられているためか、
寒さで震えている様子は見うけられない。それに、手にはなにも持っていない。財布ぐら
いは懐に仕舞ってあるのかもしれないが。
 彼が向かっている先には酒場がある。ちなみに彼、未成年の身で飲酒をするようには見
えず、むしろ生真面目であるといった風貌である。その酒場はというと、ほのかにきらび
やかなこの町並みとは一線を画して無粋な印象を受ける。みすぼらしいというわけでもな
く、その規模の大きい建物が圧倒的な存在感を誇っている。
 酒場のなかは、明かりに照らされてはいるものの、薄暗さが際だつ。それに生暖かく、
煙草の煙や汗などのにおいで満ちていた。かすかに料理や酒などのかおりもまじっており、
かろうじて呼吸はできるほどではあるが、それらもいずれ消費されていく。彼は、むせ返
っている様子こそないが、やや顔をしかめている。欲動の渦まくような、または宿業の掃
き溜めであるような、この場所。冷たくはあるが清涼な外の空気が恋しく思っていること
だろう。どちらにたたずんでいるほうが生存の確率が上がるかと問われれば、言うまでも
ないことだが。
 じっくりと辺りを見まわす彼。ざっと見ても二十箇所はある席で、男たちが思い思いに
談笑していたり、賭け事に興じたりしている。ふと、そのなかのある一席に目をつける。
酒場のほぼ中心に位置していて、大量のチップが積まれている席。さらには、高価な銘柄
であることを示すラベルのはられた美酒が置かれている。彼は、おくした様子もなく、そ
こへ向かっていく。
 テーブルの上に数種の酒瓶と、大量のチップを積んだまま、席について談笑している男
がふたり。彼らは、だれかが近寄ってきた気配を感じとると、興味深そうにそちらを見や
る。今度はどのようなカモが、どのような用件でやって来たのかと。彼の姿を確認した、
うちひとりの男がからかうようにして言う。
「おいおい、ここは坊やの来るようなところじゃねえよ。とっととおうちに帰って寝んね
しな」
 やって来た彼のほうは、愛想がよいわけでもなく、思いがけず情動に駆られそうな性質
ではありそうだが、機嫌を損ねたというふうではない。このような反応をされることは、
前もって予想していたのだろう。
 すると、もうひとりの男のほうが冷静に言う。
「やめておけ。そいつは、武器こそ持ってないが、大人顔負けの手練れだ」
 先ほどまで軽やかな調子であった男が、戸惑ったように再び彼を見やる。落ち着きを払
っているほうの男がさらに続けて、
「大方、リベラルの犬ってところだろうよ」
「ふん、あんたは話が分かるようだな。ならば、俺があんたらから情報を提供してもらう
権利も認めてもらえるんだな」
 この彼が武器を持って来なかったのには理由があった。力に訴えるつもりはないという
意思表示であり、力量を見破った彼らに、悪いようにはされないだろうという、彼なりの
賭けでもあった。ここの都は寒冷であるうえに、賭博が盛んである。そのため、見きるこ
とに優れた者が見あたらないなどということはないはずだと踏んでいたのだ。それが彼ら
の処世術であり、際どい情報をも提供する能力のある者たちであるならなおさらだと。
「ああ、もちろんだ。客だというのなら相手は選びはしねえし、そいつの事情なんざ知っ
たことねえ。しかしよう、お前が俺たちに支払える対価はあるのか」
 戸惑っていた男が気をとりなおして、不敵な笑みを浮かべながら問う。
「まあとにかく座れ。立たれてたら落ち着かん」
 もうひとりのほうの男が席を勧めると、彼は言われたとおりにする。それからおもむろ
に自身の懐から財布をとり出して、
「俺が欲しいのは、結社エアリスに関しての情報だ。それをあんたらに依頼した場合の相
場はどれぐらいだ」
 淡々と言う彼。脚本の流れに次いでせりふを発する調子で。
「ほお、なかなかいい趣味してるな。俺たちは、一般の企業や団体に関しての情報なら千
リラから提供してる。政界のこととなると二千はもらう。さらに、カーナル教団及びエア
リスに関していうなら三千からだ」
 男に淡々と告げ返されると、彼の眉がぴくりと動く。払えないことはないが苦しいとい
ったところだろう。
 やがて、彼は意を決して、三千リラを差し出す。そこには、彼らが持ち逃げをするだろ
うという疑念はいっさい感じられない。
「結社の構成員について聞きたいところだが、あんたらもつかんではないんだろう。ひと
まず、やつらの目的が知りたい」
 単刀直入で遠慮のない物言いではあるが、客であるからといって傲慢になっているわけ
でもなく、挑発しているふうでもない。
 この寒空の大地で生き抜くために重視することがらのひとつに、効率性というものがあ
る。そのうえ、国境の近くに位置しているためか、外交といった面ではいやおうなく、あ
る種の緊張をしいられることとなる。さらに、数字に敏感な性質の者であれば、まどろこ
いことは好まなさそうだ。よって、彼らにとって、円滑に伝達する能力を持つ者は重宝の
対象である。身もふたもない言いかたがかえって礼儀であると考えたのだろう。
 軽やかそうなほうの男が顔をひきつらせたが、機嫌を損ねたというふうでもない。先ほ
どから落ち着きを払っていた男は、口もとをほころばせて、
「まあな。そんなものを知ってれば、今ごろ大盛況といったところだ。教団の連中とて、
人目を忍んで俺たちのもとへやって来るだろうよ」
 そう前置きすると、台の上に置いてあった酒をひとくち飲んで景気づけて、
「だが、エアリスの考えてることなら察しがつくぜ。なにをしようとしてるかなんてほぼ
明らかだ」
 これがその場をやりすごすための言葉であったり、詐欺であったりする可能性は極めて
低い。彼らは対価を求める気持ちが強いのだ。寒地で過ごしているその分、温暖さを強く
求めるといった理屈だ。裏を返せば律儀であるということでもある。この山積みにされた
チップは、信頼を勝ち得てきたという証であり、鮮度や正確さなどの高さを示している。
余談だが、様々な不安定さの絡んだこの土地が曲がりなりに秩序を保っているのは、こう
した彼らの手腕と気風によるものであろう。
「へへ。そのエアリスとやらの目的ってのが、拍子抜けするような内容でよ。世界をほろ
ぼすためだとさ。おまけに、カーナル神の首をとるためだときた」
 軽やかそうなほうの男が、うって変わって友好的な調子で述べる。
 すると、先ほどから話を進めていた、もうひとりの男が、
「そう考えたほうが分かりやすくはあるが、厳密にいうと世界の浄化、神話からの解放だ」
「……要領を得ないな」
「つまり、彼らの考えでは、この世は、神の住まう世界のアンダーグラウンドにあたると
いったものだろう。そう、カーナルなど信仰の対象でないどころか天敵、にせものの神で
あるといった主張を掲げた団体だ」
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