銀世界の町並みがあった。空は薄暗くあるが、街灯や民家の窓からこぼれてくる光が、
静かに降りそそいでくる雪に反射して、幻想的な雰囲気を演出していた。
そんな町なかの、とある民家。とりたてて広いというわけではないが、狭いというわけ
でもなく、ひとつの家族が住まうにはじゅうぶんであった。
居間には年端もいかない少年がひとりと、その奥にある台所では、彼の母親が、旦那の
帰りを待ちながら夕食の準備をしているといった光景。旧式のこん炉で煮立てている、な
べのなかにある料理から、香辛料が効いたような、それでいて甘いような香りが漂う。と
きおり、子に笑顔を向ける母。子は、そんな母を見つめ返す。そして、母親が再び調理に
いそしみだすと、少年は再びそれを見守りだす。
やがて、父親が帰宅してきた。それを出迎える少年。そして、子の身長に合わせてかが
み、彼の頭をなでる父という場面。
それと同時に、食事の準備を終えた母親が、料理の盛られた皿を食卓に並べる。主とな
るものは、雪のように白く、それでいてほかほかと湯気の漂うシチュー。ほかにはパンや
サラダなど。ごくありふれたものではあるが、清潔感のある食卓や食器に加えて、色とり
どりな見た目の盛りつけが心地よい調和を生みだし、食欲をそそりたてる。そして、家族
が全員とも席に着いたところで、いつもの団らんが始まるのだ。
食事を終えると、母親が食器を洗っているかたわら、居間のほうでは父親と少年が、長
いすを背にして並んで座り、本を読むなどして楽しむ。
入浴して一日の疲れを洗い流した後は、父親と母親、そして子を間に挟んでのひととき。
他愛のない会話、ともすれば会話にもなっていないようでもあるが、心を通い合わせるに
はじゅうぶんであった。ときに、強く出た母親に、なだめようとして裏目に出たらしい父
親。どうやら、こっけいな話を持ち出した彼が、彼女をあきれさせでもしたようだ。そん
な両親の戯れを、不思議そうに、それでいておもしろいものでも見ているかのように、交
互に目をやる少年。そんな少年に、両親もそちらを向いて笑いかけた。
一日の終わりを告げる、就寝の時刻。家族ともども穏やかに眠り、そして次の一日を迎
える――はずだった。いつからだっただろう、そんな家庭に終焉が訪れたのは。
町じゅうが寝静まり、だれも起きていないであろう時刻にそれはやってきた。ガラスの
割れる、鋭い音が。食器を落とした程度の規模ではない、だれかによって窓が破られたの
だ。その窓から侵入してきた者によって、家の中のものが次々と壊されていく。
さらに、耳の奥まで響くような音。母が目を覚ますと、子もそれに倣うかのように目を
ひらく。何者かがやってきた部屋のほうでは、一家のあるじである父親が、これ以上の進
入を許すまいとして武器を交えていた。母親のほうは、わりあいに取り乱した様子はなく、
事態をのみこめていない様子の息子の手を引いて玄関のほうへと向かっていく。
母と子が、玄関の扉をひらけて外に出たそのときだった。近くで構えていたらしい、侵
入者の仲間に、母親が背後から殴打されたのは。そして、冷たい雪の上に突き伏せた母に、
子はただならぬ様子を感じて、雪風や足場に妨げられながらも駆け寄ろうとする。すると、
――逃げて!
とどろくような風の音さえも切り裂かんばかりの、女の叫び声。母が子に向ける、悲痛
な願い。逃げて、逃げて、逃げて……どうにか残っている力を振り絞るようにして繰り返
される言葉。子のほうは、そう言いつけられても、さすがにそのとおりにしていいものだ
とは思えないようだ。そうする気にもなれなく、なおも母のもとに駆け寄ろうとしている。
そのとき、子は、母のいるところとは逆の方角に引き寄せられる。吹雪の影響だろうか。
いや、子にとってはもっと抗い難い、強烈な力。
――お母さん!
そう叫ぶも、母と子の距離はぐんぐんとひろがっていく。
やがて、視界が白くなっていき、なにも見えなくなっていったとき。ぽちゃりと、耳を
突くような音とともに、急に暗転した。
レキセイが目を覚ました場所、そこは優美なホテルの一室であった。それとは裏腹に、
彼の表情は絶望に染まっていた。まるで、安らぎから急に激流のなかへと放りだされたか
のような。よほど夢見がよくなかったに違いない。
レキセイは、徐々に現実の感覚を取り戻していったようで、不意に辺りを見まわす。ふ
たり用の部屋に、彼ひとり。もうひとつの寝台の上には、彼のもの以外の荷物と、そのか
たわらの壁に立てかけられている大剣。そうだ、ここで一緒に泊まっていたアルファース
は、買い出しをするために外へと行ったきりであったのだ。ずいぶんと遅いなと思い、時
刻を確認したところ、まだ日付は変わっていない。レキセイが眠っていたのも、あれから
少しの間だけだった。
ふと、数時間ほど前に会ったエナのことを思い出すレキセイ。不敵な様子で悪態をつい
ていたこととは裏腹に、どことなく優しげな彼女のことを。この都に数多くいるシルヴァ
レンスという姓の住人のなかから、彼の両親でありそうな者たちを、明日の夕刻までに挙
げておくと言っていた。そして、その姓を聞いた途端にひろがったどよめきのなかで、教
団の関係者のなかでもすさまじい影響力のあったシルヴァレンス夫妻のことを語っていた。
件の夫妻の一家は、全員の死亡が既に確認されているとのことだ。同じ姓であるとはいえ、
レキセイとはゆかりがないことが明らかであるのだが、彼自身は他人事だとは思えないよ
うである。とにもかくにも、今のところ、エナから得られそうな、有益な情報はなにもな
さそうであった。
それとは関係なしに、レキセイはただ彼女と話がしたいと思い立った。そして早速、彼
女がいるところへ行こうとする。通路に出たところで、隣の部屋にいるリーナに声を掛け
て行こうかとも考えたようであるが、寝ているかもしれないとも思い、そのまま外へと向
かっていく。
そして、出入口に差しかかったところで、
「おや、お出かけでございますか」
壮年ではあるが若々しい雰囲気の支配人が、彼に声を掛ける。
「はい。少しの間、娯楽場のほうへ」
「さようでございますか。きっとエキサイティングな時間をお過ごしいただけるかと存じ
ます」
実際には賭博をするために向かうのではなく、そこを経営しているエナと話がしたいた
めであるのだが、レキセイは、訂正するほどのことではないと思ったようで、支配人に軽
く合図を送ると、そのまま目的の場所へと向かっていった。
外は雪がちらついていた。そのためか、人通りは見当たらない。一握りの例外を除いて
は。
レキセイが、広場を通過しようとしたところ。明かりに照らされて現れている彼の影。
彼は立ちどまって、ふと影のほうを見やり、向かい合うかたちとなる。夜ふけの時刻で、
そのうえ視界はかすんでいるというのに、くっきりと頭身そのままを映し出したかのよう
な。いや、影ではなく、人が立っているのだ。それも、髪の色や顔つきこそ違えど、姿か
たちはレキセイに酷似している者が。
レキセイが話しかけようとした、ちょうどそのとき。影――かの者は、素早く躍り出た
かと思いきや、彼に襲いかかってきた。
同時刻。この都に設けられているホテルのほうから、ガラスが割られる鋭い音。食器を
落とした程度のものではない。だれかによって窓が破壊されたのだ。現場は、リーナが宿
泊している部屋である。
まだ起きていたらしいリーナは、突然のことでおどろきを隠せず、崩れるように座りこ
んでいながら後ずさる。
割られた窓のほうに立っているのは、リーナよりやや年上といった容姿である彼女。し
かし、憎悪に支配されきったその表情は、女性のものであるとは思えないほどだ。うなる
ような風の音がさらにそれを際だたせる。
リーナは、おびえきった表情で、ようやくというよりも反射的に、
「だ、だれ……?」
そうたずねるも、窓側にいる彼女が返答する様子はない。
辺りを流れる冷たい沈黙。彼女がようやく口をひらいたかと思いきや、
「かのお方の厳命により、お前を捕らえる。または死に処する」
抑揚のない、低く重い声でそれだけを告げた。
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