「待ってくれ、そっちは町の外……っ!」
叫ぶ、というほどでもないが、彼――レキセイにしては、ろうばいしている様子が見て
とれる。
レキセイが、足に閃光がともったかのような勢いで駆けだそうとしたそのとき、
「せいやあ」
と、少女のように甲高い掛け声とともに、彼は、足場を失ったかのように均衡を崩しそ
うになる。
レキセイが振り向いた先には、リーナが、槍を下方で突き出すようにして構えていた。
彼の脚力に付いていくことは不可能だと判断したためか、刃先で彼の足を突いたようだ。
「リ、リーナ?」
なぜこのようなことをしたのか、確認の意をこめながら、あっけにとられた様子で彼女
の名を呼ぶレキセイ。
「もうっ、そんなに慌てなくても平気よ。大きな剣を持ってたんだから」
大剣と呼ばれるなかでも身の丈ほどの長さのものを扱えるということは、技術や腕力を
それなり以上に身につけており、凶暴化した動物を相手にすることもたやすいのだろう。
重装備でもなく、胸当てを着けている以外は普段着とほぼ変わらない格好であったことか
らも、腕前の自信が見てとれる。
「そうなんだけど、なんだか思いつめてたみたいで、気になって……」
「まあ、この都があんなことになった後だし、無理もないとは思うけど」
「とにかく追おう」
「そうね。彼が走ってった先は、リーナたちが行こうとしてる方向と一緒だし、さがしな
がら行きましょ」
クロヴィネア地方の、都心から離れた場所の、とある小さな町。
ここもやはりなだらかな土地であり、建物の周囲にちりばめるようにして畑がある。主
な建築は木造であり、造花などがさりげなく施されており、こじゃれた雰囲気を漂わせて
いる。
「お店がいちばんセンスいいわね。あそこにしましょ」
と、町の一角から、少女の声。
そこには、とびはねるようにして目的の場所へと向かうリーナと、その後に続くかたち
で歩くレキセイの姿。
彼らがやってきた飲食店、その内装は、洗練されているといったふうではないが、清潔
な印象を与える。客人の姿もあちこちにうかがえる。
「あ。あの人……」
レキセイがつぶやき、目を向けたその先。鮮やかなまでの空色の髪をした男が、ほおづ
えをついて座っている。ややおとなびた印象ではあるが、年の頃はレキセイと変わらない
ようである。そして、そのかたわらには、彼のものだと思われる大剣。
レキセイとリーナは、彼のほうへと足を進める。
「ちょっと、すみません」
レキセイが、対象に聞こえる程度の声でそう呼びかける。
当の彼は、本当に聞こえていないようで、ぴくりとも反応しない。表情にも、わずかな
変化も見受けられない。一見すると不機嫌そうであるが、憂えているとい
ったほうが適切か。
「ねえってば」
今度は、リーナが、周囲にも聞こえそうなほどの声で呼びかける。やはり、彼の様子は
先ほどと変わらない。
やがて、新たな来客があり、扉をひらく音がかすかにした。
すると、彼は、ほおづえをついたまま、なにげなく目を向ける。人の気配に鈍感だとい
うわけではないのだろう。
彼が、視線を戻したところで、
「うううう、ううううっ」
リーナが、うめくような声を発した後、
「もうっ、ばか! ばかばかばかばか」
壊れたぜんまい仕掛けの人形のように、大声で連呼する。
レキセイは、思わずおどろき、そして周囲を見まわす。リーナの声に反応している者は
おらず、思い思いに食事や会話をしているのみであった。
「おい、なにごとだ」
と、辺りを見わたしながら声をあげたのは、先ほどまでほおづえをついていた、目の前
の彼。
ほかの客人たちも、それに反応して、彼らのほうに一斉に目をやる。そして、なにごと
もなさそうだと認識すると、すぐさま向きなおった。
彼は、レキセイとリーナのほうに焦点を合わせると、ひどくおどろいたように目を見開
く。そして、みるみるうちに青ざめていく。自分で自分が信じられないといった、そんな
形相。
「なによ、聞こえてるじゃない」
ほおをふくらませながら言うリーナ。
「お、お、お、お前ら、いつからそこにいた?!」
「落ち着いてください、少し前に着たばかりですから」
彼の疑問に弁解するレキセイ。会話がかみ合っていないようではあるが。
「な、な、なー?!」
すると、ますますろうばいをあらわにする彼。やはり、他人に見聞きされては困ること
があるというわけではなく、だれかが近くに立っていたことに気が付かなかったことに対
して衝撃を受けたようだ。
「はーあ……」
力が抜けたらしいリーナは、ため息を口に出すと、彼と同じテーブルの席に座り、店員
を呼び出すためのボタンを押した。
「だあああ、勝手に店員を呼ぶなあああ」
今度は妙な方向に気がせいている彼。
「だって、リーナたち、まだ昼食をとってないんだもの」
リーナがそう告げると、彼は、仕方ないといったふうにため息をついた。
勝手に同席して、勝手に食事をするのは構わないらしい。そう解釈すると、レキセイも、
リーナの隣の席に腰を下ろした。
それぞれが、献立の注文を終えると本題に入る。
「――で、わざわざここに来てまでなんの用だ。仕事の依頼か」
「いや、そうじゃないけど、仕事って……?」
レキセイにそうたずね返されると、彼は、しまったと言わんばかりに顔をしかめると、
懐からなにかを取り出す。彼が差し出した身分証明書には、Liberal Support Section と
いう文字が印刷されており、氏名の欄には『アルファース・ライアット』と記されている。
「つまり、リベラルの団員だってことだ」
そして、やれやれと言わんばかりに説明する彼、アルファース。
「なーんだ、同業さんだったんだ。実は、リーナたちもリベラルの団員なの」
リーナがそう告げると、アルファースは、彼らを見定めようとする。それも一瞬のこと
ではあったが、否定の言葉を投げるでもなく、むしろ得心がいったふうでさえある。
そうこうしている合間にも、注文したものが運ばれてくる。レキセイのものが野菜を中
心とした献立であり、リーナのものが肉料理である。アルファースも、もう一食するよう
で、魚料理をたのんでいた。
それぞれ、運ばれてきた食事に舌鼓を打ちながら話の続きに入る。
「――で、仕事の依頼で来たんじゃないなら、なんなんだ」
「都の出入口のほうで、思いつめたような表情をしているなと思って……。それで、声を
掛けたそのときにいきなり走りだしてたから、気になって追ってきたんだ」
レキセイの説明に、アルファースは、今度こそ頭を抱えた。
「まあ、あんな火事の後だと、無理もないと思うわ。リーナだって、なじんだ町がそうな
ってしまったら取り乱しそうだもの」
「……あのときは取り乱してしまったが、俺自身はクロヴィネアの住民ではない」
「あれっ、そうなの?」
「リベラルの仕事をしながら、当てのない旅をしてるんだ」
「ふーん、それで、どこから来たの?」
「…………」
純然な好奇心のままにたずねているリーナであるが、アルファースは付き合いきれなく
なったせいか黙りこんでしまった。
「それで、こっちの方面に向かってる理由なんかはあるのか?」
レキセイが、場の空気を取り持つかのように新たにたずねる。
「……ああ、放火した犯人を追おうと思ってな」
「え、あれって事故じゃないの?」
さらにそうたずねるリーナ。以前の質問についてはすっかり忘却の彼方へと葬られたよ
うだ。
「事故であそこまでの規模になるわけないだろ。だれかが謀ったんだ。しかも、尻尾をつ
かませないようにな」
「どうしてそんなことしなくちゃいけないのよ」
「はっきりとした目的は分からない。だが、なにか都合の悪いものを排除するというのが
大方だろうな」
「…………あっ」
そこまで聞いて、レキセイは、なにかを思い当たったようで、小さく声をあげた。リー
ナとアルファースの視線が彼に集まる。
現地でいざこざを起こし、蔵のなかに捕らえられていた者たちがいた。彼らは、火がそ
こに燃え移ったことで死亡したものとされている。
「なるほどな。それもあるかもしれないが、それだけの理由では不十分だ。そいつらを排
除したいだけだったら、ほかにやりようがあったはずなのに、今回のは大げさすぎる」
「……犯人が逃げたのはこっちなのか?」
レキセイのほうもある程度は予想がついていたためか、割りに落ち着いた様子で話を進
める。
「その可能性のほうが高い」
ここクロヴィネア地方から続く関所は、ディルト・リーゼフとセイルファーデの二ヶ所
である。後者の方面へ向かうと、必ず首都カンツァレイアを経由することとなる。犯罪と
なる行為に及んだ者たちにとっては、そちらは危険な区域となる。それとは対照に、前者
の方面は、もとより治安に問題がないともいえないところであり、多少のことは見のがさ
れやすい。そのうえ、土地の面積だけでいえば、首都圏をしのぐ。潜伏するにも適してい
るというわけだ。
「ひとまず、ディルトとリーゼフの支部に行って、逮捕の手配を要請する」
動いてくれるだろうという期待はできないけどな、と付け加えて言うアルファース。リ
ベラルの団員というものは、数の力で事に挑むには不向きであり、ましてや、ただっ広い
土地で、特定できていない犯人をさがし当てることは、大金を積まれても割に合わないと
いうことなのだろう。
「さて」
そう合図するかのように前置きすると、アルファースは、食べ終わった皿の上にナイフ
とフォークを置いて席を立つと、
「今から、ディルト・リーゼフ方面の関所まで突っ走ってく。じゃあな」
それだけ告げて、去っていこうとする。
「待って」
と、引きとめたのはリーナ。
「ねえ、リーナたちと一緒に行こっ」
そして、自然にそう続ける。
アルファースは、一瞬、なにを言われたかわからないといった様子で顔をしかめ、ゆっ
くりと、それでいて少なくはない息をはく。
「お前らは足手まといにはならないだろうが、俺はひとりのほうが動きやすいんだ」
「なんでよお、行くところは同じなんだから、一緒に行ったほうがお得じゃないの?」
「俺は剣の修行も兼ねてんだ。連れ立ったって、互いに動きにくくなるだけだろ」
「いや、俺のほうも、一緒に来てくれたほうが助かるんだ」
と、リーナとアルファースの会話に一声を入れるレキセイ。
「広い土地でふたり旅となると無事でいられる保証はないし、剣の腕に覚えがある仲間が
いてくれたほうがいい」
そう投げかけられると、しゃべりすぎたことを悔いている様子で頭に手をやるアルファ
ース。リーナは、期待に満ちた様子で彼を見ている。
「だああ、ったく、わかったわかった。俺はお前らと一緒に行く。ただし、行けるとこま
でだからな」
アルファースも、追いはらう気にはなれなかったようで、しぶしぶながらも了承した。
「やったー!」
人目をはばからず、両手を上げながら言うリーナ。
「いいか、お前らを置いて行って、なにかあったら目覚めが悪いというだけだからな。間
違っても仲間ではない。そこを勘違いするなよ」
「それじゃあ、よろしく。ええと……」
リーナが、そこまで言いかけて、言葉に詰まると、
「アルファース・ライアットだ」
「アルファース、よろしくね」
「よろしく、アルフォースさん」
「呼び捨てでいい。あと、面倒だったら適当に呼んでくれ」
名前を間違えられても、アルファースは特に気にした様子もなく、むしろ、分かればそ
れで構わないといったふうである。
「それじゃあ、アルファね」
「アルファ……か。まあ、それでいい」
場所は変わって、百貨店のなか。
このまま目的地に向かおうということであったが、時刻は夕方に近づいており、数人で
行動するとなると、急いで行くというのも難しい。この町で一泊することとなったため、
彼らは、今のうちに食料などを調達しておくことにしたのだ。
「ねえねえ、やっぱりあめは必需品よね」
「それもだけど、チョコレートのほうも」
そう話しながら、菓子の陳列棚で商品を見繕うレキセイとリーナ。
「お、お前らあ……」
ふたりの背後から、うらめしそうな、それでいてあきれたような、男の声がする。彼ら
が振り向いた先にいるのは、
「あっ、アルファ」
「アルフォート」
レキセイは、チョコレートのほうに意識をむけているためか、またもや名前を呼び間違
えた。
「そんな甘っちょろいことでどうする」
彼、アルファースは、特に気にした様子もなく続ける。
「ひとまず調味料、特に香辛料を探せ。それさえあれば、いざ食うものがなかったとして
も、その辺に生えてるものでも毒じゃない限り調理できるんだ」
それもどうかと思うが……。
「あっ、そっかあ」
「それもそうだな」
レキセイとリーナはひとしきり感心していた。
「でも、おやつは欲しいわよね。気分って大事だもの」
「それじゃ、バナナも買っておこう。これだっておやつの仲間だ」
気持ちの切りかえが早いリーナと、どこか遠い星を思わせるような謎の論を繰りひろげ
だすレキセイ。
アルファースは、気がめいったようで、携えていた大剣をつえの代わりにしてうずくま
っている。通りがかる人々の視線を浴びながら。
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