+. Page 024 | セイルファーデ編 .+
 セイルファーデの夜は、ぶきみな静寂が支配していた。
 人通りはどこにもない。稼動しているものといえば、豪奢な造りの噴水に彩られたイル
ミネーション。水に映しだされた光が乱反射し、絶妙な調和を奏でている。観光には絶好
であったはずだ。
 ほかに都を照らすものは、まばらに設置された外灯と、民家や宿泊施設の窓からもれて
いる電灯の光ぐらいであった。ただ、それすらもあやうい輝きである印象を受ける。
 そんななか、ふたり分の人影があった。まだ成人する手前ほどの年ごろといえる男女。
 デートという甘い雰囲気ではない。それどころかどことなくはりつめているようで、同
じ方向へ、ひたすら歩いている。
 彼らが到着した場所は、人が通るような気配もない、路地の片隅。そこにあるものとい
えば、地下にある水路へと続く鉄格子ぐらいなものである。
 彼女、リーナが、携帯用の電灯をぱっと照らす。すると、彼、レキセイは、針金を取り
出し、それを、鉄格子の鍵穴へと挿しこむ。
 ひとしきりがちゃがちゃとさせた後、
「ふう、ひらいた。それじゃ、行こう」
 と、鉄格子の戸を引きながら、相棒である少女のほうを向いて促す。

 地下にある水路の内部では、水の流れや滴りに加え、どこからか、風のうめくような音
が反響し合っている。夜ともなれば、暗さにともない、ぶきみさが増すこと必至である。
 そんななか、ぽうっと、一点の光が現れる。それにともない、かすかに聞こえてくるの
は、ふたり分の足音。光を照らしているぬしであるようだが、身を潜めるようにして歩い
ている。
 彼、レキセイのほうが、なにかを警戒するように、目線をじぐざぐに向けている。
「……ふう。とりあえず、俺たち以外にはだれもいないようだ」
 そして、一息つき、隣で地図のようなものを広げ持っている彼女、リーナにだけ聞こえ
るほどの声で告げる。
「本当?」
「うん。なんだか、視線を感じるような気はするけど……。人数はよく分からない」
「ええっ?」
「でも、本当にただ視線のようなものだけで、なにかの気配があるわけじゃないから、こ
れこそ気のせいなんだろうな」
 念入りに確認するように話を続けているレキセイ。
「そっか。あ、もしかして、カーナル神が見守ってくれてるとか?」
「うーん、そうかもしれないし、違うかもしれない」
 あいまいな返答であったが、彼女のほうは特に気にする様子もなく、相変わらず身を潜
めるようにして歩いている彼に合わせるようにして足を運びながら、次の話題を持ちかけ
る。
「そういえば、認定試験のときの探索がこんなところで役立ったね」
「……うん。感覚は、またつかめたな」
 そう言った瞬間、足をぴたりととめるレキセイ。リーナも、それに続くかたちで立ちど
まる。
「もうすぐ出口……いや、入るんだから入口か。ここからは、声を出さないほうがいい。
その境に、見張りがいるかもしれない」
 そして、地図に付けられたしるしに目をやりながら促す。
「ええ? そんなとこにまでいるかしら? いくら雇った相手だからって、抜け道まで教
えないと思うけど」
「いや、念には念を押しといたほうがいい。ここからのぼって出るとなると、ねらわれて
不利になるのはこっちなんだ」
 どことなく険しい顔つきで告げるレキセイに、リーナは、これ以上言葉を返すことなく、
ただ黙ってうなずいた。
 すっと、再び、足音を忍ばせて歩きだすレキセイ。リーナも、それに続くかたちで歩き
だしていった。
 彼らが歩みを進めていくにつれ、こころなしか、あたりもますます暗くなってきた。水
流や風の音も、区別がつかないほどの轟音を響かせている。ふたりの顔色も、恐怖に塗り
固められているようだ。
 不意に、レキセイが、なにかを探るようにして手をさまよわせる。やがて、彼の手は、
彼女の手を、引き寄せるようにつかむ。リーナも、おずおずと、手を握り返した。
 ふたりは、ひたすら目的地へと進む。電灯のかすかな光と、互いの手のぬくもりを頼り
に。
 しばらくすると、壁につきあたる。その前方を電灯で照らすと、四角の跡がくっきりと
浮かびあがっており、取っ手が付いている。ここが目的地であり、どこかへの入口でもあ
るようだ。
 レキセイは、壁に、寄り添うようにして耳を当てる。ともすると、彼との境界がなくな
ってしまいそうなほどに。
 やがて、彼が、壁から耳を離したかと思いきや、
「うん、この先にはだれもいないみたいだ。行こう」
 そう言い放つと、扉をひらけ、敵地へととびこんでいった。

 レキセイとリーナがたどり着いた場所は暗い部屋であった。
 辺りを照らしているものといえば、彼らが持っている、携帯用の電灯。または、通路側
の、扉のすき間からもれている光ぐらいである。
 この部屋には、普段は使わない道具などが収められているようだ。個人が使用できるほ
どの広さがあるというのに、納屋がわりにしていては、ここに地下への隠し扉があるのだ
と自白しているようなものである。
「そうだ、これ。くつの裏のよごれをふき取るための」
 不意に、彼が取り出したのは、濡らしてある二枚のタオル。どうやら持ち歩いていたよ
うだ。
「あ、そっか。一応、人の家に上がるわけだから、土足はだめよね」
 すぐさま了承の意を示すと、流れるような動作で、それを受け取るリーナ。
「いや、それよりも、逃げるときに足跡をつけないようにするためだな」
「なるほどね。でも、それなら、くつを脱いでいくのはどう?」
「それはやめておいたほうがいい。もうここは来ないかもしれないし、いざというときに
動きにくかったら困るから」
 リーナは、うんうんとうなずくと、これ以上なにも聞く様子もなく、所持していた電灯
のあかりをたよりに、くつの裏に付着したよごれをぬぐう。
 両者とも、その作業を終えると、電灯のあかりを消し、扉のほうへと向かっていった。
 ちなみに、この電灯は、いざというときに手がふさがっていては不便であるとのことで、
置いていくことにしたそうだ。

 レキセイとリーナは、足音を忍ばせつつ、なにかを求め、設置されている幾灯かのあか
りによって照らしだされている通路を歩いている。
 しかし、辺りは、ぶきみな静寂に支配されているようで、その明るさが、逆におそろし
さをかき立てるふうでもあった。
 曲がり角に差し掛かったとき、別の一団と鉢合わせる。
 全身を黒い服に包み、サングラスを装着している男がふたり。それに、なにか、黒く細
長いものを構えている。
「わ、見つかっちゃった」
 そのとき、男たちは、手にしているものを、それぞれ、レキセイとリーナの心臓のほう
を目掛け、
「――――! 伏せろ!」
「……え?」
 レキセイが声をあげてかがむと、リーナもそれにつられるかたちでかがんだ。
 その刹那、打ち上げた花火が爆発するような音をたて、なにかが、風を切るようにして、
彼らのほうへ向かってきた。
 レキセイとリーナの頭上を貫通したものは、彼らの背後にある壁にめりこみ、その周囲
には亀裂ができていた。そして、そこからわきたつような、一筋の煙。
「――――っ」
「わわ」
 不意に、レキセイは、リーナを担ぎ、身を翻すようにして曲がり角へと隠れる。
 男たちも、ふたりが向かっていった方向へ、銃弾を発砲する。しかし、ふたりの姿は、
既に、その場にはなかった。念入りに、その通路側の部屋も確認したが、どこにもいない。
 レキセイとリーナが逃げこんだ先はというと、どこかの部屋であった。辺りは暗く、扉
のすき間からもれているあかりが、視界をかすかに照らしているのみである。ちなみに、
ここは、先ほどの曲がり角からさらに曲がった通路側にある部屋である。
 彼らを追っている男たちは、レキセイの俊足は計算外であり、ここまでは追ってこない
ようだ。人をかついでいる相手となると、なおさら、ここまでは逃げこめないはずだとい
う心理が働いたのだろう。
 レキセイは、両手をひざにつき、うなだれるような姿勢で、息を切らしている。彼女を
かついで疾走したことを差し引いても、その顔色は青い。それは、辺りが暗いからという
だけではなさそうだ。
 リーナは、状況をのみこみきれているのか否か、ほかんとしたまま、レキセイを見やっ
ている。やがて、口をひらき、
「ねえ、レキセイ。あれはなあに? どうなってるの?」
「あれは――銃器だ」
「じゅーき?」
「火薬入りの弾を発砲させる道具のことだ。あれに当たったらひとたまりもない」
 そう話している合間にも、威嚇射撃は激しさを増していっているようだ。
 レキセイは、それでもなお、頭のなかでなにかをめぐらせるように考えこんでいたかと
思いきや、
「リーナ、カノンさんからもらった煙幕は持ってるか?」
「え、うん。でも、これで弾から逃げられるの?」
 リーナは、携帯用のかばんから、爆弾のかたちをしたそれを取りだす。
「いや、そのすきに、やつらの持ってる銃器を、俺が奪い取るんだ」
 いっさいの迷いもなく、そう提案するレキセイ。
 銃声の音は、この場から遠ざかる。足音も、次第に小さくなっていく。
「……北のほうへ行ったみたいだな。リーナ。これで、やつらの背後をねらって、すきを
作ってくれ」
「……うん、了解よ」
 先ほどからどことなく険しい顔つきのレキセイに、あっけにとられていたらしいリーナ
も、すぐさま承諾の意を示した。
  
BACK | Top Page | NEXT