+. Page 023 | セイルファーデ編(夢境).+
 ある日の夕ぐれ時、森のなかにたたずんでいる、一軒の館でのこと。
 食事の準備をしている、家主と思しき青年の姿があった。そして、彼の後ろで手助けを
しているらしい、やや紫の掛かった銀髪の少年と、薄紅色の髪の少女。
 青年は、鼻歌交じりに、調理を手がける。少年のほうは特に変わった様子はないが、少
女のほうはどうしたわけか心ここにあらずといった様子であった。
「よーし、できた」
 青年は、弾むような声と同時に、ぱちっという小気味のよい音をたてて、こんろの火を
とめる。
「おーい、お皿持ってきて」
 そして、陽気な、それでいて落ち着きを感じさせる声で、ふたりに呼びかける。
 やがて、ふたりが戻ってくると、彼らが手にしている皿へ料理を盛り付けていく青年。
 それからしばらくして、料理が盛りつけられた皿を手にしたままなおも立ちつくしてい
る少女。
 彼女の目に映っている光景は、たそがれの色よりも暗かった。今にも、闇にのまれそう
な世界。すべての感情や観念からも切り離されてしまいそうなほどに。
 そのとき、がらがらと、世界が崩れていくような音がした。それとともに、なにかが勢
いで飛び散り、びちゃびちゃと音をたてながら滴り落ちる。
 彼女の表情はというと、このうえもなくうつろであると同時に、深えんをのぞきこんで
きたかのような激情を秘めているようであった。
「リーナ!」
 不意に呼ばれる、彼女の名前。
 その声の主は、いつの間にか彼女と目線を合わせるようにかがみ、支えるようにして彼
女の両肩をつかんでいた青年。
「大丈夫? どこもけがしてないかい?」
 さらに、そっとのぞきこむようにして問い掛ける。
「あ……う……」
 リーナは、どうにか声を絞り出したといった状態で、彼を見つめると同時に光が戻って
きたようであった。
 彼女が意識をひらいた先には、先ほどまで手にしていた皿が転がり落ちており、そこに
盛られていた料理は散乱していた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝らなくていいから、ね。とにかく、君が無事でよかった」
 壊れた操り人形のようにひたすらおろおろしている彼女に、不安にさせまいとしてにこ
やかに告げる、食事を準備していた当の青年。
「うん、拾って食べれば大丈夫」
 と、そのかたわら、床にかがみ、その場に散乱しているおかずを拾って口にしている少
年。
「だああ、レキセイってばなにやってるの」
「床は掃除したばかりで、おかずはきれいなままだから」
 さらりと、なんてことはないといったふうに彼、レキセイ。
「ああ、うん。君ならそう言うと思ったけどね、ほら、こう、雰囲気っていうものもある
だろう?」
 青年は、頭の後ろに手をやり、かすかに笑っている表情で説明する。
「そ、そうなのか。それは悪いことしたな」
 すると、レキセイは、ややたじろいだようになる。
 リーナは、そんな彼らのやりとりを、ぽかんとして見つめている。
「ははは、まあいいさ。それじゃ、もう一皿盛りなおして晩さんにしよう」
 かく言いながら、青年は、ふたりの背中を、食卓のほうへと同時に押していく。
 準備が整い、これから晩さんにありつこうとする彼ら。そのとき、世界は徐々に暗転し、
やがて閉じていった。

「…………ナ。……リーナ」
 不意に、どこからか、彼女の名前を呼ぶ声。それは、遠くからのもののように思えて、
隣にいるかのように近かった。
 当の彼女が目をひらいた先には、青年と少年の中間くらいの顔つきの彼がいた。やや紫
の掛かった銀髪が特徴的だ。
「あ、やっと起きたか」
 眠りから覚めたらしい彼女は、彼にそう呼びかけられたのを合図であったかのように、
辺りをきょろきょろと見やる。そこは、ひとが生活している部屋というにはややみすぼら
しく、冒険者たちの詰所といったところであった。
 ふっと、彼女の顔には、どことなく落胆の色が浮かびあがる。
「どうした? 顔色がよくないみたいだけど、大丈夫か」
 そして、そっとのぞきこむようにしながら言う彼。
「うん、大丈夫よ。昔の夢を見て懐かしくなってたうえに、あとちょっとで食事にありつ
けるとこで目が覚めて、せっかくの雰囲気が台なしになっちゃっただけだから」
「う、それは悪いことしたな。時間が来たから呼びに来たんだ」
 ややたじろいだ様子の彼。時刻は夜。真夜中に差しかかろうとしているところである。
「そう。それじゃ行きましょ」
 と、彼女は、先ほどの様子とは打って変わって、寝台からひょいと降りながら言った。
「あ、そうだ。これ、リーナにわたしてくれって言われてたんだ」
 彼が差し出したものは、切れ具合には期待できそうにないが、壊れにくいようしっかり
と作りこまれている槍。
「……もし、ひとと戦うようなことがあれば、これを使ってくれだって」
「へえ、用意がいいじゃない。あの受付さんさすがね」
 リーナは、滑らかな手つきでそれを受け取ると、出入口のほうへと足を進めていく。
「ふう……、そういうことは、起きてほしくないけど」
 そうつぶやくと、彼も、それに続くかたちで、この場を後にした。
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