時刻は昼にさしかかろうとしている。そんな明るさに際だち、ここ、セイルファーデの
都も、きらびやかな外観に加え、観光するにはうってつけであった。
それとは裏腹に、暗い影を漂わせている人々。そんな彼らが集まっている建物には、L
SSという文字が浮かんでいる看板が掲げられていた。
「わあ……、支部の前にまで人がいっぱい……。レキセイ、どうしよう」
そのやや遠くのほうから聞こえてくる、無邪気なような、力が抜けているような、少女
のものと思しき声。
その先にいるのは、年頃の男女が一組、レキセイとリーナ。消沈しているふうではない
が、疲れは見てとれる。どうやら、彼らも、LSSの建物に向かっているようだ。
「捕まったら、提案をとりつけるどころではなくなるな。非常口のほうから入ろう」
レキセイがそう告げると、彼らは、裏手へとまわっていく。
その内部の窓口、そこには、困り果てた様子の男性。この場の責任者なのだろう。彼は、
見るからに疲れきっている面持ちである。
扉の向こうの外からは、大勢の怒声のような悲鳴のような、様々な嘆きがぶつけられて
くる。窓口にいる彼は、静まるまで耐え忍んでいるようだ。
「ただいま戻りました」
不意に、非常口のほうから聞こえてきた声。
「……ん? あ、ああ……きみらか」
すると、表口のほうへ注意を払っていたためか、レキセイとリーナの姿に気がついてい
なかったようで、心ここにあらずといった様子で応じる責任者である男性。
「やっぱり……通してはもらえなかったです。むりやり通ろうものなら、武力の行使も辞
さないみたいで……」
とぎれとぎれに報告するレキセイ。
そのとき、辺りに流れる、張りつめた沈黙が辺りを支配する。それは、ものの数秒ほど
であったが、ずいぶんと長い時間そうであったかのように。
「市長……あいつはね、何日か前までは、わたしはもちろん、ほかの市民たちをも、屋敷
に招き入れてたことがたびたびあったんだ」
責任者である男性が、ゆっくりと口を開いたかと思いきや、最後に言い残しておかんと
せんばかりに語りだす。
「ほえ? そうなの?」
すると、相棒である彼の隣から、きょとんとした顔で聞き返すリーナ。
「ああ。互いに休息の時間であったときは、茶を飲みながら談笑しあったもんだ」
そして、遠い昔に思いをはせるような面持ちで答える。それも一瞬。みるみるうちに険
しい顔つきに戻り、
「あいつは、どんな状況であれ、あそこまでひとをかたくなに拒んだりしなかった。まし
てや、警護の者を雇ってなどなかった」
苦しげにそこまで語ると、力いっぱい息を吸いこむと、
「まったく、いったいどうしたというのだ!」
爆発させるようにしてはきだした。
――沈黙。ぴんと張りつめた空気。それは、永遠と感じられるほどの間。
「……俺は、やっぱり、市長に会いにいきます。話を聞いて、流通経路をどうにか確保す
る手段を見い出して……」
そんななか、やっとのことで言葉を紡ぐレキセイ。
「できることなんて、もう残ってないと思うがね」
かくいう責任者である男性の口調は静かなものではあったが、顔つきは鬼気迫るものが
あった。
そんな彼らの顔を交互に見やるリーナ。どうにかレキセイの肩を持とうとしているが、
返す言葉が見つからないといった様子である。
「……まずは、市長の屋敷に入るんです。地下にある水路のほうから」
「あっ、そっか。これだけ水を引いてるのなら、地下のほうに水路くらいあるわよね。そ
れに、市長さんの家なら、そこの通路とつながってるでしょうし」
負けじと申し出るレキセイと、ぱっとあかりが点いたような面持ちで言うリーナ。
そんなふたりの調子に目を丸くする、責任者である男性。しかし、今は非常時であるた
めか、それもすぐにかき消え、
「たしかに、あいつの屋敷と地下にある通路はつながってるとは聞いたが……、水路へ入
るための鍵はあいつが管理してるんだ」
かすかにろうばいしながらも、内情を語りだす。
「それなら、針金のようなものでもあればどうにか」
すると、なんのけもなくそう告げるレキセイ。
「あ、ああ。それならあるが……」
男性は、それだけ答えると、窓口の奥のほうへとゆき、ひきだしから針金を取り出す。
「あっ、それから、携帯用のランプもね。それがないと暗くて見えないから」
さらに、無邪気な調子で告げるリーナ。
レキセイとリーナは、目的のものを渡されると、どことなく満足げであった。男性は、
そんなふたりを交互に見まわすと、
「……きみらは、本気でどうにかするつもりかね。確かに、民間でのトラブルは我々の出
番だが、度を越してて手をこまねいてる状態だ。ましてや、きみらはセイルファーデの住
人ではない。そこまでしてもらう義理合はないはずだが……」
ぽかんとした表情で、ひとつひとつ確認するように語りかける。
「義理がないわけでは……ないです……」
ぽつりと、そう言葉を発するレキセイ。そんな彼のほうへと、視線が一斉に向けられる。
「俺は……昔から見てきました。不当に、飢えに苦しんでる人たちを。そして、自分の意
に反しながらも、ひとの物に手を出すしかなくなって……。お互い、苦しい思いをするだ
けで、なんにもならない」
静かに、それでいて意志の強さをうかがわせる口調はそのままに。一定の調子で語った
後、息を深く吸いこむと、
「だから、黙って見てることなんてできません」
穏やかではあったが、決然とした様子で言い放った。
辺りは沈黙。しかし、そこに流れているのは、緩やかに張りつめられた空気であった。
「レキセイがただじっとしてるなんて、最初から全然思ってなかったもの」
するりと入りこむようにが告げるリーナ。彼女は、あきれているふうでありながらも、
悪い気はしていないようだ。
「それに、待ってたってどうにもなりそうにないし、返ってストレスがたまるだけだから、
気にしなくていいわ」
続けざまにそういう彼女の表情は、安らいでいるようでさえあった。
「え、ええと……。そういうわけなので、できうる限りのことは遠慮なく振ってくれると、
こっちも助かります」
そして、レキセイは、ばつが悪そうに口ごもりながら告げた。
「そうか。そういうことならば、大いにたよらせてもらおう」
「というか、ここの仕事も全部奪う勢いですから」
「レキセイってばあ……」
さらにそう勢いづけるレキセイに、さすがにあきれたらしいリーナ。
辺りに、かすかに漂う安らぎ。つかの間のひととき。
「それじゃあ、早速忍びこみに行く?」
ひょっこりと、レキセイをのぞきこむようにしてたずねるリーナ。
「いや、夜を待とう。地下に入りこんでるときに、だれかに見つかったら大変だから」
「そっかあ。でもどうしよう。寝ておくにはまだ早いし、ほかの仕事をしながらでも時間
は余りそうだし」
リーナは、上目の表情で考えをめぐらせる。
「その合間なんだけど、住民たちの署名を集めながらにしようと思うんだ。市長がなんら
かの理由で動けないんだとしても、それさえあれば名義分にはなるはずだ」
「あっ、なるほど」
そして、リーナは、先ほどとはうって変わって、ぱっと明るい面持ちで相打ちをうった。
「なにからなにまですまないな」
「気にしないでください。両親のことを尋ねながらいこうと思ってるので、自分の取り分
もありますから」
「もう、レキセイってば。まあ、なんでもただにしないとは思ってたけど」
「話は分かったが……。さっき逃げてきたと聞いたが、今から行って大丈夫かね? 市民
たちも、まだ荒れているようだが」
「まあ、あれだけ動けるなら、気力はまだあるってことでしょ? それじゃあ、署名はな
んとかもらってくるわね」
「うん、彼らだって悪い人ではないから大丈夫だと思うけど……やられるまえに呼びかけ
る。だけど、リーナ、俺から離れないでくれ」
「了解よ。すぐに手の届く位置にいればいいのよね」
こうして、レキセイとリーナは、紙やペンを受け取ると、早速、荒地のような状態の外
へと飛び出していった。
――夕刻。人々は、一日のなりわいを終え、帰路に着く時間帯であった。
しかし、その彼らはというと、生気を吸い取られたかのように消沈しているふうである。
たそがれ色の空が、それを引きたてているふうであった。
そんななか、疲れたような風ぼうでありながらも、地に足を着けてどこかへ向かってい
る影がふたつ。レキセイとリーナであった。ふたりが入ろうとしている建物には、LSS
という文字が浮かんでいる看板が掲げられていた。
「た、ただいまあ……」
力の抜けたような声を発しながら、裏口の扉をあけて入るリーナ。そのやや後ろには、
構えるようなかたちで、レキセイが立っている。
「お、おお。おかえり。どうだったかね?」
窓口にいる男性は、ずんと疲れたような面持ちであったが、自分の子を家に迎え入れる
ような口調でふたりに語りかける。
「俺の両親について心当たりがある人はいないようでした」
あくまで淡々とした調子で受け答えるレキセイ。
「でも、全員分の署名は集めてきました」
そして、様々な筆跡で名前がびっしりと書かれた用紙を前へ出す。大人のものから子ど
ものものまであるようだ。
「おお、ご苦労さま。それで、彼らと接してたときは大丈夫だったかね?」
「危うくまたのまれかけたけど、レキセイが、みんなに向かって、署名のことをわっと呼
びかけたら収まったわ」
かく言うリーナの表情は、やれやれと言わんばかりだが、いつもどおりのものであった。
「ハトさんと遊んでた人って認識もあったみたいだったもんね」
そして、いたずらっぽい表情で、レキセイのほうを向いて解説を付け加える。
「遊んでたというか、いつのまにかそうなってたというか」
「ははは。ともかく、これで、あいつも、住民たちが助かるほうへ動かしてくれる」
そんなふたりのなかへするりと入りこむようにして、責任者である男性が告げる。
「そううまくいくかしら?」
「確かに、あいつの周りはきな臭くなってきてるうえに分からんことだらけだが……。あ
いつは、いつどんなときだって、彼らの声に耳を傾けないことはない。これだけは断言で
きる」
男性の、疲れているような面持ちは相変わらずであったが、その目には光のようなもの
が宿っていた。
「ところで、動き出しやすいよう、ここにある部屋を借りていいですか」
不意にたずねるレキセイ。
「ああ。それなら非常口付近の部屋を使ってくれ」
「ふああ、リーナももう眠いわ」
すると、リーナは、今になって思い出したようにあくびをしながら言うやいなや、
「それじゃあ、レキセイ、行こっ」
くるりとレキセイのほうを向き、にこやかな表情でさそいかける。
「うん。地下にある水路をわたるだけでも体力を消耗してしまうし、武力行使しないとい
けなくなったらなおさらだ。真夜中になるまではぐっすり寝ておいたほうがいいな」
レキセイは、めい想するような表情で、一定の調子でつぶやく。そして、リーナに続い
ていくかたちで、招かれた部屋へと向かっていった。
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