+. Page 019 | とある少女の過去 .+
 外の世界は、闇に包まれていた。
 星たちや、建物の窓から漏れてくる光はほとんど消えており、人通りもないに等しい。
そんななか、だれかが、携帯用の電灯を手にしながら歩いている。暗さに紛れてよく見え
ないが、影からして、背格好の高い男であるようだ。
 この都を見わたした先に、いまだにまぶしいくらいのあかりが点いている、とある建物
がある。彼は、そちらへと向かい、そして、
「やあ、こんばんは。こんな時間までお仕事で?」
 と、その建物のあるじと思しき女性に、声を掛ける。女性は、びくっとした後、声のし
たほうへと、おそるおそるふり向く。
 電灯の光により、彼の顔が映しだされる。果てがないほどの柔和な笑み。紳士的だと言
っても差しつかえはないが、どことなくあどけなさも残る。まだ若い青年であるようだ。
そして、白い法衣に身を包んでいた。なぜか、大きい箱も抱えている。
「あ、いえ、とっくに閉店はしてたのですが……、服を売ってくれと言われて起こされて
……。柔和そうな女性の方だったのですが、笑顔にすごい迫力が……」
 やがて、店主である女性は、おどおどしながらも、事の様を語る。
「そうでしたか。困ったお方がいるものですね」
 苦笑いのような表情でありながらも穏やかに応じる彼、ラフォル。女性は、不思議そう
に、彼の顔を見あげる。
「しかし、祭りも終わり、人通りもほとんどなくなった。もうだれも来ないでしょう。で
すから、あなたも安心してお眠りなさい」
 そして、ラフォルは、先ほどの穏やかな笑みで、物語を読み聞かせるような口調で告げ
る。
「え、ええ。それでは、わたしはこれで、もういちど眠ることにしますね」
 女性は、先ほどよりは緊張がとれた様子で応じると、建物のなかへと入っていった。
「おやすみなさい。どうぞよい夢を」
 扉が閉まる音と同時にそう投げかけた後、ラフォルも、再び闇夜の都を歩きだす。
 ラフォルが向かった先は、駅。辺りを明るく照らす電灯。しかし、彼以外のだれもいな
いこの場所は、どことなくさびしさをかもしだしていた。
 ラフォルは、先ほどから持っていた箱を両手で抱え、それを、穏やかな面持ちで見やっ
ている。相手に届けることを楽しみにしているといったふうである。
 やがて、首都へ向かう列車が到着すると、流れこむように乗車した。
 列車が進んでいくとともに、まばらでおぼろげなあかりでしか知覚することのできない
都は遠ざかり、まるで世界が消えていくかのようだった。

 深夜の時刻が過ぎた頃。森に囲まれた、とある一軒の館。その玄関付近の外で、ひとり
の少女が、毛布をかぶってうずくまっていた。その隣には、スイッチの入っていない、携
帯用の電灯が転がっているのみ。光といえば、玄関前に設置されている、薄明かりの外灯
のみであった。
 そこでは、ひゅうひゅうと、うめくように吹く風。空には、月がぼんやりと映っている
だけだった。
 少女は、身動きひとつとるそぶりがない。館のなかへ入るつもりもなければ、外へと歩
みだそうというわけでもなさそうだ。ただ、身を震わせながら、顔を伏せただけであった。
 しばらくそうしていると、
「やあ、お嬢さん。今夜は月がきれいですね」
 突如として、だれかの声が、目の前くらいの距離から聞こえてくる。
 少女は、一瞬びくりとした後、声のしたほうへと、おそるおそる顔をあげる。
 その先には、にこやかな表情の若い青年がいた。とはいえ、それなりの貫ろくをうかが
わせることから、この館のあるじなのであろう。薄明かりに照らされた、白い法衣が、さ
らにそれを物語っているようであった。そして、なぜか、両手に箱を抱えている。おそら
く、今になって帰宅してきたのであろう。
「どうしたの、こんなところで。……あ、もしかして、レキセイに振られたのかい?」
 彼、ラフォルが穏やかな口調でそうたずねると、少女は、戸惑いながら首を横に振る。
「まあ、そうだろうね。その付き合うっていうのがどういうことかよくわかってないよう
だし、振るという概念すら存在しないだろうから」
 そして、先ほどからにこやかな調子で語る彼を、不思議そうに見つめる彼女。
「それに、なににしても、レキセイなら、女の子をひとりで放り出すような真似はしない
からさ」
 軽やかにそう言うと、それに乗じるかたちで、持っていた箱を下ろし、彼女の隣に腰を
下ろすラフォル。どことなくうれいを含んだ、柔和な表情で。
「眠れなかったのかい? それとも、家のなかは居心地が悪かった?」
「……ううん。そうじゃなくて……」
 少女が声を絞り出した瞬間、ラフォルは、彼女の顔のほうへ、自身の手をやる。
「――――っ」
 声を押し殺し、ぎゅっと両目を閉じる少女。そのとき、彼女の頭の上に、なにか柔らか
いものがかぶさる。
 それがなにであるのかを確かめるべく、少女は、おそるおそる目をあける。そこに置か
れているのは、先ほど接近していた、彼の手であった。そして、穏やかでありながらも、
やはりどことなくうれいを帯びている、彼の表情。
「そっか。それならよかった。毎日ここで寝てたりなんかしたら、体調を崩さないすべを
持っていても、身体自体は持たないだろうからね」
 そう言いながら、少女の頭をなでるラフォル。彼女は、きょとんとした表情で、彼を見
つめている。
 刹那、森のほうからやってきた、さざなみのような風が、ふたりの髪をなびかせ、ほお
をなでるようにして吹きぬけていった。それから間もなく、扉がひらかれる音が響き、
「……ラフォル。それに…………」
 不意に発せられた、第三者の声。その先にいたのは、彼女と同じくらいの年格好である
少年。この薄暗い場所に映える、銀の髪。彼のまじりけのない瞳は、うずくまる体勢でお
ずおずとしている彼女をとらえていた。
「やあ、レキセイ。今ちょうど語らってたところなんだ。君もそのへんに座ってよ」
 そんななか、緊張をさらっていくかのようにすっとした面持ちで促すラフォル。少年、
レキセイは、首をかしげた後、ひとまず言われたとおりに、その場に腰を下ろした。
 そして、外壁を背にして横に並ぶ三人。彼らの合間に少女という構図で。
 辺りは、うっとりと心地よさそうな静寂に支配されている。さざなみの森からやってき
た風が、地の上の草や花、そして彼ら三人を、無差別に包むように吹き、葉や髪をなびか
せる。それらがまじり合った、甘美なまでのかおり。
 明けそうで明けない夜と、薄明かりの電灯のコントラストが奏でる、音のない旋律。
 その場には、永遠とも一瞬ともいえる時間が流れていた。
「そういえば、まだ言ってなかったね」
 不意に、レキセイと少女のほうを向き、話を切りだすラフォル。
「僕が、君の家族になりたいんだってことをさ」
 さらりと。次の言葉を投げかけた。
 少女はというと、ぽかりとした表情で、ラフォルを見つめていた。自分にあてられたも
のだということは解していても、内容に実感が持てないといったところのようだ。
「それに、人手だって足りなかったところだから、ちょうどいいところに来てくれたよ、
うんうん」
 さらに、勝手に話を進めていくラフォル。しばらくして、少女ははっとしたように口を
ひらき、
「でも、ちが……、血は、つながってないんだよね?」
「血はつながってなくったって、家族になることはできるさ。僕とレキセイだって、今ま
でもそうだったことだし」
 さらりと流れるように応対するラフォル。
「……俺も、身寄りがなかったところを、ラフォルに拾ってもらったんだ」
 と、レキセイも、話のなかに入ってくる。
「それでも……記憶、ないから……」
 彼女のほうも、まだ、これでもかと言わんばかりに言い返す。
「それをいうなら、俺だってないんだ。……両親と離れたとき以前のことは、あまり覚え
てなくて」
「そう、僕だって、子どものときの記憶なんてほとんど残ってないさ。わりと最近のこと
でも忘れることだってあるから」
「俺も、わざわざ記憶しようとしないし、覚えてないことは思い出さなくてもいいかな。
それでも記憶にあることは、なにかの教えだと思ってとどめておくけど……」
「甘い、甘いよレキセイくん。たとえ記憶は追わなくても、女性のことは追うものさ。男
と女の関係は、そこにこそ楽しみがあるんだ。そして、つかまえたときの感動ときたら、
それはもう」
 かみ合っているような、いないような会話を繰りひろげるふたりを、彼女は、きょとん
として眺めていた。
「とにもかくにも、どうだい。ひとまずはここで生活してみるのも。今後のことを考える
のは、ああもうこいつらとはやってられないと思ってからで遅くないだろうから」
 そして、彼女のほうを向いて、そう提案するラフォル。
 彼女はというと、なおも視線をさまよわせている。しかし、先ほどまでの戸惑いは薄れ
ているようであった。
「俺は、君と一緒にいたい」
 間をおかずに、本当に唐突にそう告げるレキセイ。彼の瞳は、一点の曇りもなく、ただ
ただ彼女を見すえていた。
「う……ん……」
 彼女は、そんな彼につられるようにして、ひとまずは了承の意を示した。
「それじゃ、決まりだね」
 ラフォルは、そう言うやいなや、横に置いていた箱を持って立ちあがる。
「とりあえず、なかに入ろう。君の名前だって決めないといけないからね」
 そして、にこりとした表情でそう言うと、扉をひらけ、
「よーし、続け、者共ー!」
 軽やかな調子で誘導する。
「ええと、悪いな。ラフォル、悪気はないんだけど、強引なとこがあって……」
 そして、なんのけもなく弁明しだすレキセイ。彼女は、目をぱちぱちとさせながら、そ
んな彼を見やっていた。
 やがて、レキセイは、ゆったりとした動作で立ちあがる。彼女のほうも、つられるよう
にして立ちあがった。
 その瞬間、彼女がかぶっていた毛布が、するりと落ちる。すると、レキセイは、地面に
落ちた毛布と、彼女が持ちだしていたらしい携帯用の電灯を回収し、扉のほうへと向かう。
 そして、三歩進んだところで立ちどまるレキセイと、一歩も動かないまま立ちつくして
いる彼女。レキセイは、彼女に向けて、手を差しだすと、
「えっと……、手……手を……」
 彼女は、レキセイの顔を一瞬見あげると、差しだされた手のほうを見やる。そして、し
ばらくの間、視線をさまよわせていた。ふたりの距離は、彼の差しだされた手を、彼女が
ちょうど腕を伸ばしてつかんだところくらいだ。
 やがて、おずおずとしながらも、レキセイの手をとる彼女。
 レキセイは、彼女の手を握ったまま歩きだす。彼女のほうも、特に体勢を崩す様子もな
く、ごく自然な調子で、彼に合わせて歩きだした。そして、ふたりは、吸いこまれるよう
にして家のなかへと入っていった。
 外はいつの間にか夜明け。物語に出てくるような神が光臨したかのようにまばゆい朝日
であった。陽の光は、祝福するかのように、この別天地を照らし出していた。
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