+. Page 014 | セイルファーデ編 .+
「――は……っ!?」
 彼が目を開いた先には、薄汚れた白の壁、正確には天井があった。そこには、ほどほど
に豪奢な造りの電灯がつるされており、そこから発せられる光がさらにそれを引き立てて
いる。
 彼の容ぼうはというと、寝起きであることを差し引いてもぼうぜんとしているほど、い
たって穏やかなものであった。光にさらされた髪の毛は、紫色を帯びた銀に輝いていた。
「レキセイ」
 と、近くからは少女の声。今度ははっきりと聞こえてきた。
 彼、レキセイは、身体は起こさず、声のしたほうへと視線をやる。
「リーナ……」
 ぽつんと、彼女の名前をつぶやくレキセイ。
「はあ……、やっと起きたのね」
「悪い、起こしてしまったか」
 レキセイは、そう受けこたえながら、のっそりと身体を起こした。背伸びやあくびとい
った動作をするでもなく、ただ首を横に振って。
「ううん。リーナはさっきから起きてたわよ。むしろリーナのほうが、さっきからレキセ
イを起こしてたの。なんだかうなされてたみたいだったから」
「うっ、そうか。うん、ありがとう」
 と言うやいなや、なにかを確かめるように、リーナの頭に手を置くレキセイ。彼女は、
きょとんと、彼の顔を見やる。
 そんなリーナの表情をよそに、レキセイは辺りを見わたす。
 当然だが、四方を壁に囲まれている。そこには、この部屋を出入りするための扉もある。
さらに、そこから少し離れた場所には、比較的飾りけのない扉、洗面所や浴室へ続いてい
ると思しきもの。反対側には、側面の大半の面積を占める窓。そして、彼らが先ほどから
とどまっている場所には、寝台が二台。それらのほかには、とりわけ目だつものはない。
ここは、宿泊施設の一室であった。
 ひととおり眺めおえた後、視点を再び戻し、
「……静かだな」
 と、またひとつつぶやくレキセイ。その声を合図にするかのように、リーナは、窓のほ
うへと駆け寄り、
「わあ、お星様がいっぱーい」
 慣れたような手つきで窓をあけ、外を眺めながら感嘆の声をあげる。
 外は、祭りのあとのような静寂に包まれている。この都の住人や旅人たちの邂逅までも
一瞬で消し去ったかのように。
 レキセイも、リーナの一歩ほど後ろの位置につき、空を見あげる。
「そうか。さっきのパレードや夜景で見えなかったのか」
 そうつぶやいたレキセイは、安堵した表情で、瞳にはただただいつくしむような色が浮
かんでいた。
「――あ……っ」
 そんな彼が、わずかに声をあげると、次にぽつんと落とすように告げる。
「星が……ひとつ消えてしまった」
「そう……なの?」
 リーナは、実感がないといったふうにたずねる。とはいえ、彼の言ったことが信じられ
ないといったふうでもなく。
 話がとぎれると、穏やかな静寂が辺りを支配する。ただ、時間だけが刻々と進んでいる
だけで。
「……きっとね。世界が壊れるんじゃなくて、ひとがいなくなっちゃうんだよ」
 そんななか、自然と流れだすように、言葉を発するリーナ。
 開けっぱなしの窓からは、かすかな夜風がやってきた。
 レキセイは、窓のほうを見やったが、即座にリーナのほうを向く。彼女の表情は、身体
を外へ向けたまま、ややうつむき加減になっていて読みとれない。
「そう、まずは、出会った人たちのことや、彼らとの思い出。……記憶からなくなっちゃ
うんだよ」
 先ほどから、驚き、困惑、けげんなどのさまざまな表情が入りまじっている様子のレキ
セイ。そんな彼をよそに、どことなくさとったように、たんたんと語り続けるリーナ。そ
れが自身のなりわいだと言わんばかりに。
 窓がかすかに揺れた。風が強くなってきたようだ。そんななか、リーナは、特に気にし
た様子もなく、
「そして、最後には、存在そのものが――」
 と、話を続けようとしたその刹那、
「……っ、リーナ!」
 レキセイは、リーナの語りを遮るように、彼女の名を呼ぶ。同時に、彼女の肩をつかむ。
それとともに、風がひゅうと吹きこんできた。
 そして、彼女が、天地がひっくり返るような勢いで振り向く。
「…………え?」
 やっとのことで声を発したといった様子の彼女は、目を丸くして彼を見やる。そこには、
どことなく緊迫をあらわしている顔。捕らえては離さないような瞳。
「わ、レキセイ……い、いたい」
 せめてレキセイの腕をのけようとして、そこをつかむリーナ。彼はというと、それには
構いすらせず、彼女の肩を手ばなさないまま、
「俺はここにいる。リーナだって、確かにここに存在してるんだ……!」
「で、でも……っ、リーナは……、リーナは…………っ」
 リーナは、おえつ交じりの声で、言葉を振り絞る。
 レキセイの瞳は、なにか神聖なものが宿ったかのように。そして、いっさいの思考を取
り払ったかのような風貌で、リーナのほうへ手を伸ばす。彼女も、拒むのを忘れているよ
うに、じっと見やっているだけであった。
 レキセイが、リーナの背に手をまわし、いつの間にか、彼女が、彼の腕のなかにすっぽ
りと収まるかたちとなっていた。
 身を震わせるリーナを落ち着かせようとし、なにか詰まっているものを吐きださせよう
とするかのように、彼女を揺するレキセイ。
「……い……の。……い、から……。……に、も……」
 そして、リーナがなにかを言いかけているところ、レキセイは、彼女の髪を、自身の指
ですくいあげる。そこから更に頭部へと手をはわせ、なだめるように頭をなではじめた。
「昔の記憶は、なんにも持ってないから…………!」
 彼女がそう告げた刹那、レキセイは、彼女の身体を自身のほうへとひきよせる。
「……っ、う…………、ああ……、…………っ、うう」
 辺りは既に凪いでいた。響いているのは、少女のか弱い泣き声。レキセイの身体越しで
あるためか、くぐもっている。そんな彼女の顔を隠すかのように、さらにひきよせる彼。
 その刹那、
「――――わああああああっ! うああ、ああああ…………っ!」
 今までせきとめていたものが崩れるかのように、勢いで泣き声をあげるリーナ。レキセ
イの身体で隔てられているとはいえ、その声は到底防げない。
「いやだよ……。こわいよ……。消えたくなんか……ないよぉ……っ」
 そして、ますます、レキセイの身体にめりこませるようにして、顔をうずめるリーナ。
彼も、それに呼応するように、彼女の背にまわした手に力をこめる。なくなる一歩手前と
いった、両者を分かつ境界。
 レキセイは、不意に口をひらき、
「ごめん、気づかなくて……。でも、ちゃんと見てるから……」
 夜明けの近い時刻、星たちは音をたてることなく消えていく。その下で存在する彼らを
残して。
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