視界のひらけた先には、白濁の世界が広がっていた。
しばらく目を凝らしていると、とある景色が、ぼんやりと浮かびあがってくる。辺りを
森や草花に囲まれた、一軒の館。いつか、どこかで見た景色。時は、五年ほど前にさかの
ぼる。
その館の居間には、長いすを背にして座っている、ひとりの少年がいた。銀色の髪に中
性的な顔だち。そこに安置されていたのではないかというくらい、きれいな姿勢のまま、
動く気配がない。
「おーい、レキセイ」
台所のほうから聞こえてくる、軽快な声。男のものだった。それに伴い、彼、レキセイ
は、ゆったりとした動作で立ちあがる。足どりはおぼつかないが、転びそうというほどで
もない。
レキセイは、台所へとやってきた。そこには、若い青年の姿があった。彼らの関係は、
別意のない解釈であるならば兄弟ということになるのだろうが、顔つきは全く似ていない。
ただ、青年のほうは、若いながらも、静の気を帯びたたたずまいであり、ここの家主であ
ることをうかがわせる。
「食材がきれてたんだ。買い物をたのむよ」
青年は、至ってにこやかな表情で、買い物用の手さげを、さっとレキセイに差し出す。
「……なにを買おうか?」
一歩遅れてたずねるレキセイ。
「僕は行ってきてもらう側だからね。レキセイの食べたいものを選んできてもらうってこ
とで」
レキセイは、一瞬きょとんとしながらも、
「……分かった。それじゃ、行ってくる」
やはり一歩遅れた調子でそう言うと、町へと向かうべく、玄関のほうへと向かっていく。
町へ着いたころはたそがれ時で、真っ赤な空に包まれていた。
夕刻になると、辺りがかすんで見え、人の姿を捉えにくくなる。そのことから、「だれ
ぞ彼は」の音が変化し、たそがれといわれるようになった。
この町、テュアルには、木造からコンクリートまで様々な建築、そして、それぞれのな
りわいに勤しんだり、そこを行き交ったりしている人々の姿があった。どこにでもある風
景。
そんななか、ひとりの少年がいた。もとは銀色であったらしい髪が、夕日を浴び、きら
びやかに映えているようだ。ここに来たのは初めてだと言わんばかりに、辺りを見まわし
ている。
そんな彼の目にとまったのは、食料品を扱っている店舗。取り分け際立ったものはない
が、どことなく懐古的であった。
「おや、レキセイじゃないかい。おつかいかい?」
その店舗から現れたのは、気風のよさそうな中年の女性。そして、その場に立ちつくし
ている少年に声をかけた。彼、レキセイは、ゆったりとした動作でうなずく。
「いつものやつだね? ちょっと待ってておくれ」
調子を崩すことなくそう言うやいなや、店の奥のほうへ行く女性。そう思いきや、
「ほい、お待たせ」
即行で、野菜を袋に入れて持ってきた。
「……ありがとう」
「はいよ、またおいで」
用を終え、再び町なかに目をやると、人影もまばらになっていた。そんななかでもひと
きわ目だつ者といえば……。
レキセイは、不意に、人目につきにくい、路地裏の付近に目をやる。
すると、そこには、見慣れない少女の姿があった。そのはずなのだが、彼女の足どりは、
最初からここにいたといわれても疑いようのないくらい自然なものであった。ただ、焦点
は定まっていない印象で、その瞳にはなにが映っているのかははかりしれない。
そして、レキセイも、ごく自然な足どりで、糸に引かれるようにして、彼女に続いてい
く。
レキセイの瞳に映っている少女の姿は小柄であるようだ。それでも、幼すぎるというふ
うでもなく、彼よりやや年下といったところだ。白を基調とし、赤い色の系統の装飾があ
しらわれた洋服。そして、肩よりやや長い、薄い紅色の髪。
彼は、ただただ彼女を目で追う。見失ってなるものかと言わんばかりに。
両者は、常に一定の距離を保ちながら歩みを進めていく。それは、つかの間のことであ
ったかもしれなく、永遠にも近い時間のことであったかもしれない。
やがて、夕日が沈みかけた頃、その光はいっそう輝きを増した。レキセイの瞳にもそれ
は映っているようだが、彼はそれでも目を閉じようとはしない。
それからしばらくして、目がくらんでしまったのか、彼の足どりは乱れていく。
レキセイの視界がひらけた時には、少女の姿は既になかった。幻であったのだろうか。
しかし、彼は、彼女を追うことをやめようとはしないようで、辺りに目を配らせていた。
それからしばらくそうしていた後、彼女はもういないことをさとったのだろうか、いや、
あきらめたのだろうか、彼はただその場に立ちつくしていた。
町外れにある、森や草花に囲まれた一軒家。そして、そこへの帰路につく少年、レキセ
イ。彼の面持ちは、なにやらほうけているようであった。それでも、くすんだような色で
はない。
「……ただいま」
やがて、レキセイは、その館の前に到着し、扉を開けると、帰りの儀式を行う。
「ああ、おかえり」
すると、なかのほうから、先ほどの言葉と対の言葉が帰ってくる。家主と思しき者の、
陽気な声だった。
レキセイは、館のなかへ入り、声のしたほうへと足を運ぶ。そこには、夕食の準備をし
ている、家主である青年、ラフォルの姿があった。
「それで、レキセイ。なにか新たな発見でもあったのかい?」
ラフォルは、慈しみを込めているのやら、興味本位によるものなのやら、どちらともと
れるような表情と声色でたずねる。
「……ううん。めずらしいものは入荷されてなかったと思う。とりあえず、これ、いつも
の」
そんな彼の挙動を気にした様子もなく、買った品物の入った手さげを手渡すレキセイ。
「ん、そうか。ありがとう」
流れるような動作でそれを受けとるラフォル。レキセイは、それを確認すると、消え行
くような動作でその場を後にした。
ラフォルは、レキセイに手渡された手さげを持ったまま、しばらく上目で天井を眺めて
いた。
彼らの日常は緩やかに過ぎていく。ただ、少年の記憶に刻みこまれた、存在していると
もしていないとも言いきれない少女のことを除いては。
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