一軒家を構えるこの敷地には、館よりやや遠くのほうに森が広がっている。そこから吹
きぬけてくる清涼な風が、穏やかにこだますることから「さざなみの森」と呼ばれる。さ
らに、その風を受けた、幾本もの草や花により、辺りの空気はほのかに甘さを含んでいた。
そして、その根元ともいえる地面には、細い道が続いている。道というよりも、住人たち
の行き帰りの際に、踏みならしたことでできたものであるようだが。
その場では、住人と思しき男女、レキセイとリーナが、互いの横に並んで歩いている。
そして、ふたりのほうへ向かってやってくる、白い翼を持つもの。レキセイは、かのもの
に向けて手の甲を上にして差しだす。そこにとまったものは、白い鳥、ハト。
「ごめんな。今日は遠くへ行かないといけないんだ。だから、ここで待っててくれないか」
ハトは、レキセイの言葉を解したのか、首を横にかしげた後、再び大空へ飛び立ってい
った。
ハトを見送った後、視線をリーナのほうへ移すレキセイ。彼女はなにやらほほ笑んでい
る。
「ん、どうした?」
「ううん。レキセイって、ハトさんが似合うなあと思って」
レキセイは、首を横に傾げた後、ハトがとまっていた場所に視線を戻す。行き場をなく
したかのように、なおも差しだしたままの手。やがて、その手が、だれかの両の手によっ
てつかまれる。
「それじゃ、行こっか」
そのままレキセイの手を引きながら言うリーナ。
こうして、ふたりは、道なき道を再び歩きはじめる。
別天地を抜けると、テュアルという町がある。首都カンツァレイアの属領で、民家や商
店が建ち並んでいる。建築は、木造やコンクリートさまざまである。際立ったはでやかさ
はないが、崩れ落ちそうなもろさもない。人々は、せっせと朝の準備にいそしんでいるが、
急いでいるというふうでもない。そして、町の出入り口には、ふたり分の影。成人する手
前ほどの年ごろの男女であるようだ。
不意に、彼、レキセイは空を見上げる。抜けるような青空。それとは裏腹に、その瞳に
は、どことなくたそがれの色を宿していた。ただ、この空と同じくらい澄みわたった瞳で。
「ここって、空の青さもきれいなんだけど、夕焼けがいちばん映えるんだよね」
と、声のしたほうへ視線を移すレキセイ。そこには、どことなく嬉しそうにほほ笑む、
相棒である少女、リーナの姿。
「……うん。帰ってくる頃には夕空かな」
そして、ふたりは、互いの横に並んで、どちらからともなく歩きだす。
「よう! ラフォルんちのレキセイとリーナじゃねえか」
町のなかを歩いていると、やや遠くのほうから声が聞こえてきた。そこには、武具店の
看板が立て掛けられており、かたわらには豪快そうな中年の男性が立っていた。
「おじさん、おっはよ」
「おはようございます」
と言いながら、そこに駆け寄るリーナと、後に続くレキセイ。
「はよっ!」
そして、切れ味の良さそうなぐらいにきれいに磨かれた歯をのぞかせながら、笑顔をふ
たりに向ける。
「確か、リーナの嬢ちゃんは、ラフォルに槍術を教わってたんだよな」
と、確認というよりは、なにかを思いついたように言いだす彼。
「女でも扱いやすいのが入ったんだ。どうだ、ちと見ていかねえか」
そして、人の良い笑顔を向けたまま、親指で店内を指す。
「そうしたいところなんだけどね。リーナたち、これからリベラルの認定試験を受けに行
くの。武器は支給されたものしか使っちゃいけないから、今は買えないの」
ひらりと、スカートのすそを持ち上げ、軽くおじぎをしつつ説明するリーナ。
「うへえ。リベラルの卵だとは聞いてたが、もう試験なんか受けてんのか」
彼、ここの店主は、ぽかりと口をあけて受け答える。
「都のほうへ行くんなら気をつけてけよ。まあ、最近じゃ、凶暴な動物に会うなんて滅多
にないだろうがな」
「うんっ、おじさんまったね」
「ええと、それでは、失礼します」
「はいよ。行ってこい」
こうして、ふたりは見送られると、再び同時に歩きだす。その合間にも、ほかの住人た
ちからも声を掛けられ、あいさつや会話を交わしつつ、テュアルを後にしていった。
テュアルからカンツァレイアへ続く道は舗装されている。横幅は、五人は並べるほど。
周囲には芝生が敷きつめられている。その道中には、かのふたり組み、レキセイとリーナ
の姿。彼らも、互いの横に並び、同じ歩幅で歩いている。
そんななか、不意に立ちどまるレキセイ。
「きゃっ」
レキセイにつられて立ちどまろうとしたところ、均衡を崩してよろめくリーナ。しかし、
どうにか踏みとどまったようだ。
「どうしたの?」
リーナは、のんきな声で、レキセイのほうを向いてたずねる。彼はひたすら前方を眺め
ている。
「ひとり、だれかいるみたいだ」
リーナも、レキセイの視線の先のほうへと向く。
そこにいるものはというと、二本足で立ってはいるが、ヒトであることを指し示すには
適切ではない。なにかの動物であるようだが、獣といったほうがしっくるする風体。
ときに、両者のあいだは、どうにか相手の特徴をとらえられるほどの距離。互いに、じ
りじりと詰めていくように様子をうかがっている。そのとき、
「――ガアッ!」
突如として襲い掛かってくる獣。そして、なおも立ちつくしているのは、
「レキセイ!」
と、彼の名を呼ぶリーナ。彼女の手には、既に、持ち歩いていた武器、槍が携えられて
いた。
「……ちぃっ!」
彼女の呼びかけに応じたのか、かすかなうめき声とともに、突進してくる獣に向かって、
レキセイも走りだす。覚悟を決めた彼の行動は早い。かくいうよりも、忍者のように俊足
であった。
やがて、両者はぶつかり合う。彼らの走った距離は同じぐらいだった。
なおも突き進まんとせんばかりの獣を、レキセイが食いとめるというかたちになる。手
を乱雑に動かしている獣と、それを手で押さえつけるレキセイ。すると、手が使えないこ
とを悟ったのか、今度はけるようにして、レキセイの足場を崩そうと試みる獣。それでも、
レキセイは微動だにしなかった。
「せやあ!」
その合間に、敵の背後にまわりこみ、槍で動きを制するリーナ。すると、敵は道中を反
れ、遠くのほうにある茂みのなかへと飛びこんでいった。
「…………え?」
突然のことに処理が追いつかないといった面持ちで、声を発するレキセイ。
「あっさり逃げちゃったね」
リーナは、特に面食らった様子もなく、さらりと言った。
「うん……。それ以前に、あのタイプの動物は、自ら人を襲ったりしないはずなんだけど
……」
そして、レキセイは、あごに手をやりながら述べる。
「でも、あのくらいでひいてくれて助かったわ。試験前にばてちゃったら大変だったもの」
レキセイは、リーナのほうへ視線を移す。そこには、満面といえる笑みの彼女の姿。
「そうか。そうだな……」
ふたりは、顔を見合わせた後、どちらからともなく再び道を歩きだした。
首都の建築物は高級感にあふれている。それは、きらびやかさを通り越してかすみがか
っているといえるほどであった。まだ朝だというのに、さまざまな施設や店舗はほぼひら
かれており、さまざまな人々がせわしなく行き交う。この地はまるで、既に用意されてい
た舞台が冷えきっていたかのようだった。
観客席もとい出入口には、そんな憂いを帯びた瞳で見つめる男、レキセイの姿があった。
「わあ、ここはいつ来てもにぎやかね」
逆に、彼の相棒、リーナは歓喜の声をもらす。
「リーナはこういうのが好きなんだ?」
彼女のほうへ視線を移してたずねるレキセイ。
「うん! はあ、これから試験じゃなかったらショッピングでも楽しむところなんだけど
なあ」
と、ただただ無邪気に答えるリーナ。そして、軽やかに足踏みし、くるりとまわってみ
せた。
「そうか。でもとりあえずは、カノンさんのところに行こう」
かくいう彼の瞳からは、憂いの色味は既に消えているようだ。
「うん、行こ行こっ」
リーナは、どことなくうきうきした様子で、レキセイの手を、両の手でつかんで引こう
としている。そして、レキセイも、それに応じるように一歩踏み出す。
こうして、彼らも、この舞台へと上り、役者として物語の糸を紡ぎだしていく――。
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