首都カンツァレイアは混沌としていた。
建物は大小さまざまであるものの、細やかな建築が施され、きらびやかさを引きたてる
ように塗装されているという点では、ほぼ共通している。そして、それぞれにあしらわれ
ている装飾品の数々。通り道でさえも、しゃれっけのある模様を交えて舗装されている。
そこを行き交う人々までも、はでやかな身なりである者がほとんどである。
その一角、とある一組の男女がいた。紫色を帯びた銀髪の彼と、身の丈ほどもある槍を
携えている彼女。目立つにはじゅうぶんな要素を備えているふたりである。しかし、人々
は見向きさえする余裕がないようだ。そんなふたりが向かっている先にあるものは、LS
Sという文字の刻まれた看板を掲げている建物。
LSSの内部には、窓口と呼ばれる場所で、書類の整理をしている女性の姿があった。
年の頃は二十代半ばといったところだ。ウェーブの掛かった髪が、柔らかな印象を与えて
いる。それとともに、くっきりとした眉や目元、鼻や口元が、凛とした雰囲気を醸しだす。
あらかじめあけ放っていた扉の先で、だれかが入ってくる音がした。彼女は手を休めて
振り向くと、
「カノンお姉さまー、おっはよーございまーす」
「おはようございます」
そこにいたのは、先ほどこちらに向かっていたふたり。
「おはよう。レキセイ、リーナ。朝から大変だったみたいね」
にこりと。カノンと呼ばれた彼女は、柔和な笑みでふたりを迎え入れる。
「ええと、ラフォルの料理が独創的なのはいつものことなので大丈夫です」
「はいはーい。リーナも平気平気」
「それは分かってるわ。ただ、ここに来る途中で、動物かなにかに襲われたでしょう?」
そう言われると、当のふたりは同時に顔を見合わせる。
「服はところどころ汚れてるけど、破れてはないみたいだから、闘ったというより追いは
らったといったところね」
彼女は、そんな彼らの反応を意に介さず、さらに推理を展開していく。
「ほへえ」
「分かるものなんですか?」
ぽかんとした様子で擬声語を発するリーナと、そっとのぞきこむような調子でたずねる
レキセイ。
「これでも、そんな場数を踏んでる人たちを、いろんなところで見てきたから」
かくいう彼女の声は、子どもに教えを諭すかのように穏やかなままだった。
「さてと。疲れてるところ悪いけど、グランを呼んできてくれないかしら? 役者がそろ
わないことには始められないから」
「グランさん、帰ってきてるんですか?」
「グランって、こっちにいることって滅多にないんでしょ? この前も大きな仕事が入っ
たといって出てったばかりだし」
「ふふ、舌もよくまわるけど、手際もいいから」
と、飽くまでもねぎらっている。
「それより、その様子だと、今回の試験の監督はグランに受けもってもらうって、ラフォ
ルから聞かされてないみたいね」
「え、あ、はい……」
「そんなことは一言も聞いてないわ」
どうにか反応できたといった様子のレキセイに、どうにか話に付いていけたといった様
子のリーナ。
「まったく。ことづけておくと言っておきながらあの男は……」
カノンはというと、あきれているふうではあるが、口調からは余裕すら感じられる。
「ええと、とにかく呼んできます。どこにいるかも、大体分かってますし」
「しかたないなあ。グランってばほんとに手がかかるんだから」
「ふふ、それじゃあ、お願いね」
「はーい、行ってきまーす」
リーナは、そう返事しながら、軽やかな足取りで、出入口のほうへと向かう。レキセイ
のほうは、しばらく動かず、カノンと向き合ったままの状態で、
「あの……、それでは行ってきますから」
と、彼女をこのままひとりにするのは忍びないといった様子で告げる。
「はいはい。わたしはここで待ってるから、行ってきなさいな」
苦笑いを浮かべながらカノン。
そして、レキセイは、ためらいがちにうなずいた後、リーナの後を追うかたちで外へと
向かっていった。
ふたりは、混沌とした地を、再び歩きだす。彼らの次なる目的地は、噴水のある広場。
そこには、数人の子どもと、ひとりの青年の姿があった。水で乱反射した光が、楽しげ
な雰囲気を引きたてている。そのなかに飛びこもうものなら、あめ細工のようにはかなく
崩れそうでさえあった。
そして、いつの間にかその付近に到着していたふたり、レキセイとリーナ。
ふたりが、その様子を見入っていると、子どもたちの声が風によって運ばれてくる。
「ぎちょーせんきょのしゅーわいごっこしようぜ」
「しさいとだいしさいのジンギなききょうそうごっこするんだい」
「えー、フのイサンいんぺーごっこがいい」
至って無邪気に、なにをして遊ぶかの相談をしているようだ。
「それじゃあ僕は、表向きの顔は司祭だけど、隠蔽された負の遺産を解き明かすために、
同業者を議長に仕向けた人の役ってことで」
そして、次々に出される子どもたちの要望を、さらりとまとめあげる青年。
すると、先ほどから、やや離れた場所から見ていたレキセイが、
「……とりあえず、声を掛けよう」
そう促すと、彼らも、青年と子どものほうへと歩み寄り、
「グランさん」
と、彼の名前を呼ぶ。
「やあやあ、レッキーにリーナくん」
グランと呼ばれた青年は、軽やかな調子で応答する。ときに彼、やたらとひょうきんな
だけにとどまらず、服装も奇妙だといってよいほど目立つ。それでも、人々は相変わらず
せわしなく行き交い、見向きさえする余裕がないようだ。
「やあやあじゃないでしょ。今回の監督はグランだって聞いてさがしにきてみたら……、
まったくなにやってるんだか」
そんな懸念すら吹き飛ばしそうな調子でかく言うリーナ。
「ああ、ごめんごめん。待ってようと思ったんだけど、ついじっとしてられなくなってさ」
そして、頭に手を当て、やたらとにこやかな調子で弁明する青年、グラン。
「えー、ひさしぶりにかえってきたかとおもったらシゴトかよ」
と、そのとき、子どもたちのうちひとりが、グランを見あげながら言う。
「ごめんな。取りあげるみたいになってしまって」
心底すまなそうに頭を下げるレキセイ。すると、
「いいっていいって。グランのことはおもいっきりコキ使ってやってくれよな」
先ほどの不満とはうって変わり、そう言うやいなや、かわるがわる片足で軽く跳びな
がら去っていった。
「あ、あのねえ、監督するのは僕のほうであってだね」
と、グランが言い終えるよりも前に、
「あの……、こんなのがカントクでたいへんだとおもいますが、がんばってください」
さらに、ほかの子どもが、レキセイとリーナに言葉を投げかけたかと思えば、すぐに
この場を後にした。
「だーかーらー、大変なのは試験のほうであって」
かくいうグランのことは意に介さず、子どもたちは次々にこの場からあっさりと離れ
ていった。
「ああ、こらー! 人の話は最後まで聞きなさいってーの」
子どもたちの去っていくほうに向かって叫ぶグラン。レキセイとリーナは、どちらか
らともなく、彼の片腕をそれぞれがつかむ。そして、半ば引きずるかたちで広場を後に
した。
レキセイとリーナは、グランを交えた後、彼女のいる場所へと戻るため、都のなかを
歩く。グランはというと、鼻歌交じりに、かわるがわる片足で軽く跳びながら進んでい
る。そんなさなか、
「グランってば、いつもあんな遊びをしてるの?」
リーナのほうから口をひらく。彼は軽く足踏みしてとまり、くるりと彼女のほうを向
いて、
「いやいや、今日はたまたま提案されただけで、別にいつもってわけじゃないさ。それ
に、ちょっと前まではグランにいちゃんとか言ってて、それはそれはかわいかったもの
だったんだ。はあ、僕には性別なんて関係ないんだから、おにいちゃんじゃないって言
ってるんだけどなあ」
と、身ぶり手ぶりを交え、すれ違う人々をよけつつ歩きながら、続けざまにしゃべる。
ちなみに、グランの容ぼうはというと、中肉中背の、どこから見ても男性である。周囲
と比べるとやや珍しい服装以外は、取り分けて変わったところはない。
「もう、そんなこと教えるより、変なこと教えないようにしなさいよ」
「いやあ、いつのまにか覚えちゃってたみたいでね。はあ、若いうちから大人の社会を
渡り歩けるようにならなければいけないほど、時代の流れが厳しくなってきたってこと
なのかなあ」
「そういえば、リベラルの受付って、二十歳くらいでなれるものなんですか? ずいぶ
んと若い頃から就任してたみたいですが」
不意に、レキセイが口をひらく。グランは、彼のほうを向いて、
「んー、首相の任命さえ受ければ、だれでもなることはできるけど……」
言葉を区切り、雲を見わたすように上を向く。
「カノンお姉さまなら、そのくらいの歳でなっても不思議じゃないけどね」
すると、横やりを入れるようにかく言うリーナ。
「それどころか、姐さんの場合、君たちの歳くらいには、大陸じゅうを旅してたらしい
からね。それでいて、おおごとは起こさずに終えたのだとか」
かく言うグランの表情は至ってさっぱりとしたもので、口調もさらりとしていた。
「ただね、リベラルの活動は今ほど浸透してなかったし、若い女性ということも相まっ
て、周囲からの反発が絶えなかったんだ。それは今でもくすぶってるから、認められた
かといわれれば難しいとこだね」
そして、難色こそ示していたが、表情や口調に変化は感じられない。
「もう、だれのおかげで平和に暮らしていけてると思ってるのよ」
「こういう都だから、平和というわけにはいかないけど、大惨事が起きてないのはカノ
ンさんのおかげもあると思う」
と、リーナをなだめるように、さりげなく会話に入るレキセイ。
「僕たちにとっては信頼のおける相手であっても、向こうはそれを知らないということ
を考えれば無理もないけどね。ま、姐さんがいなくなったらいなくなったで、民衆ども
も混乱するだろうね。こっちからすれば、そうなっても知ったことじゃないってことさ」
グランは、若干高ぶっているようではあるものの、先ほどからの表情や口調には、や
はり変化は感じられなかった。
「まあとにかく、姐さんならうまく立ちまわるさ。カーナル教会のコネだってあるわけ
なんだし」
「あっ、そっか。ラフォルとカノンお姉さまも、そのつながりで出会ったもんね」
「ん? そうだったか?」
「そうそう。僕がリベラルの資格を取ったのは、師匠に勧められたのがきっかけで、姐
さんのほうにも紹介されたからだしね」
そう締めくくるように言って立ちどまるグラン。彼の一歩後ろを歩いていたレキセイ
とリーナも立ちどまる。そして、グランは、視線を横に移した先に向かって声を発する。
「それでは、その女王様のいる城に乗りこむとしますか」
その場には、LSSと刻まれた看板を掲げた建物が、どっしりと構えてられていた。
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