+. Page 001 | プロローグ .+
 それは、世界の果てとも中心ともつかない場所にあった。
 ひっそりと佇んでいる館。民家というには大きく、城というには小さい。
 その一室に、寵愛されている者。寝台に横たわっている、住人と思しき男。青年という
にはまだ若く、少年というにはたくましい。そして、白ばんだ灰のような色の髪に加え、
顔つきは奇妙なあでやかさをたたえていた。
 この部屋はというと、生活に必要な物しか置かれていない。そのため、もともと狭くは
ないところが、さらに広さを増しているようだ。とはいえ、潔癖というわけではないよう
だが。
 やがて、神聖な儀式であるかのように、彼のまぶたが徐々にひらかれる。目覚めたばか
りの状態にしては、今すぐにでも戦いの場に赴けそうなほどの勇ましささえある。
 そして、彼は、身体を起こすと、背伸びやあくびをするでもなく歩きだす。
 彼は、窓を開放し、天を仰ぐと、
「……きれいだな」
 ぽつんと、飛ぶ鳥が羽根を落としたかのようにつぶやく。それに呼応するかのように、
鳥たちのさえずりが、歓声のように聞こえてくる。
 外の世界は、草や花が敷き詰めており、それらを囲むようにして広がっている森。そし
て、抜けるような青空。それらは引き立て合い、陽の光を浴びて一斉に輝く。朝の清涼な
る空気をベールにして。そんな、日常的な朝の風景。
「めまいを起こしそうだ」
 またひとつつぶやいた刹那、彼のほうにも陽の光が降りかかる。髪の毛は銀色に輝き、
わずかに紫色を帯びていた。

 一日を始めるための支度を終え、部屋の扉を開け放つ彼。同時にもうひとつ、別の部屋
からの扉を開け放った者の姿があった。両者は、鏡に映っているかのように同じ姿勢で。
 しかし、彼の向かいにいる者は、彼とは似ても似つかない。同年代の女性といったとこ
ろだが、少女のようなあどけなさも残っている。ただ、奇妙なあでやかさをたたえている
といった点では共通していた。
 彼は、彼女を見つめる。ただただ静かに。
「レキセイ、おはよう」
 その合間に、先に口をひらく彼女。
「うん、おはよう。リーナ」
 そして、彼、レキセイも同じ言葉を返す。
 どこにでもある朝の光景。一種の儀式。それは今も、ここではないどこかで交わされて
いることだろう。
「レキセイも今起きたんだ。この時間だと、ラフォルはもう起きてるはずだから……」
「食事を作ってるのはラフォルだな」
 のんきな様子で話しだすリーナに、すかさず入りこむように答えるレキセイ。
「うふふ、今度はどんな料理が出てくるのかしら」
 リーナは、スカートのすそを持ち上げると、くるりと階段のほうを向き、軽やかな足ど
りで駆け降りる。レキセイも、彼女に続くかたちで、この場を後にした。

 とんとんとんとん……。
 とんとんとんとん……。

 台所には、包丁を携え、朝食の準備をしている青年の姿があった。彼の顔つきは、至っ
て穏やかで、逆に厳かでさえあった。よく見ると、長めの髪の毛を束ねている。
 床や流し台は、調理器具やごみなどで散乱している。それはなにも、朝食の準備をして
いたせいばかりではないようだが。
 扉のひらかれる音がした。彼は手を休めて振り向くと、
「おはよう、おふたりさん」
 にこりと、いつくしむような笑みをふたりに向けて、言葉を発する彼。
 声を掛けた先にいたのは、彼とはやはり似ていないふたり。成人する手前ほどの年ごろ
の男女。先ほどまで上の階にいたレキセイとリーナであった。
「ええと……、うん、おはよう、ラフォル」
「ラフォルおっはよ」
 そろそろとした様子のレキセイとは対照的に、今にもとびはねんばかりの勢いで、ラフ
ォルのほうへ駆け寄るリーナ。
「ははは、相変わらず元気だなあ」
 ラフォルと呼ばれた青年は、そっとおしこむように彼女の頭に手を置き、にこやかに語
りかける。
 その傍ら、テーブルに並べられた料理に目をやるレキセイ。その先にあるものは、
「今日もまた一段とすごい料理ができてるな」
 サンドイッチだった。なんの変哲もない、どこの家庭でも出される朝食。……中身が魚
介類であることを除いては。
「いつだって、料理の探求だけは欠かさないけどね。まあ、張りきって作ったっていうの
はあるかな。ほら、きみたち、今日はリベラルの認定試験があるだろう」
 と、リーナの頭をなでながら、レキセイのほうを向いて答えるラフォル。リーナは、気
持ちよさそうに目を細めている。一方、レキセイは、あでやかさをたたえた顔つきは変わ
っていないが、若干曇りが差したようだ。
「ほらほら、そんな顔しない。これに合格すれば、きみたちも晴れてリベラルの一員なん
だから」
 リベラルとは、Liberal Support Section 略してLSSのことであり、また、そこに所
属する人々の通称のことである。護衛や捜査、民間で起こった問題や、こまごまとした手
伝いなど、幅広く請け負う。いわゆる自警団のようなものである。設立したのはこの国で
あるが、依頼人の国籍は問わない。このように自由主義的な側面が色濃いことに加え、団
員になるための資格も、相応の実力が認められれば、老若男女を問わず取得することがで
きる。近年では旅をする者が増え、冒険者のたまり場という雰囲気が定着しつつあるよう
だ。この組織の性質上、彼らにとっても利益に繋がりやすく、資格を取得しようとする者
が増えつつある。その結果、行政にも引けをとらないほどの影響力を持つようになった。
「うん。俺も、リベラルとしての活動には興味があったから、試験を受けることにしたん
だけど……」
「どの支部でも自由に活動できるからね。旅費を稼ぐには打ってつけなんだ。合格すれば、
晴れてふたりとも旅に出られるというわけさ」
「そこなんだ。人の命を預かることも多いのに、きっかけがそんなのでいいのかなって…
…」
「動機なんてそんなものだよ。リベラルにしろ依頼人にしろ、互いが互いを必要としてる
ことには変わりない。だったらその本分をまっとうすればいいだけのことだよ」
 すらすらと筆を走らせるように語るラフォル。
 そんな彼を見上げるレキセイ。その瞳は光が宿ったように澄んでいたが、曇ったような
顔つきはそのままのようだった。
「はいはーい。リーナも、自分のことしながら人のことするの」
 そのとき、なにかを払いのけんばかりの勢いで、腕を振りながら言うリーナ。
「そっか……、そうだな」
 そして、レキセイは、そろそろとした様子は相変わらずであったが、彼女を見つめ返し
て応じる。
「そうそう、どうしたって、なんらかの役は演じることになるからね。なににしても、優
雅に踊れるようなシナリオにしてゆけばいいのさ」
 役目を果たすといった意味で述べたのだろう。かくいうラフォルの表情は、特に変わっ
たことは言っていないといったふうな、にこやかな色を浮かべている。
「……うん」
 レキセイはというと、静かに感極まりながらうなずいた。
「ま、とりあえず、ふたりとも座ってよ。話の続きはその後にでもさ」
 と言うやいなや、ラフォルは、ふたりの背中を、食卓のほうへと同時に押した。

「いっただきまーす」
「いただきます」
 ラフォルに促されるまま席に着いたふたりは、彼の作った料理に同時に手を伸ばす。つ
くだ煮のサンドイッチを、かみちぎらずに、口を動かしながら食べるレキセイ。そして、
干物のマヨネーズ入りサンドイッチの、中身を抜き出してパンとは別々に食べるリーナ。
当のラフォルはコーヒーを沸かしている。
「最後の試験っていうからには、やっぱり今までよりは厳しくなるのかしら。監督のリベ
ラルさんだって、いろんな意味ですごい人を当てられちゃったりなんかして」
 リーナが話を持ちかけた合間に、カップにコーヒーを注ぐラフォル。
「うん。グランさんほどの実力がある人に当たってもおかしくはないな。カノンさんだっ
て容赦しないと思うし」
 そして、レキセイが応じている合間にも、もうひとつのカップにコーヒーを注ぐ。
「はあ……、グランねえ。あんなに軽々しいのに、どうして支部でいちばんの実力者って
いわれてるのかしら。カノンお姉さまにだって信頼されてるみたいだし。おまけに、ちゃ
っかりラフォルの弟子になっちゃって……」
「ははは、あれは単にそういうノリで師匠と呼ばれてるだけで、僕自身がグランになにか
を師事したというわけじゃないさ」
 両手にそれぞれコーヒーの入ったカップを持ち、食卓のほうへと歩いてきながら、会話
のなかに入るラフォル。
「確かに、合否は実技にあるだろうけど、監督のリベラルにどこまで付いていけるかが鍵
だろうね。カノンに関してはそれほど気にしなくても大丈夫さ。やつは受付嬢。現場まで
見てるわけじゃないだろうから」
 さらにそう言いながら、持っていたカップを、ふたりの手前に同時に置く。
「えっと、ありがとう」
 と言うレキセイに、ラフォルはどことなくはかなさを含んだ笑みを向ける。
「もう、そんなこと言っちゃって。カノンお姉さまにちょっかい出して返り討ちに遭った
のはラフォルじゃないの」
 彼らのやりとりを意に介さず、カップが置かれたことにさえ気づいていない様子で、話
を続けるリーナ。
「いやいや、あれはだね。わざとヒントを置いてってるのさ。僕だって、女性に奇襲を仕
掛けるほど大人げないわけじゃないからね」
 そして、先ほどの表情とはうって変わり、刷りこむように言い聞かせるラフォル。
「ふーん。それじゃあ、ラフォルのほうがすごいんだ」
「いや、きっとどっちもどっち」
 と、そんな彼らのやりとりに、すかさず入りこむレキセイ。
「それじゃあ、ふたりともすごいんだ」
「うん。いろんな意味ですごいな」
「うわああ、レキセイってばさりげなく言いたい放題」
 突如として聞こえてきた声をよそに、レキセイは、ゆったりとした動作で食器をまとめ、
「ごちそうさま」
 と言うやいなや、まとめた食器を持って、流し台のほうへと歩きだす。
「ごちそうさまー」
 リーナも、さっと食器をまとめ、レキセイに続くかたちで食卓を後にした。

 朝の儀式を終えた住人たちは、玄関へと集う。扉を背にして立っている幼子がふたりと、
幼子たちと向かい合うようにして立つ家主という構図。ただ、そこにいるのは、幼子とい
うには成長しすぎた年ごろの男女と、家主といえどまだ青年と呼べる年ごろの男である。
 そんな彼らのあいだでこれから行われるは、出発の儀式。
「それじゃあ、行ってくる」
「行ってきまーす」
 決まりきったあいさつを交わすレキセイとリーナ。そして、ラフォルの返す言葉は、
「……本当にいくのかい?」
「………………え?」
「ほえー?」
 想定外の言葉にどうにか反応できたといった様子のレキセイと、ぽかんとした様子で応
じるリーナ。
「この試験に合格すれば、旅に出るか否かにかかわらず、今までどおりの生活はできなく
なるだろうからね。君たちはまだ若い。これからのことは、まだまだゆっくり考えてから
でもいいはずだよ」
 ラフォルの口調は、絵本でも読み聞かせるように穏やかだった。ふたりは同時に顔を見
合わせる。
「君たちにとってそれが最善なら、行かないってことも選択肢のひとつさ。ちなみに、カ
ノンたちのほうになら、行けなかったらごめんで済むように手配してあるから」
 さらに、しなやかな手つきでページをめくるように語る。ふたりは、ためらいの表情を
残したまま、彼のほうへと向き直る。
「きみたちの場合、ただでさえ、子どもの頃に痛手を負ってるんだ。日々を穏やかに過ご
していく権利だってあるはずだよ。なーに、僕なら大歓迎さ」
 そして、読み終わった後の絵本を閉じるように締めくくる。彼らのあいだには沈黙。い
や、余韻はあるようだ。それが、悲劇によるものなのか喜劇によるものなのかははかりか
ねるが。
「確かにその提案はありがたいけど……」
 そんななか、レキセイは、どうにか言葉を紡ぎ出し、
「遠慮しておく」
 ようやくかたちにできたものをはき出す。ラフォルは、あくまで穏やかな表情のままで、
ふたりを見返す。
「俺は、両親のことはほとんど覚えてなくて、離れたときのことさえ記憶にない。だけど、
両親と過ごしていた日々が、今と同じくらい穏やかなものだったことだけは分かる。それ
がどうして壊れてしまったのか、両親は今どうしてるのか知りたい。だから……」
 話をいったん区切り、息を吸い込むと、
「それがこのための一歩だというのなら、俺は行く」
 かくいうレキセイのそこに反抗心はない。しかし、どっしりとしたものを含んだ声だっ
た。
「はいはーい。リーナも、レキセイと一緒にパパとママをさがしに行くの」
 リーナも、便乗するかたちで答える。先ほどとは打って変わって明るい調子であった。
「そっか。決心に変わりはないようだね。それじゃあ行っておいで、おふたりさん」
 と、ふたりの頭に手を乗せ、穏やか笑みを向ける。
「うん……」
 彼の顔を見上げながら返事をするレキセイ。
「それじゃ、今度こそ行ってくるね」
 リーナは、気持ちよさそうに目を細めながら言った。
 話がまとまると、レキセイが扉の取っ手を持ち、リーナがその横に並ぶという体勢にな
る。
 ひらいた先には、窓から眺めていた景色が広がる。それに加えて漂う、風によって運ば
れてきた、木々や草花などのにおい。
 こうして、幼子たちは、家主に見送られ、朝もやの世界へと歩きだした。
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