+. Page 010 | 流離い人 .+
 晴れわたった空に、みずみずしいほどに青くひろがっている草花や木々。さざなみのよ
うに揺れる葉が、穏やかな昼下がりを演出している。人が通るための道も、簡易ではある
が舗装されている。これで動物たちとも戯れることができると最高の野遊び日和であるの
だが、
 ――ビュン。
 突如として響いてくる、鈍く切り裂くような音。
 ――ギャアア!
 そして、鼓膜を引き裂くような、甲高い鳴き声。
 いた、この世の終わりであるかのような形相をした、大型の動物が。
「はっ」
「せいやあ」
 引き締まった声と、どことなく緩やかな声。それほど飾気のない黒い服をまとっている
のに反して金色に輝く髪をしている青年と、それなりに豪華な旅装束をまとっている、青
い髪の少年。そんなアレク、そしてレオンが、それぞれつるぎを手にしてこの動物との戦
闘を展開していた。
 大本の攻撃はアレクが行い、彼が間合いを取ったすきを埋めるようにしてレオンが攻め
入るという姿勢である。また、レオンが魔術の詠唱に入ったときには、アレクが剣術を繰
り出して合間を引き延ばすといった戦法だ。
 ほどなくして、けものを倒し終えたレオンとアレク。
「はあ、やっぱりアレクは強いね」
 感心しきったようにそう言ったのはレオンである。
「まあな。おかげで安心して力を出しきれる」
「ということは、僕も少しは強くなったかな」
「いや、貴様の力量は認めてる。それもひとつの要素ではある。だが、理由はもっと別の
ところにある」
 そう告げられて、小首をかしげるレオン。
「説明は難しいが、例えば――ここが豪華な城のなかだとする。そうすると、むやみやた
らにつるぎを振りまわすわけにはいなないだろう。内部のものを傷つけてしまわないかと
考えると気が気でない」
「だよね。きっと捕まっちゃうね」
 レオンは、内心はあわてふためいていても、オクビにも出さず、どうにか知らぬ振りを
する。彼が王子であることは、気が置けない仲間であっても口外することは許されないの
だ。
「しかしだ」
 レオンの思いめぐらせを気にとめたふうでもなく、アレクは話を続ける。
「傍に漂うものが風や水であれば、つるぎを振りまわすことに気をもむ必要がないだろう。
地面を踏み荒らしても、雑草ならばしぶといだろうから問題ない。たとえ木を切りつけて
しまっても再生するという意味では安心だ。そう、感覚としてはそれに近い」
 それを聞いたレオンは、拍子抜けしたためか、意味が飲みこめていないためか、口をぽ
かりとあけてアレクのほうを見ている。
「さて」
 アレクは、レオンの挙動を気にした様子もなく、目線を足もとにやって、
「ひとまずこいつを埋めるぞ。このままにしておくわけにもいかないからな」
 そこにあったものは、先ほど倒したけものの亡骸。
「そんなあ」
「気持ちは分かる。襲い掛かってきたのもこいつだから、割に合わないのも察する。しか
し、こいつを倒したのも俺たちだ。それに、死者を弔うことは生きてる者にしかできない。
腹をくくって向き合うしか……」
 アレクがそこまで言いかけたところで、
「今晩のおかずに持っていこうよ」
「……分かった。この近くの、できるだけ安全なところを探してキャンプにするぞ」

 その夜、辺りに静けさが訪れ、人々や動物たちの営みも憩う頃。ある場所では、無機質
なぐらいに淡々とした声が響きわたる。
 ――シリウスが暴走した原因と、その行方はつかめたか?
 ――いいえ、原因は依然として不明のまま。彼らの行方なら想像が付くのですが……。
 ――セルヴァールだろう。そこに狼のような怪物が出たと大騒ぎになったからな。
 ――まったく。死人が出てたらどうしようかと思いました。
 ――それにしても、シリウスの反応がセルヴァールで途切れたということは、かの者は
今もそこか、その近辺にいるということになりますね。
 ――よし、善は急げだ。捕獲に向かうぞ。もし移動してるならば、エレバローデに近づ
けるわけにはいかん。
 ――ええ。教団の連中に引き合わせることだけは阻止しないといけませんから。

 そして、もうひとつ別の場所では、
 ――魔剣に対抗しうる次の手は打ってあるのか?
 ――はあ、今のところまだなにも。あれの予備ならございますが、同じ手は通用しない
かと。
 ――やつはこちらに向かってるはずです。このまま泳がせて、いっそのことこちらでと
らえるという手もございましょう。
 ――しかし、やつは王子である身の程。国家問題に発展すると面倒だぞ。
 ――そうは言っても、このまま放っておくわけにはいかないだろう。処遇は後ほど考え
るとしよう。
 ――町から町をわたらせてる合間にも、現地でまた危害が及ばないとも限らないぜ。あ
れは災いそのものなのだからな。
 ――まあ、その辺りは心配せずとも構わないでしょう。腕利きの連れができたとの情報
もありますし。
 ――いずれにしても、ここに来るというのなら、あの女に連行を依頼したほうがいいか
もしれませんね。
 ――ふうむ、いまいましいが、それもひとつの手立てとして考えておくほかあるまい。

 翌日、レオンとアレクは、この場から近い都、フレンジリアに向かうため、再び歩き出
す。外の気候は相変わらず穏やかなもので、なにかが降りかかってこようとする気配は見
受けられない。
 しばらく歩いて、このアーメンベーレ王都の領土とフレンジリア地方を結ぶ、ラヴィレ
橋に差し掛かったそのとき。前方に、透き通るような金色の、長い髪をした者がいた。彼
女はつま先立ちであり、両腕をやや広げた状態であるためか、浮遊しているかのような錯
覚を起こさせる。見たところ少女と呼べる年ごろのようであるが、どことなく大人びた印
象も受ける。憂いを通り越してうつろであるかのような表情。
「……あの子だ」
「知ってるのか」
 ぽつりとつぶやいたレオンに、そうたずねるアレク。
「ううん。この前に一度、アーメンベーレの近くで姿を見たことがあるだけだよ」
「そうか。とにかく、外は女がひとりで歩きまわれるようなところではない。町まで送り
届けるぞ」
 レオンにそう持ち出すアレク。ふたりが、彼女のもとへ駆け寄り、
「おーい、そこの人」
 レオンが呼びかけたその瞬間――空の色が急に黒く染まり、激しい稲光がした。
 まだ夜になる時刻ではない。雨も降っていない。むしろ、先ほどの光景が幻であったか
のように、もとの青々とした、爽快な景色がひろがっている。ただ、レオンとアレクが、
なにかに当てられたかのように、ひざを着いて頭を押さえていた。
「あれは……無の属性の魔術。対象に虚無を突きつけて、精神力を消耗させ、その結果、
体力まで奪うという……。なかでも強力な、大魔法……!」
 立ち上がることもままならない状態で解説するアレク。
「待って。僕たちは怪しい者じゃなくて――」
 どうにか立ち上がることができたレオンが、弁解しながら彼女に近づいていったそのと
き。先ほどの威力ほどではないにしても、さらに魔術を浴びせられてひざを着く彼。
 その合間にも、つるぎを構えたアレクが、透かさず彼女の動きをとめに入る。人間と戦
うことも想定して持ち歩いていた、練習用のものである。
「レオン、こいつを魔術で気絶させろ。殺傷力のない武器とはいえ、攻撃を長引かせるわ
けにはいかない」
 そう、防護に優れた服装をしているわけではない女性に対してであれば、加減をしたと
しても命にかかわるだろう。魔術であれば、安全とは言いきれないが、死の危険性は大幅
に減ってくる。
 その意図を解したのか、レオンは立ち上がって、魔術の詠唱に入った。彼女も再び魔術
の詠唱に入ろうとするが、させまいとしてつるぎを振るいつづけるアレクによって阻止さ
れる。
 ときに、彼女の形相はというと、敵意を発しているわけでも、恐怖に染まっているわけ
でもない。ただどこまでも空虚であった。
 やがて、レオンによって発せられた、闇の属性である魔術が彼女を襲う。彼女の得意と
する属性を向けたのでは歯が立たないと判断したのだろう。光の属性で攻めないのは、文
字どおり光り輝く彼女の姿を目にしたことがあり、これも効かないと思ったためか。
 さて、その効果であるが、まったくと言っていいほどに現れていない。それならば物質
の系統である魔術をと思い立ち、気を取り直して再び詠唱に入るレオン。次は、無数の火
の玉が彼女に襲い掛かる。それでも結果は同じであった。これこそ、戦いが長引きそうで
ある。
 アレクのほうも、集中していたのが途切れだしてきた。加減しながらでの応戦は得意と
しないのであろう。そのすきを突かれ、再び彼女の魔術が発動して、空は黒く染まり、激
しい稲光がする。それを浴びせられると、立っていられなくなるレオンとアレク。
 このままでは、彼らのほうが動けなくなるのは必至である。そうはいっても、彼女を相
手に全力を出すわけにもいかず、なによりも彼らの心持ちがそれを拒否しているのだ。そ
んな逡巡をしている合間にも、彼女はひたすら次の詠唱に入る。
 レオンは詠唱することをやめて、口を結んでうつむいている。
 即座に立て直して応戦するアレク。レオンには害を及ばすまいとして。アレクは、手を
動かしながらレオンのほうへ、逃げろという思いをこめて目配せする。
 レオンが口を結んだまま顔を上げて、携えているつるぎのつかを握ったかと思いきや、
「――ごめん!」
 それだけを言うと、つるぎをさやから抜いていないまま構えて、彼女のほうへと駆け寄
る。そうかと思うと、彼女の後ろへとまわって、手にしているそれを彼女の背に打ちつけ
た。
 すると、彼女は前のめりに倒れていった。レオンとアレクが少しの間だけ様子を見たと
ころ、彼女は気を失ったようである。先ほどの苦戦がうそであったかのようにあっけなく。
 アレクも、あっけにとられたといった表情である。それからすぐに身体の力が抜けたた
めか、その場にひざを着いて、
「レオン、こいつを負ぶっていってくれ」
 レオンは黙ってうなずくと、彼女を背負おうとする。
「介抱のついでに、事情を聞く必要があるな。フレンジリアまでの距離はそう遠くない。
急ぐぞ」
 レオンのほうを向いて促すアレク。レオンは、彼女を背負った状態で、夢見心地といっ
たようすでほうけていた。それは、まるで遠い昔を恋い慕うかのような。
「どうかしたか。疲れてるなら代わるが」
 そうたずねられると、レオンははっとしたように、
「ううん。平気だよ。行こう」

                         〜 第一部:流離い人・完 〜 
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