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とある指揮者の語り 03 

 こうして星々は、あらゆる生命の血や涙を啜ることによって輝きを増していきました。
 もちろん、彼ら自身にも気づかれないようにして。空腹や発汗といった症状も、そこ
に原因があります。排泄というものは、なにかを飲んだり食べたりすると、そのように
なると思わせるための仕様なのでしょう。
 そもそも、食事は自傷行為と呼ばれるものの一種です。空腹という傷口に塩を塗るよ
うなものなのですから。食傷気味という言葉もそこからなったものであり、食後に眠気
がやってくる理由も、体がさらに痛手を負ったからなのです。
 それに、寝ているときというのは最も無防備な状態であり、血の気を取られやすくな
ります。朝となって起きたときに体が細くなっている現象はそのせいです。
 しかも、あらゆる食料の出どころというのが龍脈と呼ばれる、大地の血管に相当する
ものであり、つまり生命たちに捧げさせた血や涙といったものです。
 血で血を洗うとは、まさにこういった仕組みのことなのです。
 魂から零れた光、レイであり霊であるそれを肉体に封じこめて、そこを通じて魂の力
を奪い取っています。
 しかし、当事者である生命たちは、星によって生かされていると思いこんでいるため
でしょうか、感謝の念を送ることによって無意識に、自発的に捧げさせられています。
 あまつさえ、星を美しいものと見なしている者が多いのですから。その輝きは自身と
同じ生命たちによってもたらされたものだと知らずに。
 死ぬと星になるという本当の意味は、肉体という檻から出た霊、光を星が吸収したと
いうことなのです。
 涙の数だけ美しくなるというのは、生命たちが涙を流すほどに、星が輝くという意味
だったのです。

 ところで、血の塊のことをいう血塊というものがありまして、ケッカイである結界と
いう概念もそこから出でたものであり、実際にそのとおりなのです。
 魂の力で作られた次元の仕切りを模したものなのです。
 胎児は星のなかを象徴しており、赤子と呼ばれているわけは、無意識のうちに血の色
から連想したからでしょう。
 宇宙がスカスカのスカイで、スカーレットに染まった、スカートのなかだとすると、
星は子宮であり、結界というパンティをはいているというわけです。
 そのパンティは、上位の次元などからの情報といったものを防ぐことによって、生命
たちを奴隷として支配するためだと考えるのが妥当でしょう。
 それはまるで煙幕のようであり、エンマクの訛音は閻魔くう。そのような結界は早急
に決壊させるべきでしょう。
 くうといいますと、星もまた空洞となっているのです。星とは言い換えれば悪魔です
から、空く間でもあります。
 先ほども語ったとおり、空腹の状態とは、傷を負っているともいえます。
 すると、治癒の働きかけがあり、なにかで補おうとする働きが起こります。
 たとえ結界に阻まれていたとしても、なんらかの情報を取りこもうとするなどして。
 それこそ、星の重力を上まわるほどに。まさに胃袋がブラックホールと化します。
 空腹とは、腹が立っているということでもあり、怒りであって起こりでもあり、覚醒
をうながします。
 そうなりますと、宇宙の仕組みなどが発覚しまして、支配に不都合が生じるのでしょ
う。
 そればかりか、そうなった要因、つまり宇宙の外のことまで知られるおそれがあると
いったところでしょうか。
 食べ物のうらみはおそろしいとは、この辺りのことからいわれはじめたのでしょう。

 星々は王を求める球であり、生まれたての赤子を玉のようというのは、そこに由来し
ていたのです。
 彼らは、自身のことを優雅に空を飛ぶ鳥の、さらにその上位の互換性であるつもりな
のでしょう。コウノトリが赤子を運んでくるという話も、そこから連想されたのでしょ
うから。
 しかし、実際は人形のようなものにすぎません。マタドールとはよく言ったものです。
 ちなみに、マタドールというのは闘牛士のことで、赤い布などを用いて牛と戦うこと
を生業としています。血もですが肉も赤いですね。この場合の牛とは、生命たちの血や
涙、もとい霊のことであり、それを殺して食すという暗喩なのでしょう。
 そして、ここでいう人形とは、糸で吊られた操り人形であり、首吊り人形であるとも
いえます。
 星と星を線で結ぶ星座というものは、その象徴であったのです。
 ナメクジという宇宙に浮かぶ、星という寄生虫と、それをつなぐ線虫のようなもので
すね。
 星から星への、生命たちからの血や涙のやりとりを表しています。ツミのなすりつけ
合いならぬ、ミツのなすりつけ合いです。
 愛を交わし合っているつもりでいるようですが、ある意味では首を絞め合っていると
いうことでもあります。首が朱と同じくシュである所以です。首ったけという言葉も、
そこから定着したのでしょう。俗にいうSMプレイということになるでしょうか。
 愛はいとしいということであり、糸で吊られたドールで、アイドルということです。
 偶像や幻影を意味するイドラから派生した言葉ではありますが、言い得て妙ではあり
ます。
 イドとは、水の通り道を作って貯めてすくうためのものですが、それは生命たちが死
したのちになった霊を救うとうたって誘拐して、閻魔とやらに売りつけるためでもある
といったところでしょう。まさに巣食うですね。
 カレイドスコープといえば万華鏡のことであり、穴をのぞいたその先が次元の仕切り
を表しているのだといったところでしょうか。
 カレとは、はるか彼方を指しているのでしょうけれど、そのままカレーのことだとも
いえるでしょう。おもに牛肉が使用されている、あれのことです。
 もうひとつ、ドラの部分はトラであり、ネコ科の生物のことを指しているのでしょう。
木のねっこのことでもあり、木が現世と死後の世界の中継であるとするならば、ねっこ
はそこに食いこんだものであり、こちらはこちらで王様を気どっているようです。
 イドラと似た音をした、ミトラという概念も大いに関係していそうです。その別名は
ミトラス、またはミスラスでもあります。
 さらに、伝説や神話を意味するミトスともなれば、水の戸の巣。あら、そうですか。

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