とある指揮者の語り 02
女帝であるイヴ改めガイア、またはゲーは、魔術師の真似をして教皇を作り出しました。
それは、法王とも呼ばれています。
ままごとの本質はここにあり、そのためにママのことと名付けられたのです。
お金を意味するマネーも、愛の受けわたしの真似をしたところからはじまりました。
その法王の名は、ゲーの涙であるとして、ゲーティアです。
ほかの読みはゴエティアであったり、ガイーシャであったりします。
閻魔であるといったほうが通じやすいかもしれませんが。
法王の役割といえば、世界というでんでんむしを統べることです。
貝のなかにいる虫、犬小屋のなかの犬という発想もここからのものでしょう。
貝殻を取った状態、つまりナメクジの部分は、のちに宇宙と呼ばれ、神秘であるとして
崇められるようになりました。
おみくじというのは、ナメクジに掛けたものでしょう。
統べるとは、滑るという言葉のゆえんでもあるのです。楽園からおとされたという意味
では、すべったとも表現できるでしょう。
滑らかという言葉は、なめくじのなめるというところから来ています。
ちなみに、ナメクジのほとんどは水分でできています。
宇宙も同じです。だれかの涙がなければ成立しません。ひろがりもありません。
本当は空っぽなのです。すかすかのスカイです。だから真空であり、虚空といわれるよ
うになったのです。
服でいえばスカートといったところでしょうか。
それでは、宇宙が膨張するための涙はどこから調達しているのでしょうか。
それこそが、魂の力なのです。魂を氷とするならば、その涙はそこから流れたしずくで
す。
そう、魂の一部をこの世界に誘拐してきたのです。融解という言葉も、その音からなり
たちました。
そのための中央処理装置となるのが生命たちです。その魂の一部をおろすための手段が
体であり、生物というわけです。
彼らを住まわせる手段として、星が用意されました。世界というでんでんむしのなかに
とまる、中間宿主に相当します。
中間宿主とは、いわゆる寄生虫を指すものであり、幼生を発育させるため、一時的に宿
を借りている状態です。
ちなみに、ナメクジには線虫の一種が宿っています。へびの形をした微生物です。
それで、悪魔という概念は星のことを指したところからはじまり、天使という概念はへ
びのことを指したところからはじまりました。
そもそも宇宙とは、地獄と呼ばれる下層の、さらに下にある地獄です。仮想の世界であ
り、生物という皮を被った仮装の世界であるのです。
楽園からおとされたことからできあがったそこは、本当の意味でも死後の世界であり、
仮葬や火葬されたということでも間違いはないでしょう。
下とは舌でもあり、味覚を感じる部分であり、なめることもできます。ナメクジという
わけでもあります。
舌を切るという表現は、宇宙つまりナメクジへのささげものというところから来たので
しょう。下を着るというわけでもあります。
宇宙には幾重もの膜ができており、これが次元という観念です。膜と掛けて幕開けとい
うわけです。これはナメクジの粘膜に相当します。
当然といえば当然ですが、これも魂の力でできあがっています。
さて。宇宙が、魂をじかになめて取ると、彼らに気づかれて、逃げられてしまいます。
そのため、合間に挟んだのが悪魔や天使というわけです。
生物として活動しているあいだは、星つまり悪魔に、魂に由来する力を吸い取られてい
ます。体力や気力がなくなっていき、生命力がおとろえるということです。血の気がなく
なるということでもあります。吸い取るとはスイを取る、水分を奪い取るということなの
です。
星とて、たとえ宇宙の企みを察知したとしてもやめられないでしょう。その涙によって
輝くという快感を捨てられないのですから。
すると、生命たちは、無意識であっても、星にいることを苦痛に感じ、まさに悪魔であ
ると思いはじめます。星くずという言葉ができたきっかけも、そこからなのでしょう。
もちろん、それも計算のうちです。そうでなければ、育った魂の収穫がしにくくなるの
ですから。
もしくは、急に体から引きはがされて戸惑うこととなるでしょう。
そこで、生を終えたその瞬間に、天使の登場です。ここよりは増しな場所へ連れて行っ
てくれる、救いの存在として崇められます。本当は宇宙に食べさせるために、スプーンで
すくわれたようなものだと知らずに。
しかし、ありがたがってくれなければ逃げられてしまいますから。
かえるはへびに勝てませんが、へびはなめくじに勝てません。
しっかりとそのとおりに働けば報酬がもらえますが、そうでなければ始末されるといっ
たところでしょう。
いずれにせよ、へびとて、快楽が与えられているとなればやめられないでしょう。
それこそが、宇宙の企みであると同時に、それを統べる法王、さらにそれを支配する女
帝の企みなのです。
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