起こりは、果実のなる樹に絡みつくへびの話であったか。
そのしたにいる男と女は胎児を彷彿させる。へびがへその緒で、果実を栄養として運ん
でいるといった構図の。果実に相当するのはりんごだという説が有力であるが、ストロベ
リーとしても問題はなかろう。トマトとしたところで同じことであるだろう。
あるいは、心臓と腸を表しているのかもしれないが。ちなみに樹は、骨というよりも芯
の部分に相当するといったところか。
ひとまず人体を模したストーリーということか。ただし逆説的にいえば、人体のほうが
樹を模してつくられたということもありえるが。どちらが先であるかということはさして
重要ではなく、神というものからすれば同じようなものであるのだろう。平等などといえ
ば聞こえはいいが、実際には、ストレートに伸びているストローの柄の違いのようにしか
見ていないのだろう。
そういえば、タイジとタイジュは音が似ている。
そもそもこの世のあらゆる生命体は、自分で動いているようでいて実は、植物のように
地に縫いとめられているようなものなのかもしれない。地縛霊などというものがいるよう
だが、生きているものたちこそなにかに縛られていると考えられる。
ここまでの見方は序の口といったところであるだろう。
実際には果実にまつわる壮絶な争いの物語だと考えたところで、ようやく御託の域であ
るといえる。
そう、ここでもまだじゅうぶんな読みではないのだ。
ここでいう果実とは、いつしか人々がなくした、記憶やら能力やらといったものをいう。
へびによってそそのかされたとはいえ、それを口にすることを決定したのは、自らも不
足を感じたからだろう。
これは、なくしたなどと生易しく考えるよりは、何者かに意図的に奪われたと思ってお
いて損はないだろう。
それで、その彼らが、果実を食さなければ重大な事態にならずに済んだという話である
が。それは根本の解決にはならないというのは、以前にも思考したとおりだ。
そのままの状態であるということは、心が五体も満足にない状況に甘んじるということ
だ。
まさに、本当は空腹であるのに、満腹であると錯覚させるような。そうでなくてもそう
であると言わせるようなものである。
問題の解決にならないどころか、むしろ大ありだということだ。
さて、もう一段ほど上げて考えてみよう。
知恵の実が、神に相当するのではなく、樹やへびと同じく人類に相当するとして。ただ
し、文字どおり、人類のなかでも相当に知性が発達したものではあるが。
その場合、知恵の実に相当する人類は神聖視されることとなり、期待や羨望、ときには
嫉妬の目を向けられることとなる。
当然、いいように利用されることもあり、なぶられるほどに迫られることもあれば、ご
み箱のようになにかをぶつけられることもある。
そして、ある程度は擦れていると、知恵の実に相当する彼らのほうに嫌疑の目を向ける
ことだろう。俗にいう偉い人など、所詮はまがいものにすぎないという心理が働いて。
これこそが、原因となった犯人、つまり外側の神が、自らにうらみなどといったたぐい
のものを向けさせないための仕込みであるといえるだろう。
ところで、金のなる木という名の植物がある。
もしかすると、もとは金の鳴る木とか気とかであるのかもしれないが。
勇気りんりんなどというのも、もとは鈴や鐘の音が由来なのかもしれない。
りんごのりんということも考えられる。鐘が鳴る効果音がリンゴンであることもうなず
けるというものだ。
木に生えているりんご、知恵の樹に吊るされた知恵の実。かつて、人類に重力という概
念をもたらした――。
存外、英知こそが財産であるという思いが、そう名づけさせたのかもしれない。
「神と人はどこで隔てられたんだろう。いや、どうしてそういった階級ができたんだろう
か」
ミカゲがそう言うと、チカゲはすっと目を細める。
まったく、この男は。先ほどから考えごとをしているかと思いきや、いきなり何を言い
出すのだ。チカゲは、そう言わんばかりに、ため息をついた様子で腰に手を当てる。
しかし、それほどあきれた様子でもない。この双子の弟がそのような考えを起こすわけ
には心当たりがあるからだ。
今、ふたつ並んでいる寝台の上に、それぞれが乗りかかっている。
ミカゲは、動きやすい服装で横たわるが、気を抜ききっているわけではないようだ。
チカゲは、固めの素材の、それなりに洒落た服を着ているが、そのまま寝るつもりでい
るようである。
部屋は殺風景ではないのだが、質素な様子ではある。ふたりとも、もらいもの以外は、
必要なものしか置かない主義であるのだろう。
特筆するものといえば、寝台の下に無造作に置かれている武器や、防具ではあるが私服
のように見える上着、最低限のものを詰めた荷物であろうか。
ずぼらなのではなく、いつでも部屋を飛び出せるように構えているといったところか。
「神も人も犬であることには変わりないのにな」
ミカゲがそう言うと、チカゲはあっけにとられる。
どのように考えてもそのような状況にはなりえないはずであり、寝言でなければ気が狂
ったとしか思えない。自身よりは聡明であるはずの弟が言うのだから、なおさら混乱する
ものであるだろう。
百歩譲って、神を意味するGODと、犬を意味するDOGをそれぞれ逆にして読む洒落
であるというのなら分かる。しかも犬の祖先であるオオカミは、大神とも書ける。
「罪やら罰やらなにやらで噛み付くか、崇拝というかたちで尻尾を振って付き従うかの違
いでしかなかろう」
まあ、それなら言いたいことはわかると。チカゲはひとまずうなずく。
神とは結局、咬みのカミであり、犬やへびのように咬むものという意味か。
こう考えると、人々は動物たちの駒にされ、彼らの縄張り争いに巻きこまれているとい
うことになるか。
「それで、その状況に適応できなかったら負け犬ということになる。そこに異を唱えたら
負け犬の遠ぼえといったところだな」
ちなみに今の自分はこの状態だと、自虐するでもなく淡々とミカゲは言う。神の領域、
つまり遠いところに向けているという意味では言いえて妙だとも言って。
「だが、そう言われたところで特に問題はない」
神にとって、人のこうした声は、犬がなにかほえているようにしか聞こえないのだろう。
ならばなおさらかまわないはずだと。負け犬呼ばわりして、ほえるのをやめさせる目的も
あるだろうからと。
そして、なにかが気に入らなくて暴れて、世界という犬小屋が壊されたとしても。
「それに、恥さらしだというなら、それはむしろ神の側にある」
飼い犬が延々とほえたり暴れたりしていても、なだめることすらできない神の不手際で
あるのだと。
「ちなみに負け猫などとは聞かないのは、神や人は犬に同じといった意味合いの名残が、
無意識の部分に刻まれてるからなんだろう」
そういえばと、ミカゲは思い当たる。自分たちが所属していることになっている、秘密
というわけでもなさそうな結社では、犬を模した自動人形がつくられていることを。
神と犬を結びつける、無意識での名残がそうさせたのだろうか。
それ以前に、神で犬、大神で狼というところまでは単純すぎる。まるで、そう思ってく
れと言わんばかりに。
うそではないが、じゅうぶんでもない。記しにもならない、印でしかないもの。それで
矛先をそらしてきたのだろう。飼い主にではなく、飼われている犬から犬へ。つまり神に
ではなく、人から人へ。もしかすると、本当の犬という個体までも矛先の対象として。
完全なうそではないのは、そうでないと、人の意識にすりこみにくいからであろう。
そうなると、その結社の者たちでさえ、神のてのひらの上で転がされているということ
になる。反カーナル神を掲げる組織でありながら。無意識である部分を知覚できないよう
にされているばかりに。
もしくは、知恵の樹にりんごを吊るされているかのように、記憶や情報を奪われている
とか。見えなかったり思い出せなかったりするものがあるなら奪われていることと同義で
はあるが。
それではもうひとつ、神は犬と掛けて居ぬということであるだろうか。
結論としては、正解ではあるが正確ではないといったところである。
神という概念を作りあげたのは人であるという可能性はもちろんある。
全知全能の神というものは存在するかと問われれば、こちらも可能性はあると答える。
ただしその場合、世の中の現状を知っていながら放置しているということになる。よって
崇拝するほどの対象ではない。存在を認めないことと同義ではある。
全知全能でないとすれば、神と神の間でも、追放やら乗っ取りやらがないとは言いきれ
ない。
いずれにせよ、神と呼ばれている、この世界の仕組みを仕掛けた存在がいることには変
わりない。
神などいないと思ったほうが楽ではあるのだが、そう結論づけて追及を放棄することも
また危険であるだろう。
「そもそも、神やら人やらといった階級が存在して、差別する意識を植えつける原因を作
ってる時点で、神は偉くもなんともない」
まったく、この姉は。自分がうだうだと考えこんでいるのをよそに、急所をすっぱりと
切ってかかってくるのだから。ミカゲはため息まじりにそう思いながらも応じる。
「まあ、神と人は一体であるという言葉もあるからな。人と自然も一体であるとか」
そして、カミヒトエという言葉は、紙は神、人は一、神と人が重なる様子を表す言葉で
もあって、もとは神人重であったのではないかと改めて思う。
森羅万象というあらゆるものは、究極的にはひとつであるといえることも含めて。
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