+. Page 077 | 陽だまりの影法師 .+
 ミカゲが眠りから目を覚ましたときには雨が降っていた。
 体を起こして、窓の外を眺めるミカゲ。彼は、空の様相を気に掛けているわけではなく、
どこか遠くを見つめているようである。
 昨日の夜、あれから結局、ミカゲとリゼは一緒に、この教会のほうに戻ってはいた。あ
の言葉を最後に、いっさいの会話はしていないが。
 ――好きだよ。
 そのあと、君はとたずねたときの答えも聞いていない。
 ミカゲ自身、ほかの考えがあったわけでなく、気持ちのままにそう告げたのみであった。
いわば衝動のようなものであり、彼としても、自身で歯どめの利かなかった状況に対して
驚絶しているのだ。
 そんな朝から、リゼの姿をそれとなくさがしているのだが、いっこうに見当たらない。
 昼時。ミカゲは、厨房にて、隣で湯飲みを洗っている女性にたずねてみた。
「あの、リゼはどこにいるかご存知ですか」
「さあ。さっきまで一緒に食事はしていたけど……」
 さっきというと、ミカゲはちょうどここで後片づけをしていた頃だ。それこそ後まわし
にして、自分も食事しに行けばよかったなとため息をつく彼。とにかく、またそのあとで
彼女をさがしてみようと思った。
 しかし、彼がこの日にリゼを見つけることはできなかった。
 それどころか、次の日も、そのまた次の日も、リゼの姿を確認することさえできていな
い。
 ほかの子どもたちにリゼのことを聞いてみたが、彼らも、彼女のことをそのおとついご
ろから見ていないというのだ。
 姉、チカゲに聞いても、痴話げんかになら巻きこまないでくれと、さらりと一蹴されて
しまった。
 リゼと親しい間柄だといえるルーインに聞いたところ、なぜだか不機嫌そうにミカゲを
見やるだけで。嫉妬しているというよりは、こちらが聞きたいことをなぜ聞かれなければ
ならないのだという、いらだちのようであった。
 ときどき大人たちにも彼女の行方をたずねてみたのだが、先ほどまでこの近くにいた気
がするのだがと、そういったような答えが返ってくるのみであった。
 そうともなれば、やはりリゼは、ミカゲをさけているのだと考えるほうが自然だろう。
彼自身もそう感じたようで、深いため息をついた。あの言葉を気にしているのなら、気に
しなくても大丈夫だということを伝えたい。直接そう言うわけではないにしても、態度で
示すことはしたいのだがと。
 それに、もうすぐでリゼの誕生日がやって来る。そのときには祝いたいのだと考えてい
るミカゲ。彼は、少し先の未来に思いをはせる。
 この教会の立地や経済の状況からいうと、贈り物を買うことも、豪華な食事を振る舞う
ことはできないだろう。それならば、料理はせめて腕によりをかけようと考えていた。
 そうだ、厨房やほか、備品を保管している場所を探せば、クラッカーぐらいはあるかも
しれない。

 ――パァン!
 などという、分かりやすい音からの前触れではなかった。ましてや、祝福の鐘のような、
透きとおるような音ではない。鈍く重苦しい、まとわりつくような音であった。
 本日も雨が降っているためか、昼下がりだというのに、空は灰をかぶったように薄暗い。
 ミカゲは、カーテンを閉めきっているためにほとんど暗い部屋のなかで、寝台に腰を掛
けて、両方の耳をふさぐようにして指を当てている。耳鳴りがとまらないのだ。
 初めは、たまたま気圧の影響を受けたのだろうと考えた。しかしながら、それにしては
不可解な症状であった。そのことがますますミカゲの顔をしかめさせる。
 まず、気候の変化などが原因で、体調に異変が起こることなど、ミカゲにはまったくと
いっていいほどなかった。もともと頑丈であるために気づかなかったことはさておき。
 そうであるのに、長い時間がたっても治ってこないとなると、このまま耳が聞こえなく
なるのではないかという不安に駆られたりするものだ。もっとも、ミカゲ本人は、自身の
発する声の調子を把握できなくなることへの懸念のほうが大きいようであるが。意思の疎
通であれば紙と筆があればどうにかなるだろうが、歌うことはできなくなりそうだとか、
童話の読み聞かせなどは難しくなりそうだとか。
 ほかの子どもたちに心配をかけまいとして、今回は、彼らからの遊びのさそいに応じな
かった。いつもなら断らないだけに、かえって変に思っていなければいいがと願って。
 それに、彼女をさがしに行くこともままならないなと。ミカゲは、暗くて重い、少なく
とも彼自身の感覚ではそのような、長い息をはいた。

 だれもが寝静まったはずの真夜中。ぼんやりとあやしく光るその先、教会の建物がある
ほうとへと向かっていく、ひとつの姿があった。
 ざわめく風に長い髪を揺らせている、小柄な少女。雨はあがっているが、それは小休止
といった状態のようで、まだ湿り気を帯びている空気は、ねっとりと肌に絡みつくようで
あった。
 少女が歩いたあとの道にたまっている水は、ぴちゃぴちゃとかなしげな音をたてた。
 目的の場所に着いた少女が、その扉の取っ手を引くと、心細げに泣くような、かん高い
音をたててひらく。
 暗い建物の内部。壇に置かれた燭台には、鮮やかなまでに赤々とした火がともされてい
る。しかしながら、辺りを明るく照らす範囲は広くなく、付近の人影を映すのみであった。
 そこには、既に人の姿があった。ひとりではない。法衣で身をまとった牧師たちが、壇
の手前で、祈るようにして手を組んで、ずらりと横に並んでいる。
 彼らは、向かいの扉がひらかれたその瞬間、一斉に顔を上げる。そこに少女の姿を確認
するやいなや、宴で馳走が運ばれてきて歓喜するかのように目を光らせる。
 少女は、ぎこちない動きで進んでいき、壇の前で足をとめる。
 すると、ちょうど彼女と向かい合っている、最も華美な装いをした牧師が謝辞を述べる。
「よくぞ来てくれた。そなたなら必ずそう決意してくれると思っていたぞ、――リゼ」
 少女――リゼは辺りのほの暗さにさらされているためか、その表情は闇をかぶせられて
いるかのように影が差している。
 そしてリゼは、息をじゅうぶんに吸いこんで言う。
「その前に、約束してほしいことがあります」
 か細くはあるものの、明りょうな意思のある声で。約束だと言えば必ずそうしてくれる
ものだと信じている、そんな無垢さとともに、真剣さをうかがわせる瞳で。
「ミカゲくんには、絶対に危害を加えないってことを――」
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