レキセイが、ホテルの割り当てられた部屋に戻ってくると、部分品がゆがんでいるので
はないかと思わせるほどまでに顔をしかめたアルファースがいた。
「晩に帰ってくるのが遅くなったうえに、今朝も早くから姿をくらませたのは悪かったと
思ってるんだけど、とある人に捕まって――というところまではなくて済んだんだけど、
戦っていたり話しこんでいたりしていて……」
聞いただけでは要領の得ない説明をしていると、
「お前がいつどこでだれとなにをしていようが、俺の知ったことじゃねえ。俺がどうこう
言えた義理じゃねえしな」
怒っているというよりは疲れきっているような低い声でそう述べられると、ではなにが
原因であるのだろうと、首をかしげるレキセイ。
「あれだ、あれ!」
アルファースがそう言って指差したところには、寝台の上で、いまだにすやすやと眠る
リーナの姿。
「なんで、隣のベッドで眠ってたのが、部屋が分かれてたはずのあいつだったんだ。安易
に招き入れるな。襲われたとなってはシャレになんねえぞ」
「実は、リーナの部屋がその、襲撃されて、ひとりで寝かせておくのが不安だったから連
れてきたんだ」
襲うの意味がかみ合っていない会話をくりひろげるレキセイとアルファース。
「襲撃された? どういうことだ」
レキセイのなにげない言葉の端々から不穏さを読みとったアルファースは、顔をしかめ
てというよりは、おそろしいほどの形相でたずねる。
レキセイは、ひと呼吸すると、事の顛末を話しはじめる。セイルファーデの一件を経て、
クロヴィネアで起こったあの事件。その両方にかかわったことで、自身とリーナが、エア
リスという組織に目をつけられたため、そこへと連れられそうになったことを。それでも
ひとまずは引いてくれたのだが、彼らはあきらめたのではなく、また日をあらためてやっ
てくるのだと。実質として組織ぐるみでねらわれていて、次はいつだれにどのようなかた
ちでやって来られるかの見当がつかないため、常に緊張をしいられる状態が続くだろうと
も。
レキセイが話し終えると、アルファースはなにかを考えこんでいるようであった。
「それで、これ以上、おれたちといると巻きこんでしまうから……」
続けてそこまで言いかけたところで、アルファースは、
「分かった。そいつらがやって来たら、追いはらえばいいんだな」
さらりと、そう述べる。レキセイがかすかに戸惑っているところで、続けざまに、
「脅迫のようなやりかたで人を動かそうとする魂胆が気に入らねえ。一発ぶん殴ってやる」
いかりに燃えている彼を、レキセイはなにを言うでもなく、冷や汗をかいた状態で見つ
めている。
「しかしエアリスに目をつけられるとは、お前らも難儀なことだな」
われに返ったアルファースが、ため息まじりにそう言う。
「エアリスのことを知ってるのか」
そして、なにげなくそう問いかけるレキセイ。
「そういう組織があるということぐらいなら聞いたことがあった。別に因縁があるわけで
もないが、妙に気になって、ひとまず情報を集めてる」
「気になるって?」
「分かんねえよ。ただ、わけもなく俺をせきたてるというか、胸がざわつく感じがするん
だ」
途方にくれている、アルファースはそういった様子だ。
「クロヴィネアでの火災の件も、やつらが絡んでる可能性があると思ったんだが」
「いや。そっちのほうは多分ちがうんじゃないか」
エアリスから言わせると、人間の所業よりも、神すなわちカーナルのやりかたのほうに
いかりをおぼえているのだ。悪人と呼ばれる者たちのことでも、加害者としてではなく、
カーナル神による被害者であると見なして、気の毒に思いこそすれ、うらむことなどない
ようだ。そうであるからして、特定のだれかをねらい撃ちにすることなどもなさそうであ
る。彼らは、暗躍に特化しているため、人目を引きやすくて発覚の危険性が高い手段はと
らないだろうと。
「ところで、そのミカゲが言うには、午後からフロントの係を交代するんで、そのエアリ
スの構成員と鉢合わせて面倒ごとを起こしたくなければ午前中にチェックアウトを済ませ
ておけと言われてきて、今ふたりを呼びに来たところだったんだ」
「だったらとっとと出る準備を済ませるぞ。そいつの言うとおりにするのは癪だが、どの
道、俺たちは、一箇所に長居しないほうがいいのは確かだ」
そう言うと、アルファースは、素早い動作で剣をとって手入れを始める。
レキセイが、まだ眠っているリーナを起こそうとしたそのとき、
「――ちっ!」
短く発せられた、アルファースの声。誤って刃で指に傷をつけたようだ。今は医薬品を
切らせているためか、血を布でふきとり、傷口にだ液をつけて切り抜けようとする。
それに気づいたレキセイは、間を置かずしてばんそうこうを差し出す。彼の場合、あら
ゆる局面でけがが絶えないため、常備しておくようにと念押しされているのだ。
「悪い。この分は後で返す」
「返さなくていいけど」
「いや、なんでも借りっぱなしだと気が済まねえ」
「貸し借りじゃなくて、ただ、持ってる物は必要としている人に手渡していくのでいいと
思うんだ」
それでも、アルファースは納得しきったようではない。
「どうしても気になるなら、ディルトに着いたら、俺の武器を見立ててくれないか」
すると、アルファースは、いきなりの申し出に驚いてというよりは、なにかに関心を持
ったようで、ぱっと顔をあげて、
「お前、武器も使えるのかよ」
「槍と二刀の扱いかたはラフォルに教わったことがあるんだ。槍は彼の得物だからだった
んだけど、二刀のほうも勧められて。それで、槍術ならリーナをたよれるから、俺は二刀
のほうを買おうと思ってる」
「それは構わんが、ずいぶんと急だな。今まで柔術で乗りきってきただろ」
「殺傷力の少ない技のほうがいいと思ってきたんだけど、これからはそうも言ってられな
くなる気がして……。なんとなくだけど」
「まあ、いきなり物騒ことが降りかかってきたらそう思うわな。分かった、任せておけ。
ひとまず、リーナを起こして、準備ができたらとっととここを出るぞ」
レキセイ、そしてリーナとアルファースの一行は、宿泊費の支払いを済ませるため、フ
ロントのほうに来ていた。
支配人は彼、ミカゲであるのだが、本来の姿ではなく、宿泊の手続きをしたときと同じ、
壮年の紳士に変装していた。彼は、つい一刻前までこの場でレキセイと会話を交わしてい
た名残をまったく感じさせず、ひたすらこの係の役目に専念している。レキセイも、彼に
ならうように、ただの客であったかのように振舞う。リーナは、彼の本来の姿を知らない
ため、いつもと変わったところはない。
虫ずが走っているともいえる形相でいるのは、アルファースである。レキセイから話を
聞いていた彼は、今すぐこの支配人を告発したい思いをしているのだが、そうすれば、町
の経済の状況が傾くどころか、秩序まで乱すおそれがあり、そうなっては、自身では責を
負いきれないことは想像に難くなく、黙っているしかできずにいらだっている。
「ありがとうございます。またのご利用をお待ちしております」
もう来ねえ。その言葉をどうにかのみこんで、アルファースはずんずんとした足どりで
出入口のほうへと向かう。
それと同時に、複数人の女性たちがやって来て、
「なによお。今日はミカゲくんが入ってるって聞いてきたのに違うじゃないの」
「あーあ。なんかむだ足って感じ」
今ここにいるのが彼であるとは知る由もない彼女たちは、がくりと、肩を落としながら、
そんな具合で口々に発している。
そして、町をゆく熟女たちの間では、
「今日のホテルの支配人は、ダンディなおじさまらしいわよ」
「あら、それじゃ会いに行ってみようかしら」
これはこれで景気がよさそうであった。
「ったく。どいつもこいつも、だまされてるとは知らずにキャーキャー言いやがって」
アルファースはそう毒づきながら、この場を後にしていった。
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