暗い、暗い視界に、白んだ光が射してくる。
レキセイが目を覚ましたその先には、薄汚れた白の壁、正確には天井があった。そこに
は、ほどほどに豪奢な造りの電灯がつるされていた。部屋全体には、就寝の妨げにならな
い程度に施された装飾の数々。ここは、宿泊施設の一室であった。
窓の外からは、陽の光が、高い位置から射しこんでいた。もう昼間であった。住人たち
の、さわやかなほどの声が聞こえてくる。彼らは、それぞれのなりわいにいそしんでいる
ようだ。都じゅうに張りめぐらされている水路の、水のきらめきがさらにそれを引きたて
ている。
レキセイは、夢を見ていたような気がしていた。住人たちの日常が、とある男たちによ
って奪われ、食という最低限の生活までも侵された。それを取り戻すために、彼らと戦い、
しりぞける、そんな夢。
しかし、それが夢でなかった証拠に、レキセイの身体のいたるところには包帯が巻かれ
ていたり、傷口をふせぐためのガーゼがあてがわれていた。
レキセイは、はっとし、隣の寝台をみやる。そこには、彼と同じく傷への処方を施され
ている少女の姿があった。
レキセイは、寝台からぬけだし、少女、リーナのほうへと向かう。彼女は、寝息をたて
ながら眠っている。彼は、ほっと一息つくと、ただ彼女を眺めていた。
しばらくして、リーナが目を覚ますと、
「あ、やっと起きたか」
そう声をかけるレキセイ。
リーナは、次いで身体を起こしたものの、寝ぼけているためか、焦点が定まっていない
ようだ。ようやく、レキセイのほうを向くと、
「あ、レキセイ」
「大丈夫か? どこも痛くないか?」
どう見ても大丈夫そうでも痛くなさそうでもないのだが、レキセイにとってはそれがよ
りよい、意思疎通のしかたであった。
「うん……? ええと、とりあえず、お風呂に入りたい」
リーナは、状況を理解しているのやらいないのやら、負傷していることには気がついて
いるだろうが、特になんともなさそうに浴室のほうへと向かっていった。
レキセイとリーナは、激しい運動でなければ身体を動かせるようで、身支度を終えると、
この建物の内部を、どこへ行くでもなく歩きまわる。やがて、出入口付近に差し掛かると、
「あ! あの、気がついたのですか……?」
ここの支配人と思しき女性が、レキセイとリーナの姿に気がつくと、慌てふためきなが
らたずねた。
「あ、はい。心配をお掛けして……」
「ああ、よかった。あ、それから、食事の準備をして待ってるからと、コックのほうから
伝言がありました」
そして、レキセイがなにかを言い終えるよりも前に、そうまくし立てる支配人。
「え、食事があるんですか?」
「そういえば、おなかすいちゃった」
「それでは、レストランのほうへ行ってみます」
そうぼんやりとしたように受け答えると、レキセイとリーナは、この宿屋が兼ねている
レストランへと向かっていった。
「おお、お前ら! おかげで新しい食材が入荷したんだ。どーんと食っていってくれよ」
レキセイとリーナがレストランへ入っていくと、調理人と思しき男性が、待ちわびたと
言わんばかりに勢いで促す。レキセイとリーナは、ほぼ貸しきり状態のこの場の、窓際の
ほうの席に着いた。それとほぼ同時に運ばれてきた、小腹をこつんと突くようなにおいを
漂わせている食事に舌鼓を打つ。
レキセイが、不意に、窓の外をみやると、そこには相変わらずの光景であった。
「住人たちの生活は元に戻ったみたいだな」
「とりあえず、解決したみたいでよかったわ。あれだけ戦っておいて失敗したなんてこと
があったら報われないもの」
「とりあえず、食べ終わったら、支部のほうへ行って、あれからどうなったのかを聞きに
いこう」
そして、次々と運ばれてくるメニュー。このままでは際限なく流れるようにやってきそ
うであり、既に満腹であることを告げると、この場を後にした。
「おお、おお。君たち、気がついたかね。いやあ、よかったよかった」
レキセイとリーナが、LSSが所有している建物のなかに入っていくと、窓口のほうか
ら、屈強そうな体格とは裏腹ににこやかな中年の男性にそう出迎えられた。
「あ、はい、さっき起きました」
「そうかそうか。昨日は起きなかったようだから、どうなることかと思ったよ」
「え、昨日というのは……?」
「ああ、実はな。君たちが戦い終えた後から、丸一日以上経ってるんだ」
「そ、そうだったんですか」
そう告げられ、がく然としっぱなしのレキセイに対し、リーナのほうは、特になんとも
ないといったふうであった。
「そういえば、みんな元どおりになったみたいだけど、あれからどうなったの?」
リーナは、物語の続きを聞くかのような調子でたずねる。
「ほかの団員たちが駆けつけたときには、黒服の男たち共々君たちも倒れていたらしくて
な。やつらは、軍が引き取った。それで、君たちは、泊まってるホテルの部屋まで運んだ
きり、あとは従業員たちに任せたと聞いた」
「そうですか。それで、彼らは結局何者だったんでしょうか。クロヴィネアに潜んでる賊
の取り締まりが目的とのことでしたが」
「わたしも疑問に思って、クロヴィネアの支部のほうへ連絡を取ったんだ。クロヴィネア
では、いざこざが絶えないそうなんだが、今回のは、リベラルでも手に負えないほどにひ
どかったらしくてな。軍に応援をたのんだとのことだが、彼らはすぐには動けなかったそ
うだ。それで、そこの市長が、あの黒服の男たち、非公式の傭兵に依頼したんだそうだ」
「非公式の傭兵?」
おうむ返しにたずねるレキセイ。
「国外出身の傭兵のことだ。廃れた国というのはあるもんでな。復興のために組まれた部
隊といったとこだろう。雇われぬしは選ばない、すべては金次第だといわれてる」
「……そうでしたか」
レキセイは、気がめいったような面持ちでそう受け答えると、すぐさまはっとし、
「それから……、住人や観光客たちは無事なんでしょうか」
「ふむ、けが人は出てしまったが、だれも命に別状はない。不幸中の幸いだ」
「本当に……そう思います」
そう知らされると、今度は遠くへ思いをはせるようにめい想するレキセイ。
「ねえねえ。食べ物はいつ運ばれてきたの? ずいぶん早かったみたいだけど」
先ほどからの雰囲気に耐えかねたらしいリーナがたずねる。
「おお、クロヴィネアのほうからも昨日の夕方ごろに運ばれてきたんだがね。それよりも
前、ちょうど君たちが、やつらをしりぞけた朝ごろ、首都のほうから大量に運ばれてきて
な」
そう聞かされると、互いの顔を同時に見合わせるレキセイとリーナ。
「首都のほうにある支部の担当者がな、列車が解放されるときを待ってたらしくてな。食
料を、いつでもこちらへ送れるように、団員たちとともに準備をしてたらしい。いやあ、
ここの市民たちもたくましいが、彼女も同等にたくましいな。いや、それ以上かもしれん」
愉快そうに話す担当者を、レキセイとリーナはぽかんとした面持ちで見やっている。
「ういーっす。ただいま戻りました」
そのとき、仕事を終えたらしいほかの団員たちが戻ってきた。
「おお、ご苦労さん」
先ほどとはぱっと打って変わり、彼らにねぎらいの言葉をかける担当者。
「お、お前ら、気がついたか」
団員のうちひとりが、レキセイとリーナに声をかける。
「うん。ホテルの部屋まで運んでくれたんだってね。ありがとう」
「心配をかけてすみませんでした」
「俺たちのことなら気にするな。それより、お前らのほうが大変だったろう。あいつらを
のけられたなんて奇跡的なことだからな」
「ええと、共倒れでしたが……」
「いいや、あいつらには、俺たちもほとほと手を焼いてたんだ。総合的な戦力は俺たちと
変わらないぐらいだってのに、肝心なところでずる賢いつーか、用意周到つーか……」
心底くやしそうに語る団員。
「ええと、すみません」
そして、なぜだかわびるレキセイ。
「あ? なんでお前があやまるんだ」
「あ、その場の流れで、つい」
「お前なあ、そんなんじゃなめられんぞ」
「大丈夫です。俺はおいしくありませんから」
「れ、レキセイい……」
真顔で受け答えたレキセイに、あきれた様子のリーナ。ほかの団員たちも、毒気を抜か
れたようであった。
「さてと。それじゃ、俺たちは次の仕事に行ってくる」
「ああ、たのんだぞ」
担当者がそう声をかけると、ほかの団員たちは、敬礼のしぐさをとってみせると、出入
口のほうへと足を運んでいった。
「ところで、君たちは市長には会ったかね?」
「いいえ、まだです」
「そうか。それなら、会いに行ってやってくれ。君たちのことを、ずいぶんと心配してた
からな。屋敷を開放して待ってるとのことだ」
「ええ!? それで敵に侵入されたのに?」
「ああ、しばらくは立て直しのことでいそがしくなりそうだからな。心的なケアのことだ
ってある。閉じこもってると、住人たちをますます不安にさせるだろうからとな」
そう告げられ、ただぼうぜんとしているレキセイとリーナ。
「まあ、とりあえず、水路への合鍵は造っておくことにしたよ。それから、市長のほうは、
よその地方にたよるのもいいが、自分たちで食料の調達もできるように対策を練っておく
と言ってたよ」
「うーん、それじゃあ、市長さんに会ってくるわね」
「ああ、よろしく言っといてくれ」
そして、レキセイとリーナも、市長のもとへ向かうべく、外へ足を運んでいった。
「本当に、よくあの男たちをしりぞけてくれた。それと、君たちが目を覚ましてくれてな
によりだ」
レキセイとリーナが、市長の住んでいる屋敷へ入っていくと、賛辞の言葉を受けた。
「市長のほうこそ、今までに次いでこれからたいへんなようで……」
「いやいや、君たちのおかげで、惨事は免れた。住人たちもたくましい。わたしならなん
とでもやってゆけるさ」
市長は、意志の強そうな瞳でありながら、穏やかにそう告げた。
「わたしも市民たちも、いつでも君たちを歓迎する。ひとまず、しばらくは傷をいやして
いっておくれ」
「うん、ありがとう」
「ありがとうございます」
「おお、そうだ」
市長は、話し終えたかと思いきや、なにかを思い出したように、机の引出からなにかを
取り出すと、
「隠し通路の付近においてあったものだが、これは君たちのものだね。返しておくよ」
と、携帯用の電灯を、レキセイとリーナどちらともなく差し出した。
「あ、受付のおじさんに借りてたの、忘れてた」
ひとまず、それは、LSSの支部のほうへ返却しておくことにした。
レキセイとリーナが、再び外の都を歩いていると、晴れわたっている空と、澄みきった
水の青に加え、いきいきと行き交う人々の姿があった。甘美な日常、穏やかな日々。なに
かに支配されているというふうではないが、一定の律動を奏でるかのように、人と人が調
和しているようであった。機器による時計というよりは、体内時計のような緩やかさであ
る。
このときの時刻は、三時をまわっていた。
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