+. Page 026 | セイルファーデ編 .+
 通路を駆ける、ふたり分の足音があった。
 清潔感の保たれたこの場。一定の間隔で壁に配置された、一見すると飾りけがない、豪
奢な造りの電灯。その奥に、この屋敷のあるじの部屋へのものだと思しき扉。
「市長!」
 という叫び声と同時に、勢いで開け放たれた扉。その場にいるのは、まだ年頃の男女。
やや紫のかかった銀髪の彼と、槍を携えた彼女。
 そして、部屋のなかにいたのは――手足を縄で縛られ、口を布でふさがれている、中年
の男であった。
 彼、レキセイと、彼女、リーナは、市長と思しき男が縛られている縄をほどいていく。
 手足が自由になった男は、口をふさいでいる布を取り、
「ふう、助かったよ。ええと、君たちは……? この都の住民ではないようだが」
 即座に、彼らを味方だと認識した。
「リベラルから来ました。関所も列車も封鎖されてて……なにがどうなってるのか、市長
に確かめたくて……」
 なぜだか、捕らわれていた市長よりも青ざめた様子で告げるレキセイとリーナ。被服の
ほうもひどくいたんでいる。
「なんと! よく来てくれた。いやあ、ありがたい。ところで、関所も列車も封鎖されて
るとのことだが、市民や、観光に来た者たちはどうしてるのかね? それに、食料の運搬
は」
 と、市長がここまでまくし立てたそのとき、レキセイとリーナは、その場に急にへたり
こみ、
「実はね……。リーナたちも、朝からなにも食べてないの。そのうえ、あの黒服の人たち
四人を追い払って……」
「な、なんと……! あ、ああ、そうだ。すぐに食べれるものなら、そこに並べられてる
小箱にある。彼らが置いてたものだ」
「ええと、毒は入ってないものでしょうか?」
 おそるおそる尋ねるレキセイ。
「ああ、入ってないはずだ。彼らとて、自らの命を危険にさらしたりはしないだろうから
な。ちなみに、わたしも食べた。……その間、大声を出さないよう、銃器を突きつけられ
ながらだったがね」
 市長がそう話している合間にも、リーナは、食べ物を小箱から取りだし、必死ともいえ
る様子でほおばっている。
 すると、レキセイも、彼女に続いて、小箱から適当に取りだして食べはじめる。
「それにしても、なんだか悪いことをしてるような気がするな。この都にいる人たちは、
なにも口にしてないのに」
「それは、あとでちゃんと問題を解決して、食料が流通するようにすればいいと思うわ。
これは、そのための必要経費だと思って」
 やがて、腹ごしらえを終えると、レキセイとリーナは、市長を交え、本題へと入ってい
く。

「……そうだったか。本当にすまなかった。わたしが、油断して気を許したばかりに。君
たちをはじめ、市民や、観光に来た者たちにまで苦しい思いをさせてしまった」
 この都で起こったことのあらましを聞いた市長は、うなだれながらわびる。
「いえ、俺ももっと早く気づくべきでした。市長も大変だったようで」
 そして、めい想するような面持ちで応じるレキセイ。
「わたしはまだ大丈夫だ。おどされたり、口や手足が不自由だったりしただけだからね。
それに、命があっただけでじゅうぶんだ」
「市長の身になにかがあったら面倒だと思ったんでしょうね。市長が雇ったように見せか
けたということは、関所や列車を封鎖することによって、だれにも気づかれないようにな
にかをやり遂げたかったことがあったんでしょうから」
「もう、レキセイってば、どうしてそういちいち食いつくの」
 彼らの会話に割って入って忠言するリーナ。彼女は、なおも、小箱に入れられている食
べ物にかぶりついていた。
「いやいや、構わんよ。わたしも詳しくは聞いてないが、その可能性は大いにありそうだ」
 そこまで言うと、市長は、なにかを考えこむしぐさをうかがわせたかと思いきや、
「ふむ、わたしも、リベラルの支部まで連れていってくれないか」
「市長さんを?」
 リーナは、小首をかしげながら言った。
「ああ、受付を担当してる彼とは、個人的に話したいこともあるからな。それから、ここ
セイルファーデの領地への、関所および列車の開放の令を出す。その際、わたしの権限に
よって、阻む者をしりぞけることを、リベラルに依頼する」
「はい。なににしても、市長には、一緒に来てもらったほうがいいと思います。ここも、
いつ彼らが戻ってくるか分かりませんし」
「うん、分かった。それじゃ、受付のおじさんの分の食料も持って行くね。あ、それから、
ほかの団員さんたちもいるかもしれないから、あと数人分っと」
 そして、ピクニックに持っていくおやつの準備でもするかのような調子であるリーナ。
「ああ、そうだ」
 と、なにかを思い出したかのように、携帯用のかばんからなにかを取り出すレキセイ。
「住人たちの署名を集めてきたんです。封鎖解除の筋道にもなるはずです」
「おお、これは心強い」
 市長は、市民たちの署名を、レキセイから受け取ると、魅入るように眺めている。
「ただ、さっきの、空を飛ぶ船の音で、大騒ぎになってるかもしれません。あと、駅を占
拠してるやつらも、聞きつけた可能性が。念入りに注意しながら向かったほうがよさそう
です」
 出発の準備を終えると、彼らは、部屋を後にし、玄関前の様子を確かめる。幸い、そこ
にはだれもいないようだ。深夜だということもあるが、市民たちは、動く気力が枯渇しき
っているのだろう。
 ちなみに、駅を占拠しているという彼らも、襲いに来る気配はない。空を飛ぶ船の音を
聞きつけ、飛び去っていくのを見たとしても、食料の調達をしているとしか受け取ってい
ないのだろう。
 やがて、LSS、通称リベラルの支部にたどり着くと、受付の担当者と、数人の団員た
ちがいた。
 あいさつもそこそこに、彼らは、食料が運びこまれてきたと知るやいなや、猛獣のよう
に襲い掛からんばかりの形相になる。そして、その、食べ物をほおばる様は猛獣そのもの
であった。
「あ、そうそう。それ、敵さんが持ってたものだから」
 そう茶茶を入れるリーナの表情はいたずらっぽかった。
 その食べ物をほおばっていた彼らの時は、凍りつくように止まった。
「いや、あの、大丈夫です。俺が食べたときもなんともなかったですから」
「彼らとて、自らの命を危険にさらすようなことはしないさ。わたしも食べたことだしな」
 そんなやりとりがあったのも、愛きょうであった。

「本当に、よくぞ無事でいてくれた。いや、無事でもないかもしれないが。まさか、おま
えのほうが捕らわれていたとは……」
 落ち着きを取り戻した、受付の担当者とその団員たち。市長の屋敷の内部で起こったこ
とのあらましを聞いた彼らは張りつめている。
「いいや、おかげで助かったよ。先ほども言ったが、わたしのほうは大したことない」
「そういえば、空を飛ぶ船と言ったな。もしかして、それは飛行船のことかね」
「飛行船?」
 そう話を持ちだす受付の担当者に、おうむ返しに尋ねるレキセイ。
「ああ。しかし、センドヴァリスでは、国内最大の技術メーカーであるレイフォード社で
すら提唱の段階なんだ。他国でなら開発されてると聞いてるが……。それに、そこから買
い取りができる国民といえば、貴族ぐらいなもので……」
 受付の担当者は、うなるそぶりでそこまで言うと、
「いや、そっちのほうは、今は置いておこう。問題は、敵が銃器を持ってるかもしれない
ということだったな」
「はい。駅の出入口のほうで見張ってるやつらは持ってないと思いますが、なかにいるや
つは持ってる可能性が大きいです」
 銃器の所持は違法であり、市民の目に付く機会の多い彼らは、通報されることを防ぐた
め、素手であるということだ。ただし、体つきは大柄で、体術に長けているとのこと。
「銃器のほうは、水を浴びせれば使い物にならなくできそうですが……」
「ふむ、水か。それならいけそうだな」
 先ほどまでややうつむいて会話を交わしていたレキセイが、かく言う受付の担当者を、
目を見開いて見あげる。
「この都には、水路がはりめぐらされてる。水をひこうと思えばどこからだってできる。
そのためのホースもあることだしな」
 そう言うと、窓口の奥のほうから、幾本かのホースを持ってくる受付の担当者。
 すると、先ほどまでかげりのあった皆の表情に、ぱっとあかりが差したようである。

 当面の作戦は、現在この場にいる団員六人で執り行われることとなった。水路から水を
ひく役目が四人、残りふたりが、市長とともに駅のほうへ向かうというものである。
 市長の権限で、ここセイルファーデの領地への列車の開放を促し、駅を占拠している者
たちへ、引き取るよう勧告し、従わない場合は武力をもってしてでもしりぞけるというも
のである。その者たちは、銃器を所持している可能性が高い。それを水で無効化し、その
すきを突くという寸法だ。
 執行の時刻は明け方。それまでに、だれにも気づかれずに準備を進めるというものだ。
 さて、その役割の分担であるが、
「よし、俺たちのうちふたりが駅に向かって、残りは、レキセイとリーナと一緒に水をひ
く」
 不意に、団員のうちひとりが提案する。
「待って。駅のほうへはリーナたちが向かうわ。レキセイもそれでいい?」
 すると、リーナが、手向かうように告げる。
「あ、うん。俺は構わないけど」
「え、おまえらが……?」
 ほかの団員たちは、ひどくいたんでいる被服姿の、年頃である男女を不思議そうにみや
る。
「あいつらとの戦闘の勝手が分かってるのはリーナたちだもん。それに、今は、明け方ま
で休みたいところだから」
「いや、しかしなあ……」
 ほかの団員たちは、おされかけてはいるが、納得はしていない。
「現に、こうして戻ってこれたじゃない。ねえ、おじさん」
 すると、受付の担当者に、念を押すように尋ねるリーナ。
「あ、ああ。ここに来た当初の、わたしも気づかなかった足運びは相当なものだろう。連
帯という面でも強そうだしな」
 そう告げられると、団員たちはなにかを考えこむようにしているが、まだ納得がいかな
い面持ちである。
「それにね。リーナたちは、ここの土地勘はあまりないから、暗いなかでだれにも見つか
らずに水路の水をひくなんていう芸当は無理よ。だから、お兄さんたちにお願いしたいわ」
 そして、奥の手を使うかのようにそう告げるリーナ。
「……ふう、分かったよ」
 すると、団員のひとりが、ため息をつきながらであるが、承諾の意を示した。
「お、おい……?」
「おしきられた気はするが、確かに嬢ちゃんの言うとおりだ」
「……仕方がないな。ならば、銃器を無効化できたと思ったときを見計らって、俺たちも
駅のほうへ向かう。それまでに倒れるなよ?」
「分かってるってば」
 リーナは、してやったりと言わんばかりの笑みをたたえながら言う。
「ええと、それでは、よろしくお願いします」
「ああ、陽が一一〇の角度に昇ってきた瞬間に発射させるからな。それまでに準備をして
おけよ?」
 話がまとまると、ほかの団員たちは、早速、ホースを持ちこみ、それぞれの作業に取り
掛かりに行った。
「ふう、みんな協力的で助かっちゃった」
「というより、おしきったといったほうがよさそうだけど」
「ははは、君たちも、部屋で休んでくるといい。時間が来る手前で起こしに行くよ」
「うん。それじゃ、そうするね。レキセイ、行こ」
 こうして、レキセイとリーナも、一時、用意されていた部屋へと向かっていく。
 そんなとき、空はますます暗さを増していた。そんななかでも、無数の星は威光を放つ
ようにきらめいていた。
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