+. Page 017 | とある少女の過去 .+
 世界には夜が訪れているというのに、首都カンツァレイアは眠ることを知らない。
 もとより華やかなこの都は、闇にあらがうようにして照らされた、辺りに散らばる外灯
やイルミネーションにより、人を惑わせるほどにまであでやかな様相を呈していた。そし
て、休むことなく、それぞれの営みに励む人々も、はでやかな身なりである者がほとんど
であった。
 都の一角には、LSSという文字の刻まれた看板を掲げている建物があった。
 その内部には、掲示板のようなものが、辺りを囲うようにして設置されていた。そこに
集っているのは、多かれ少なかれ鍛えられた体つきの男たち。彼らは、身体を動かすに困
らない程度の武装をしており、ところどころにこすれたような跡がある。
 奥のほうにある窓口には、この場に似つかわしくない、やや豪華な服を身にまとった女
性が座っていた。年の頃は二十かそこらといったところだ。柔らかな印象であるが、それ
とともに、整った顔立ちが、凛とした雰囲気を醸し出していた。
「みんな、お疲れさま」
 と、穏やかでありながらも、高く響きわたる声で労う彼女。
「ういっす。カノンさんもお疲れさまっす」
 彼らのうちひとりがそう受け答える。
「いやいや、まだこれからですよ。夜ふけとはいえ、依頼は次々とくるでしょうから」
 さらに、別のだれかがそう受け答えた。
 そして、先ほどまでの荒々しかった雰囲気が、和やかなものへと一変した。
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」
 すると、柔らかさのなかにもつややかさを含んだ微笑で言う彼女、カノン。この場にい
る彼らは、戦士としての尊厳などなかったと言わんばかりに甘い空気が流れ、辺りは花畑
と化していくようであった。
 そのとき、あらかじめあけ放っていた扉の先から、足音が聞こえてきた。カノンが目線
をやったその先には、ひとりの青年がいた。正装というほど堅苦しいものではないが、上
等な服を着こなしている。年の頃は、彼女と違わないようだ。そして、彼女にも匹敵する
ほどに、柔らかなようでいて、どことなく厳かな顔立ち。
「あら、なにかご依頼でしょうか?」
 彼女は、そんな彼におくすることなく、というよりもどことなく挑発的に、微笑を含め
ながら言った。それを合図に、その場にいる彼らも、かの青年のほうを向く。
「うん、きみが十年ほど前に着ていた服を譲ってもらいに」
 青年が、微笑を浮かべながら、さらりと依頼の内容を告げると、周囲は一気に凍りつい
た。当の彼女は、そんな彼らの様子を気にするでもなく、
「今度は女の子を誘拐してきたのかしら?」
 飽くまで、微笑を浮かべたまま、流ちょうな口調で聞きかえした。青年は、一斉に警戒
の目を向けられる。なかには、武器を取り出す構えをしている者たちまでいた。
「ちょっ、ちょっと待ったあ! 僕は別に怪しい者では……ああもう君も人聞きの悪いこ
と言うんじゃないの」
 あわてふためきながら弁解しているところが、ますます怪しさを引き出してい様子の青
年。
「ふふ、冗談よ。あなたにそんなことができるわけないもの」
 またもやにこりと。穏やかな口調で言い放つカノン。周囲の者たちの手は緩んだが、警
戒の目はまだ解かれていない。
「この人はね、こう見えても教会に勤めてるのよ」
「うわあ、なんだか一言多いいい」
 打っては打ちかえすように会話を繰り返すカノンと青年。そんな彼らを、ぽかんとした
表情で眺める周囲の者たち。ふたりの関係を図りかねているのだろう。
 自警団の役割を担うLSSと、救いへと導くことを旨とする教会では、性質の違いこそ
あれ、人助けという点では共通している。両者が連携して活動を行うのは珍しいことでは
ない。こと教会に関していえば、子どもを保護することは茶飯事である。
「保護の対象が女の子だっていうのなら、わたしも行ったほうがいいわね」
 そう言うと、すっと立ちあがるカノン。
「悪いけど、次の係のひとが来る時間まで、だれかここにいてくれないかしら?」
 そして、先ほどの、穏やかでありながらも、高く響きわたる声でたずねる。
「うっす。それじゃ俺が」
「ええい、お前じゃたよりねえ。この支部随一の体躯を誇る俺に任せな」
「処理能力では僕のほうが断然上です。カノンさん、この僕にご指令を」
 すると、彼らは、自己宣伝しながら押しよせてくる。完全に、おやつを取り合う子ども
のような状態であった。
「それじゃあ、みんなにたのもうかしら。それぞれの本分に合った依頼を請けながらも、
この場は無人にしないように取り計らいながらというかたちで」
 当の彼女は、表情が変わっていないどころか、輝きが増したような微笑で提案する。
 彼らが雄たけびをあげながら団結している合間にも、彼女は、後ろで控えていた青年の
ほうへ歩み寄り、
「さて。それじゃ、行きましょうか。ラフォル」
 やはり微笑を浮かべたまま言った。
「ははは、それじゃあ行きましょうかね」
 互いに合図を交わすと、ふたりは、出入口のほうへと同時に歩きだしていった。

 再び外の世界、カンツァレイアの街並み。夜も更けてそこそこの時間が経ったというの
に、都は相変わらず眠ることなく、人々も動きをとめることはない。彼らは、様々な方向
へ、不規則に行き交う。それとともに、交錯する思わく。当然だといえるが、ただすれ違
った他人の思わくなど気にとめていないだろう。それどころか、すれ違ったことにさえ気
づいていないようだ。
 そんななか、とある看板を掲げている建物の前に立ちつくしている、一組の男女の姿が
あった。彼らの年の頃は二十かそこらといったところだが、身なりはそれなりに上品であ
る。
「はあ、まったく。毎度よくやるよ、君も」
 と、彼のほうが、彼女になにかを語りかけているようだ。
「彼らの闘志を維持するのも仕事のうちよ」
 そして、そんな彼に応じる彼女。
「やれやれ。自覚してやってるあたり、タチが悪いというか……」
「それよりも、駅のほうへ行きましょう。案内するわよ。わたしの故郷、セイルファーデ
を」
「すぐそうやって話を摩り替えるんだから。でもまあ、一刻も早く行って帰ったほうがよ
さそうなのは確かだし、早速たのむよ」
 言葉が抽象的でありながらも、意図は通じ合っているようで、一定の調子で会話を繰り
広げるふたり。
 やがて、一連の話を終えると、彼らは、どちらからともなく、脚本の決まっていないこ
の舞台へと踏み出していった。
 彼ら、ラフォルとカノンが、横に並んで、この街なかをしばらく歩いていると、
「ねえ、あのふたり、どういう関係だと思う?」
 不意に、ラフォルのほうが、カノンに再び問いかける。彼の目線の先にいるのは、中年
の男性と、年ごろの少女。そのふたりは、同じ調子で歩いている。どちらかといえば、男
性のほうが、少女の歩幅に合わせているといったふうである。ひょこひょことした調子で
歩く少女に、いつくしみの目を向ける男性。
「あれは実の父親とその娘さんね。彼らに関していえば、少なくとも、あなたが想像して
るようなものじゃないわよ」
 そして、さらりと答える彼女。
「へえ、そこまで分かるものなんだ?」
「この都で過ごしていたら、そういうことは手にとるように分かるものなのよ」
「過ごすというほどの年月を費やしてないじゃないかあ。いったい、いつぐらいから分か
りだしたのさ?」
「そうね、ひと月でもあればじゅうぶんかしら。それに加えて、数年ほど旅をしていたと
なると、そのひと同士の人間関係っていうのは、ある程度推測できるようになるものよ」
「なるほどね。それじゃあ、あの団体はどういうひとたちの集まりだと思う?」
 ラフォルは、出した問いがうち破られたことを認めると、今度は別のほうへ目線を映す。
そして、その目にとまった人たちの関係を、再び問いとして投げかける。
「様々な年齢の男女数名と、夫婦と思われる老人が一組。案内役もいないし、ましてやこ
んな夜中なんだから、観光ではないはずだよね」
 今度は、自らも消去法を提示するラフォル。
 ちなみに、かの団体のありさまは、老夫婦を先頭に、ほかの若者たちが後ろを歩いてい
るといったところだ。
「その老夫婦を家まで送っている若者たちってところね。ほら、ふたりは手ぶらだけど、
ほかの彼らは荷物を運んでいるでしょう。そして、その彼らがどういった事情で集まった
かまでは分からないけど、いろんな人たちがいるから、そこは考えないでおくわ」
 そして、飽くまで流ちょうに答えるカノン。
「そうきたか。とりあえず降参かな」
 と、言うやいなや、ラフォルは、
「それで、他の人たちから見た僕たちは、やっぱり恋人同士ってことになるかな?」
 合間を見計らっていたかのように、どことなく意味ありげな微笑を浮かべながら、今度
は別の観点からの問いを出した。
「あら、それはどうかしらね。まったく想像がつかないわ」
 彼女は、特に調子を狂わせたふうでもなく、微笑を浮かべかえしながら答えた。
「ええええ、違うのお? うん、まあ違うんだけどね」
「もう、そこはうそでもそういうことにしておきなさいな。レディに恥をかかせるものじ
ゃないわよ」
 そのとき、ラフォルは、ぴたりと足をとめる。カノンも、彼より少し歩いた先で、足を
とめて振り向き、互いに向かい合うかたちとなる。場所は、噴水が置かれている広場。
「君のことはね、なにがあっても死なせはしないと思ってるくらいには気にかけてるさ。
でも、だからこそそういう関係になるつもりはないってところだね」
 穏やかさが相まって、軽やかな調子で告げるラフォル。
「はあ、あなたのこだわりはともかくとして、そういう関係になるつもりはないってとこ
ろは、わたしも賛成よ。あなたの場合、自由に飛びまわってるほうがお似合いだもの」
 カノンのほうも、柔和さを崩すことなく告げた。
 刹那、ふたりの後ろにある噴水の周りに施されたイルミネーションが、輝きを増す。そ
して、水によって乱反射された光は、ふたりの姿を引きたてる。
 都会の喧騒がやむことはないが、ふたりのあいだには、どことなく神聖さのある空気が
漂っていた。彼らのいる場所だけ、この世界から切り離したように。永遠とも一瞬ともと
れる時間、互いにただただ見つめながら立ちつくしていた。

 この国は広大であるため、主要都市には、それぞれを結ぶ鉄道網が敷かれている。都市
単位では満たしきれない資源を互いに補うためにも欠かせない。そして、そこらへの行き
来を目的とする人々を乗せるためであることも例外ではない。列車は、国の資金で、四六
時中運営されている。
 ここ、首都カンツァレイアでも、真夜中だというのに、駅に集う人々が後を絶たない。
そのなかには、年の頃は二十かそこらの、一組の男女の姿があった。身なりもそれなりに
整ってはいるが、恋人同士であるのかといえば、それはまた別だという雰囲気である。
「ああ、そうだ。聞かれて困るような話だったら、列車のなかではしないほうがいいわ」
 と、彼女のほうが、彼にそう告げる。
「へえ、それはなんでまた」
「一人旅しているひとが乗ってたときのことを考えたらそうなるわよ」
「なるほど。一人旅となると、退屈との戦い。それを埋めるために耳が研ぎ澄まされてる
分、周囲の声には敏感ってわけだ」
「そういうこと。だれが乗った後か分からない以上、盗聴されていることだってありうる
もの」
「はあ、徹底してるねえ。でもまあ、神隠しのようなものがない以上、下手なことはでき
ないのは確かなんだけどね」
 そんなふたりが、一連の会話を流ちょうに繰り広げているとき。列車、蒸気機関車が、
きしめきながら駅に停車した。
 すると、人々は、流れるようにして乗りこむ。
 かのふたりも、大方の人が乗りこんだ後、列車へと踏みこんでいく。
 彼女のほうが、どことなく含み笑いを浮かべながら、彼の腕を取った。彼のほうも、そ
んな彼女に応じるように、どことなく含み笑いを浮かべて見つめかえした。この場に到着
する以前、恋人同士のような関係ではないと、当のふたりは明言していた。なにかを企て
ていることをさとられないようにするための演技なのであろう。
 こうして、様々な人やものを乗せた列車は、夜に吸いこまれるようにして、駅を発って
いった。
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