+. Page 099 | 雨降る夜の亡霊 .+
 かたつむりの別名はマイマイである。
 葉などを数える単位の「枚」であるのか、日々の積み重ねである毎日の毎なのか、それ
とも米のマイのことなのか。
 舞いでいえば、旋回が主軸となったもので、神への奉納の意を表している。言葉だけな
ら厳かに聞こえるが、搾取であることには違いない。
 お参りのマイという読みもここから派生していて、土に埋める埋葬やら埋蔵やらもここ
に由来しているのだろう。
 舞いを行う者を舞姫といい、マイ姫などといえば、わたしの姫などとなり、ずいぶんと
強欲ではあるが、本音でいえばそうなるのだろう。女の臣という字がそれを証明している。
ちなみに姫のもととなる語は「比売」である。
 この理屈でいえば、歌って踊るアイドルというのも同じ事情であるといえる。ドルは人
形のほうの意味であり、わたし、ドールとなる。こちらは空洞になっている部分に貢物を
詰めこむという意味なのだろう。向こうからすれば愛ドールで、愛玩人形というわけであ
る。
 あの世とこの世をつなぐもの、言わば娼婦のようなものであり、芸能に身を置く者たち
が、昔は蔑まれる対象であったというのは、そういった事情であったのだろう。
 最古の職業が娼婦であるというところにも深い関係がありそうだ。
 枕営業などというものもそこに由来するのだろう。マクラ、暗、蔵、比……。

 かたつむりには、ほかにも呼び名があり、でんでんむしともいう。
 でんでんの部分は、頭が出ない出ないという意味ではあるが、伝達やら電気やらといっ
たところに着目したほうがしっくり来そうだ。
 遠くにいる者とも話ができる道具、電話機というものがあり、とらえようによっては、
それこそあの世とこの世をつなぐことが可能だともいえる。
 不思議な発言をする者を電波ということもあり、伝播するということでもあるのだろう。
 電話で呼び出すことをコールといい、神から与えられた使命または天職のことはコーリ
ングという。
 コオるとコオリになる、凍ると氷になるなどといえば駄洒落のようにしか聞こえないが、
実際の現象としてはそうである。
 もうひとつ、電車というものもあり、線路の上を高速で移動する乗り物であり、鉄道と
呼ばれている。これもある意味では、あの世とこの世の境目と見なすことができる。
 ついでに、鉄を別の言葉で言い換えるとアイアンである。

 世界の構造は貝の形をしているのであり、買いでもあるのだ。
 子飼いなどという言葉もあるように、輪廻の悪魔に子を売り渡しているという状況は起
こっている。ちょうど楽園を追われたという男と女のような。
 高利貸しというのも、子売り貸しというところから、いつの間にやら派生したのだろう。
 子を下界に下ろすというのは、子を卸すということである。
 高利貸しは氷菓子にも音が似ていて、氷は子檻ということにもなる。ちなみに竹や柳、
藤などを編んで作られた葛籠のことを行李といい、こうりと読む。
 そう、氷菓子とはソフトクリームのことであり、アイスクリームと呼ばれているものの
ことだ。螺旋状になっていることから、巻貝のようであるといえなくもない。
 アイ、スクリームとなると、わたし、悲鳴を上げる。支配する側からすれば、愛でる悲
鳴というわけである。悲鳴を上げることは熱量の消費を高めることであり、薪をくべる燃
料になるというわけだ。ヒメイ、ヒメ、姫がいる。
 しかし、おとぎ話の王女も王子も昔はとても食べられないと続いている。
 まず、王というのが、世界の頂点を指しているが、まだそこを抜け出ていないというこ
とであり、枠にとらわれているということである。その状態では世界を俯瞰することはか
なわないという意味から、アイスクリームを食べることができないといったところか。
 そして、ルラルーラルーラ甘いという一節があり、支配者を意味する言葉はルーラーで
ある。
 チータカタッタッタおいしいという一節は、ネコ科に属するチータであり、地に張りつ
いている木のねっこのことである。木はストローの役割をしている。
 のどを音楽隊が通るというのは、隊がの部分が強調されていて、たいがといえば大河で
もあるが、この場合はネコ科であるタイガーのこととなる。氷菓は豹か。
 評価を気にするというのは、死後に行くのは天国か地獄かという怯えから来ているのだ
ろう。どちらに行こうが、えさにされることには変わりないというのに。
 タイガーといえばトラのことで、心的外傷を意味するトラウマは、トラにとってうまい
ということであり、それがあればトラが得やすい、とらえやすいということである。すく
いの正体はこれであり、あとでピチャピチャ食べるというわけである。
 お参りという言葉は降参というところから来ていて、懲りたという意味のこりごりとい
う言葉も「こおり」から定着したのかもしれない。
 子売りというついでに子読み、これは暦のことが相当する。

 冥府を流れるという川にコーキュートスというものがあり、これは輪廻のような繰り返
し、つまり永続性を表した恒久の音から名づけられたものなのだろう。こうきゅう、高級、
高給……。
 今では氷という意味で語られることが多く、永久凍土という言葉が定着したゆえんでも
ありそうだ。
 地上には氷河期というものがあり、長期にわたって寒冷化して、文字どおり氷に覆われ
るということである。その前兆として、地上の気温が高くなるのだという。
 これは、地下を流れる龍脈が張り裂けて熱を発した状態であることと推測する。
 龍脈とは、生命たちから吸い取った精力がめぐっているものであり、人体でいえば血管
である。
 そう考えると、大地の命の危機と言うわけであるからして、治癒するまでは冷凍睡眠に
よる仮死状態にするというわけだ。仮死はカシと読む。
 今までもさんざんさまざまな災害を起こして、その力の源である生命たちを危機にさら
しておいて、その力をもってして自身のみが助かろうなどということは、ずいぶんと筋の
通らない話である。

 土である「ド」を菓子にちなんていうとドーナツとなる。
 それはリングのかたちをしていて、輪廻を表しているといえる。
 ぽっかりと空いた心と輪廻転生は密接に関係していて、そのすき間を埋めようとする衝
動が恋であって、それから子をなしていくという仕様である。
 ドから始まるものといえば「どうでもいい」があるが、これはその情報を土のほうに流
してもかまわないという意味となってしまうため、あまり言葉にして発しないほうがいい
だろう。
 どうかしているというのは、同化している、つまり個人としての正気をなくしてしまっ
ているという響きから定着したものと思われる。土にかえすという発想もこの辺りから来
ているのだろう。
 とにもかくにも、菓子を食べすぎると虫歯になるものであり、言い換えると世界の仕様
によって精神がむしばまれてしまうということだ。この場合は菓子というより夢といった
ほうがよさそうか。
 ていねいにお菓子というと、おかしいという響きとなり、裸の王様などが連想される。
 おかしいを意味する、笑という字はたけかんむりに天と書く。
 争うだけでなく、笑ったとしても熱量を消費して天にまで上ってしまうというわけだ。
泣いても笑ってもという、本当の意味はここにあるのだろう。竹、たけ、けたけた……。
 わらうといえば、藁というものがあり、藁にも縋るならぬ藁に捧げるということになる。
 竹も藁も木のようなものであり、土にとってのストローである。
 泣きっ面に蜂というのは、数字のハチを傾けた記号、無限大を意味するものからいわれ
るようになったのだろう。それは輪廻の檻を表すがゆえに。

 甘いものの逆で、からいものについていえば、まず思い浮かべるのはカレーであるだろ
う。はるか彼方の、彼という音に似ている。
 実際に、カレーがよく食べられているのは、人はだれしもそこに思いを馳せているから
なのだろう。
 おつかれという言葉の派生もそこにあると見える。つかれるということは、気力を消耗
したということであり、持っていかれたということだ。枯れるという響きのとおりなのだ。
 ごくろうということでもあり、九と六が連想され、あの世とこの世の境目を意味する数
字でもあるのだ。
 クロウといえばカラスのことであり、枯らすという響きに帰結する。

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