+. Page 091 | 雨降る夜の亡霊 .+
 余談として、かわいいという、かわの部分が、川からきているかもしれないという話を
してみる。
 まず、六文銭の由来である六道という観念の説明すると、天道、人間道、修羅道に続き、
畜生道、餓鬼道、地獄道というものがある。前者を三善道、後者を三悪道という。
 六道はりくどうと読み、りくといえば陸であり、世の概念を象徴しているということな
のだろう。三悪道をこの世として、三善道をあの世としたような。
 この世を地獄として、人というのはその餓鬼か畜生かに分かれている。畜生が葉や実と
すれば、餓鬼はそこに群がる虫で。この世の生命体である限り、食い荒らすか食い荒らさ
れるかの二択しかないとでも言いたげな。
 修羅は阿修羅のことでもあり、阿修羅像は三つの顔に六つの腕を持つものを表す。それ
こそがまさに樹木であり、とりわけ幾つかに分かれる根の部分を示しているのだろう。
 ここでいう人間とは、死者の魂を捕縛し、彼らが人生で得た思い出という果実を食らう、
あの世の生命体というわけか。天は言わずもがな、その人間たちが住まう地というわけで
ある。
 ようするに、三つ巴のさらに三つ巴というわけであり、六道よりさらに隠された七つ目
から九つ目があるということだ。
 セクシーがセブンとシックスつまり七と六の境目、キュートが九と十の境目だと覚えて
おけばいいだろう。かわいいほうに目が行くというのも、ここに秘密がありそうだ。無垢
はムクで六と九か。
 この辺りから、あの世とこの世の輪廻を超えた場所へと続いていく道となる。
 十というのは世界の交わりを表していて、トーの音の戸を意味しているのだろう。遠い
というのも、この音から来ていると見る。桃源郷というのも、この辺りが由来であるのだ
ろう。さらに十を十倍した百をモモと読むことも相まって。
 川に桃が流れている話も、本当の境目はここであるということを示唆しているのである
だろうか。
 ついでに、交という字のなべぶたを取ると父になり、母という字は輪廻転生の図を表す
などということも言ってみる。ならばそこを超えた先は、川を流れる桃を拾ったおばあさ
んといったところか。
 しかし、そこが本当の楽園だという理由にはならない。
 どのような事情があって、どのような言い訳をされたところで、そこもまた、この世の
地獄を放置していたということには変わりない。
 逆にいえば、そこに到達した魂は、もてなされているどころか、もっと危険な状況にあ
る可能性が高いということだ。輪廻のおぞましさに気がついて脱しようとするほどにまで
苦汁をなめたからクジュウで九と十の辺りに来たとして、その者たちが一斉にこの世の状
況を黙認することは不自然であるからだ。
 天国というのが、魂を奴隷にして、人生という思い出の果実を奪い取って、それをもと
にしてつくられたものだとするならば。楽園というのは、思い出が詰まった媒体そのもの、
つまり魂をつぶしてつくられたもの、本当の意味での死……。
 ひとまず、服をはぎとるか、肉体そのものを求めるかの違いだという認識でかまわない。
 それで、魂が捕縛されるまでであるが、直接的な拉致である可能性はほぼないと見てい
い。理由はもちろん、負の感情をいだかれたままつぶしたとしても、おいしい実をなして
はくれないだろうから。桃源郷ではなく十元凶であることに気づかれやすくなるだろうか
ら。
 絶望感をあおって、そこで抗いがたい快感や安らぎなどを与えてさそいこんだというの
が最もあり得そうだ。まさに、このまま死んでもいいとすら思えるような。世俗に未練な
どないどころか、うらんでいるであろうことも相まって。
 鬼を退治する話も、本質としてはそこにあるのだろう。
 その者は英雄である。そのことを素直に受け取るならそれでよしとして。
 もしくは、黒い心を鬼に見たてて、それをはらってくれる者を英雄とした見方か。桃が
邪なるものをはらうといわれている所以か。
 もう少しうがった見方をすると、本当の悪はいったいどちらだということに気づく。む
しろ、そこで思考をとめさせればしめたものなのだろう。この部分を見破ったという快感
で閉じこめて。
 問題は、退治している側は善意のつもりである可能性が高いというところにある。鬼だ
と思っていたものが鬼ではなかった場合なども。
 負の感情が浄化されると懐疑心がなくなり、だまされやすくなるという不都合も生じる
のだ。
 ――地獄への道は善意で舗装されている。

 さらにおまけとして、三千世界というものについて。
 千個の世界を小世界として、千を二乗した百万個で中世界、三乗した十億個で大世界と
する見方である。
 千といえば、針千本というものがあり、指切りで約束事を取りつける際、うそをついた
ら飲ませるという詩が思い浮かぶ。
 指切り拳万のゲンマンは、ゲーとエンマのこととして考えてみる。針千本のハリは浄玻
璃鏡を指しているということになる。
 まず浄玻璃鏡とは、亡者の生前の行いを映し出すとされるものである。それによって、
閻魔というものが、罪の軽重を測り、これによって天国に行かせるか地獄に行かせるかの
決定をくだすのだとか。

 さて、樹の話に戻って、地を上とすると、根のほうがてっぺんということになる。
 てっぺんは天辺であり鉄片でもあるということも含めて語りたいが、ややこしくなるた
め割愛する。地とかけて血、それは鉄を連想させるなどということも。
 根っこというのは、音としてねこを思わせる。ねこが愛される現象の一端は、天の神が
まばゆく見えるというところにあるのだろう。
 ちなみに、屋根裏に住むねずみとはよくいったもので、ねずみは根住みであり、ねこに
食べられる様相に通じるものがある。
 ずいずいずっころばしという詩は、だいたいの察しがついているとおり、転ばすという
意味で間違いないだろう。
 それは、ころがすと掛けて殺すという音に通じる。天から地に落とされる現象は、生ま
れるという意味ではあるのだが、逆に死として見た場合は殺されているということになる。
 茶壷に追われたというのは、子宮に入ったということなのだろう。抜けたというのは、
生まれたという意味になる。
 これからつらく苦しい日々がやって来るのだ。日々とは存外、ヒビ割れる生涯を送ると
いう暗喩なのだろう。しわができるというのも、皮膚が割れている現象を思わせる。それ
から頃合いを見計らって殺す、つまりは天に召すということだ。もっといえば天上に住ま
うものたちによって、この世に降りて実をつけた魂が収穫されるということなのだ。つい
でに「頃」は「比」とも書いて、同じくコロと読む。ころころ死ぬというのはここから来
たということになる。
 ちなみに、心にひびが入るような仕様であるのは、生きることに対する執着をなくさせ
るためだろう。
 土に還るとはよく言ったもので、それこそが天に召されることと同義であったのだ。
 それで、タワラのねずみが米を食うというのは、生きとし生けるものの精力を吸ってい
ることを意味しているのだろう。精とはこめへんであるゆえ。生きていると空腹からのが
れられない原因はそこにあるというわけか。
 タワラとは俵のことであり、藁のことでもある。藁は木を思わせ、この場合のねずみは
根住みということだ。ちゅうちゅうちゅうというのも、ねずみの鳴き声であると思わせて
吸引するときの擬声語であるのだろう。
 ねずみ算というのも、この辺りと発想を同じくしているのだろう。まさに、子を産むさ
まを表している。
 お父さんが呼んでも、お母さんが呼んでも行ってはいけない。父母でなくとも、親愛の
情をいだいているだれかに置き換えてかまわない。もしくは、だれだか知らなくても心を
ひかれる存在であるなど。その者たちに対してであっても、精神つまり心を渡してはいけ
ないということだ。
 もしくは死後、迎えが来ても付いて行ってはいけないということか。恋い慕うその者に
化けて出てくることなど朝飯前といったところであるだろうから。死の直後というのは、
不安や恐怖に襲われているはずであり、それこそ神頼みでもしたいほどに助けを乞う状況
であるだろう。そこにつけこまれてはならないのだ。
 井戸のまわりで茶碗を欠くというのは、死を意味していると見ていいだろう。茶碗とは
米の入れ物であり、精神の入れ物である肉体を指す。死とはすなわち肉体の過度な損傷で
ある。
 井戸というのは、あの世とこの世の境目を思わせるものであり、かえるがいるのだとい
うことを連想させる。そこで待ち構えるへびという構図を想像すると答えはおのずと出て
くる。
 この詩を最初に詠んだ者は、とうの昔に警鐘を鳴らしていたのだ。

 くるくる……、繰る繰る……、来る来る……、狂う狂う……。
 輪舞曲の流れに乗って、輪廻のごとく踊り続ける。
 舞踏とは、言葉の音のみならず、本当の意味で武道に近いものであるだろう。会食の折
に用意された、ぶどう酒の芳香に酔わされながらの。
 しかし、酒池肉林どころか、茶番にもなっていない。へそで茶を沸かしたものだといっ
ても笑えたものではない。い。しかも、幾度も繰り返して煎じたために苦く濁りきって飲
めたものではない。そうだというのに、人々はそれに気づかずに、なおも甘美な調べとし
て錯覚している。
 よいよい、こいこいと、恋していざなう。いこういこうと、心を踊らされる。思い叶え
ば、よいこよいこと可愛がる。思いのままに、糸で操られるように動くからいとしい。
 来てはいけない、せめて見るだけにしておくのだ。これはあくまで夢なのだから。
 食べてはいけない、この地獄に染まってしまうぞ。姿かたちまで変えられて、帰りかた
も分からなくされて、いつしか自分がこの世の存在であると思いこんでしまうほどに。

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