+. Page 088 | 雨降る夜の亡霊 .+
 樹といえば、世界樹という観念がある。
 階層ごとにさまざまな世界、いわゆる天国や地獄、人間界などからなっているといわれ
ている樹である。
 ちなみに、この樹が切り倒されたりなくなったりすると均衡を崩して、それぞれの世界
も崩壊するとのことだ。

 ミカゲとチカゲの生まれ育った国には、あの世とこの世の境目であるといわれている、
ヨモツヒラサカという領域が存在する。
 ヨモツとは黄泉を指すのだが、実は世持つではないかと思われる。もしくは世縺れなど
であるかもしれないが。
 よもつと似たような響きである、よもぎという葉がある。漢字での表記は「蓬」で、草
かんむりに逢うという字だ。
 さらに、蓬といえば蓬莱というものがある。ほうらいと読み、それぞれの草かんむりを
除くと、逢いに来るとも読める。
 蓬莱とは、不老不死の薬を持っているという仙人が住んでいるとされる仙境のことであ
る。永久不変といわれている常世である。
 ちなみに、その蓬莱山は海のなかにあるとされることも相まって、たびたび浦島伝説と
同一視されている。
 空に向かってのぼっているものであるはずが、海の底へ沈んでいることを思わせるのは
なかなかしみじみとした気分にさせる。しかしながら現象としては鏡映であり、どちらも
同じことである。
 ヒラサカは比良坂であり、比の字はあの世とこの世が隣りあっている様を示しているの
だろう。
 しかし、ヒラと読む字には「枚」もあり、葉を数えるでもある。葉が舞う様子もひらひ
らと表現される。葉という字は草かんむりであり、木の上に世が来ることから、そういう
ことであるのだろう。

 楽園にあるという知恵の樹について、根元から掘るつもりで掘り下げてみる。
 ここでいう樹とは母なるものであるだろう。母といえば、生命を産み育てるとされる者
であり、あらゆる生物にとって、切っても切り離せない存在であるだろう。
 人は、母として認識している存在からは、なにげなく言われたことでも重く受けとめる。
それは意志の弱さなどではなく、そのようになっているのだ。まるで威を振るう神のごと
く立ちはだかるのだろう。
 母親を神聖視する風潮というものは、その辺りに一因があるのかもしれない。
 神木という言葉があるように、木を神聖なものと見なす考えも珍しくはないのだろう。
 ついでに紙の原料は木だと言ってみる。

 紙一重という言葉がある。一枚の紙のようにごくわずかな差であるという意味だ。
 もしかすると神人重であるのかもしれないが。
 カミヒトエのエの部分はどの字を当てはめても間違いはなさそうであるが、ここでは絵
として考えてみる。
 神と人の差というものは、存外そういうものなのかもしれない。平面の絵を神の図とす
るならば、人は紙の側面から見た一本の線であるのだろう。そのように切り取られている
のか、絵という情報が見えていないだけであるのかは定かではないが。そもそも平面とて、
見方によってはただの太い線でしかないのだ。
 楽園にあるという樹や、そこに取りつくへびについても同じことがいえるのではないだ
ろうか。

 大衆の総意でいえば、へびに実を取られた被害者だという認識であるだろう。そうであ
ることには間違いない。
 しかし、樹がまったくの潔白であるということの証明にはならない。
 へびと樹、実という三つ巴で考えてみる。そう、実は、樹に吊るされているものであり、
樹そのものでないというところにある。
 へびに取りつかれた樹、樹に吊るされた実。ここでへびと実の利害が一致することとな
る。樹を侵すへびと、樹から解放されたい実。実は危険を承知でへびに身をゆだね、へび
も実を利用するといった構図である。
 樹にとっても、実を吊るしているつもりはなく、邪魔なものでしかない場合、敢えてこ
の状況のままにしていることとてありそうだが。
 へびにしても実を人々に分け与えているだけのつもりである可能性はある。
 現象としては、蜂が花から蜜を運んでいるようなものであるだろう。おまけに蜂蜜が入
ったリンゴというのもあるぐらいだ。
 案外、知恵の実というものは、人がしぼりとられた記憶や情報、夢などといったものに
相当するのかもしれない。知らず知らずのうちに欠乏感に見舞われていたのだとしたら、
その実を欲しがることは必然だろう。しかもそれがもともと自分のものであるのか、他人
のものであるのかといった判別がつかないものだとしたら。
 だれがなにを持っているか取ったか、恋や戦といったものも、こうした仕組みによって
起こっているのかもしれない。

 ところで、タロットカードのうち一枚に「吊るされた男」というものがある。
 正位置での意味は修行・忍耐・奉仕などといったものがあり、もうひとつ英知というも
のもある。ちなみに逆位置での意味は欲望に負けることを指している。まさに知恵の実の
ことであるように思える。
 ついでに言えば、樹はちり紙となり、てるてる坊主となって吊るされることにもなる。
しかも鼻から出る水をチーンとかむために使用されることもあり、花に水をやる状況に似
ているなどとはとても言えない。
 加えて、神は紙であり、髪であるといったところか。そういえば髪の部分がへびである
妖怪のことも語りつがれている。へびがかむと掛けて神でもあるか。

 とにもかくにも、楽園に住む男と女が知恵の実を食さなければだいじにはいたらなかっ
たということなのだろう。他人のものを盗む結果となることだってなかったのだから。
 しかし、これは事態の根本からの解決にはならない。
 結局のところ、そのだれもが被害者であることには変わりないのだ。さらに天上にいる
であろう、この事態の犯人に目を向けさせないために、楽園というかごのなかで争いを誘
発されたことになるのだから。

「それにしても、樹がなにを象徴してて、なんの役目があるか。なかなか解釈に困るな」
 だれに問いかけるわけでもなく、ぽつりとそうつぶやくミカゲ。
「男性器みたいなもんだろ」
 隣でミカゲの声をひろったチカゲが適当にそう答えたとき、彼らを乗せていたバスは、
彼らの目的地に到着して走行を停止する。
 ミカゲとチカゲが下車したとき、雨はいったんやんでいたが、地面は水浸しで、どろに
まみれていた。

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