+. Page 067 | 陽だまりの影法師 .+
 川でおぼれていたところから生還した彼女は、うつむきがちの姿勢で、ひどく青ざめて
いた。こわい思いをしたからというよりは、自身の今の状態を憂えているようだ。言うま
でもないが、髪と服と、全身がびしょびしょにぬれている。女の子だからなおさら自身の
身なりは気になるのだろうと、ミカゲはそう見当をつける。
 それにしても、この少女の様子は悲愴感が漂っているとさえ思えたためか、ミカゲはな
にかを言おうとして、
「大丈夫か?」
 口をついて出たのはそんな言葉であった。彼自身も、おかしな問いかけだとは思ってい
るようだが、そうとしか言えなかったようだ。
「…………あ……。大丈夫……です」
 しぼり出すような声ではあるが、具合が良くないわけではなさそうだ。もともとこうい
う感じなのだろうと、ミカゲはそう確信した。
 彼女はそう答えはしたが、ミカゲから見れば到底そうは思えないようで、
「とにかく帰って着替えよう」
 そう言って手を差し出すものの、彼女はしきりに首を横に振る。
「服……乾くまでここにいる」
 なぜというように、目をしばたかせるミカゲ。彼女も、自分の言っていることが理にか
なっていないように聞こえていることは承知しているようで、さらにこう答える。
「怒られちゃうから」
 すると、ミカゲはますますわからないというように、
「どうして君が怒られないといけないんだ」
「どじなこと、しちゃったから」
 そう答えられて、ミカゲはすっかりあっけにとられた。そして口をひらいて、
「あのさ。そんなの、こわい思いをして帰ってきたものを怒るほうがどうかしてるんだか
ら、君が気に病むことじゃないと思うんだけど」
 ミカゲとしては、彼らはみんな、根はいい人たちだという印象を受けた。しかしながら、
あくまで想像でしかなく、その輪のなかで生活した日が浅すぎることもあって判断がつか
ず、大丈夫だと言い切ることもできない。
 ところで、今度は彼女のほうが目を丸くしている。ミカゲは、自分がおかしなことを言
ったおぼえがなく、むしろ当然のことを言ったまでであるとさえ考えており、彼女の挙動
の意味を理解できない。
「そもそも、人の失敗を怒るというところからおかしいだろう。なにも間違わない人なん
ていないんだから。だいじなのは、どうフォローし合うかだ」
 補足のつもりでそう付け加えたミカゲだが、彼女はますますあっけにとられたようだ。
思いもよらなかった発想を突きつけられておどろいているかのように。
 一方のミカゲは、つい口やかましいことを言ったと振り返ると、
「とにかく、なにか言われそうだったら、俺が口ぞえするけど、どうする?」
 そう簡潔に言い換えて問いかけた。
「あ……。それなら、行こう……かな」
 彼女は、差し出されたままだった彼の手をとって応じた。
 それからしばらく歩き、森を抜けて草原に出たところで、
「……あの」
 そう口をひらいたのは彼女のほう。
「うん、なに」
 ミカゲもそう応じると、彼女はどことなく落ち着かない様子で、
「ありがとう」
 ふとした拍子にそう述べられたミカゲは、一瞬なにのことやらと考えたが、川でおぼれ
ていたところを引きあげたことだと思い当たった。世の中など持ちつ持たれつなわけで、
礼を言われるようなことではないと思ったが、彼女からすれば渾身の力を振り絞って言っ
たに等しいのだろうとも思い、黙って受けとることにした。
 教会のほうに戻ってみると、牧師からのとがめ立てはなかった。もちろん嘆いてはいた
が。あくまでも聖職者であるためか、激情をあらわにすることはないのだろう。ほかの者
たちも、奇異に感じたようではあるが、とりわけて追求しようという気はないようだ。た
だひとりを除いてはだが。
 赤い髪をした、端正な顔つきの少年、ルーインというのだが、この彼だけがなにか言い
たげに見つめていた。どちらかというと、彼女ではなくミカゲのほうをにらんでいる。な
らばそう思わせておいて謝ろうかと、ミカゲが考えていたところで、
「ルーイン、違うの。わたしが川でおぼれてたところを通りかかって助けてくれたの」
 彼女のほうからそう告げたため、ミカゲは口をあんぐりとひらける。黙っていれば知ら
れずに済むだろうにと。
 ルーインのほうも、ミカゲへの疑念をほどき、彼女をとがめるようなことはなかったに
せよ、なにか複雑そうな様子はそのままであった。
 ちなみに、ミカゲの姉、チカゲもなにか言いたげにふたりを見つめていたが、特に彼の
ほうへなど、あきれたと言わんばかりのまなざしを向けていた。少女のほうへは、出会っ
た相手の悪さに同情さえしているようであった。

 次の日の朝、教会の敷地のなか。ミカゲは、それとなく辺りを見まわしてみたが、彼女
の姿はなかった。やはり、またどこかへ行ったのだろう。昨夜は夕食をともにできて、ほ
かの者たちとの雰囲気も和気あいあいとまではいかないまでも決して悪くなかったものだ
から、もしかするとだれかと一緒にいるかもしれないと思ったものだったが。
 さあ、彼女をさがしにいこう。そう思っていたところで、
「ミカゲ、ちょっと来てえ」
 やや遠くのほうから、子どもの呼び声。それを合図に、
「あのね、きんちゃくの作りかた、わからなくなっちゃったの」
「かみかざりも」
「こっちも教えて」
 と、次から次へとやって来る子どもたち。ミカゲは、やむを得ないと思い、彼らととも
に広間のほうへと向かう。
 広間といっても、来客のために整えられている部屋ではなく、彼らみなしごたちが集っ
て遊ぶための所である。なにかしゃれたものが置かれているわけでもなく、むしろ使い古
された家具などがあり、それも事足りているとはいえない。貴重なものというと、低めの
広々とした机なのである。ミカゲたちは、その場に腰をおろしてなにか物を作りはじめる。
 人里を離れたこの場所では、生活に必要な物品すらなかなか手に入らない。それどころ
か、貧窮している状態であるため、でき合いの雑貨などを買うことは至難であるのだ。そ
こで、わりあいに安く手に入る素材を購入して、手作りにするという習慣ができたそうだ。
 ミカゲは今、髪飾りを作っている。素材は上質なものではないが、それとなくきらびや
かに見えるよう組み合わせていく。実践しながら教えたほうが分かりやすいだろうという
ことで、作って見せているのだ。
「ミカゲ、これでいい?」
「ねえ、次はどうすればいいんだった?」
 一息つけたと思えば、次はまた別の者がミカゲに教えを乞う、この繰り返しである。寄
せては返す波にもまれているような状態だ。それでも彼は、慌てふためく様子もなく、ひ
とつひとつ対応していった。

 昼食の時間になっても彼女は戻ってこなかったようだ。ミカゲからすると、見かけてい
ないだけで帰っていたとは到底思えないようである。
 昼食を終えた後、ミカゲはようやくひとりの時間を手に入れることができた。この洗い
物が済んだら、今度こそ彼女のもとへ向かおうと目ろむ。
 そこで、ミカゲははたと思い立つ。なにか食べるものは残っていないだろうか。そう考
えて、なべのなかを確認してみる。彼女のもとへ向かうときに持っていくつもりなのだ。
彼女が昼食をとってすらいないことは間違いないだろう。
 彼女は色白な肌をしており、小柄なうえに細身の容貌である。体調が思わしくないわけ
ではなく、もともとそういう見た目だというのは、ミカゲも分かるところだ。
 しかし、それとは別に、どことなく消え入りそうな雰囲気を感じ取ったのは確かだった。
日の光に当たりっぱなしであったために、発汗してやせ細っていくような。それどころか、
まるで、火に当てられてたちまち溶けていくろうそくのようにすら思えたからなのかもし
れない。
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