+. Page 066 | 陽だまりの影法師 .+
 彼自身、人から疎ましがられているということは分かっていた。直接的に敵意を示され
たわけではなかったが、はっきりと伝わってくるものであった。双子は不吉の象徴である
という迷信が根づいていたこともあり、それに連動して言いがかりをつけられるといった
あんばいであった。
 だから、本気で嫌悪されているか否かというのは分かってしまうものなのだ。たとえ、
一見して友好的でない態度をとられたとしても。
 ひとまず、なにかを言いかけて走り去っていった彼女に会いに行こうとするも、今はさ
がすことさえもままならない状態であった。

「おーい、ミカゲ。次はこっちをたのむよ」
 はつらつとした、中年の女性の呼び声。ここは、彼が住まう教会が所有している厨房。
彼、ミカゲがやって来た二日目の昼。ミカゲは、数十人分の食事の用意をする手伝いをし
ていた。今、彼の手に豆腐が渡されたところだ。
「ああ、それ、つぶさないようにな。絹ごしだから、少しでも力を加えたら崩れてしまう
んだ」
 そう告げられると、ミカゲは、豆腐を持っているほうの手に、力を入れないよう、それ
でいて落とさないよう集中する。そうしながら、もう片方の手に包丁を持ち、均等に切っ
ていく。
「それにしても、本当に助かるわ。ミカゲってば、一度教えただけですぐ覚えるんだから」
 そう言葉を向けられたミカゲは、今度はきゅうりの皮をどころどころむきながら、ため
息ともひと息ともつかない息をはいた。
 以前ならば、彼が、なにかを人より早く終わらせると、敵意を向けられるのが常であっ
た。するべきことを人より早く終えたからといって待っていようものなら、怠けているも
のと見なされ、手を動かすよう言いつけられていたものだった。それで、その当人たちの
作業を手伝い、彼らよりも巧みに仕上げると、さらに向けられる敵意を助長させることま
であった。だから、速度を人に合わせることや、手を抜くことを覚えたものであったのだ
がと。しかしながら今、こういった場所では、彼の器用さはありがたがられ、彼自身とて
手を抜いているひまはない。
 食事の支度ができたところで、ほかの孤児たちが待っている食卓の間へと運ぶ。彼らは、
大きな皿を抱えたミカゲがやって来ると、一斉に歓喜の声をあげた。赤い髪をした、端正
な顔立ちの少年を除いては。
 それぞれが思い思いに、運ばれてきたサンドイッチを手にすると、
「ねえミカゲ、このパンなんでミミがついたままなの」
「耳だって食べれるんだから、切ったらもったいないだろ」
「ミカゲビンボーショー」
 そのようなたわいもない会話を繰りひろげる。
「なにこれ、トマトが入ってる」
 続いて、そう声が聞こえてくると、
「鳥肉にはトマトが合うんだ」
「パンがべちゃべちゃしてきもちわるいよ。そもそもトマトきらいだし」
「そう言うなって。おいしいぞ」
「ばかあ。ミカゲもきらいだあ」
 そう言われたところで、ミカゲは、それほど困ってはいないが、困ったなというふうに
笑いながらなだめていた。
 とにもかくにも、ミカゲは、持ち前の技量のおかげもあってか、この教会にやって来て
早々に住人たちと心を通わすことができたというわけだ。やはり、ただひとりを除いては。
「リゼはまたどこかに行ったきり帰ってきてないのか」
 そして、当の彼は、昨日と同じく、彼女の行方について気にかけている。
 リゼというのは、やはりあのときに見かけた少女のことなのだろうと当たりをつけてい
た。白い髪と肌をした彼女。ほかの住人たちに聞いて確かめたわけではないが、ミカゲに
は、確信に近い自信があった。
 そのリゼはというと、昨日は夕食の時間の後に帰ってきて、今日は朝食の時間の前にま
たどこかへ行ったらしい。彼女がふらりとどこかに行くのはいつものことであり、おなか
がすいたらふらりと帰ってくるだろうとは告げられていたが、ミカゲとしても気にかかっ
てしかたがないといったところであるようだ。
 ちなみに、姉のチカゲもこの場にはいないが、それは、この食堂の建物を囲っている鉢
に植えられている花が嫌いだからという理由であった。

 昨日と同じく、さんさんとした太陽がいちばん高い位置に昇っている時刻。用事を済ま
せたミカゲは、教会からやや離れた所にある草原にやって来ていた。青々とした草や清涼
な風も昨日と変わらない。ただ違うのは、彼女だけが一向に現れる気配がないということ
だ。やはり、あらかじめ考えていたとおり、さがすほかなさそうである。
 彼女をさがしはじめてからしばらくの時が経ち、ひたいにかいた汗をぬぐうミカゲ。の
どまで渇きながらも、足をとめる様子がない。人をひとりさがすことにこれほど手間どる
とは思わなかったという、骨折りが半分、胸がおどるのが半分といったところである。
 ミカゲは、隠れることはそれほどうまくはなくとも、見つけることは得意であったとい
える。かくれんぼをするときなど、鬼の役にまわしたくないとはよく言われていたことで
ある。彼としては、身を隠すために行きそうな場所というのを、無意識ながらも想定した
結果というだけであったようだが。ただ、やはりというべきか、そういった場面でもやっ
かみを投げかけられることがあった。だから、見つけに行くにも時間を置いたことがあり、
それでも嫌がられたときには敢えて降参をしたこともあったものだ。
 ミカゲが感慨にふけっていたとき、一輪の花が彼の瞳に映った。この広々とした草原の
なかの、彼よりやや遠くの位置。小さいながらも、白く柔らかな花弁を整然とひらかせて、
空に向かって手を伸ばすかのように咲こうとしている。
「きれいだ……」
 思わずつぶやく彼。たったそれだけの言の葉に、すべての想いが詰められているかのよ
うな。
 確かにこれは、花壇に植えられたり、花屋で売られたりしていて、人の手が加えられて
いるものよりは断然いい。そんな気持ちが芽ばえてもいた。
 そのとき、花弁がひらりと舞うように空に浮かぶ。いや、花弁ではなく紋白蝶である。
そこへ引きつけられるかのように向かうミカゲ。蝶は、彼をどこかへといざなうかのよう
にひらひらと飛んでいく。まるで、ダンスでもしようかというように。
 蝶にいざなわれて森のほうにまでやって来たが、ミカゲにはおそろしいという気持ちが
わかない。むしろ待ち焦がれているといった、恍惚とした面持ちである。その先にあるも
のがたとえ地獄だったとしても、この目で確かめないと気が済まないといったところか。
 しばらく歩いたところで、やや遠くのほうから、水が跳ねたようである。その音がます
ますミカゲをかきたてる。しかしながらそれは、澄みわたったものとはほど遠く、連続し
て激しく打たれているかのようなものだ。彼は、せきたてられるかのように、音のするほ
うへと駆け出す。
 ミカゲが、川のある付近にたどり着くと、だれかがおぼれているありさまが目に映った。
彼は青ざめながら、その場へととび出していった。
 川でおぼれているのは、白く細い腕を水面から突き出してもがいている少女。白い髪が
水面に浮いてひろがっている。
「――リゼ!」
 ミカゲは、彼女の名前を叫ぶやいなや、突き出されている腕をとり、引きあげようとす
る。
 すると、もがいていた彼女が動きをとめたようだ。体力もなくなってきたのだろうか。
これはまずいと思い、ミカゲは早急に引きあげる。皮肉なことに、彼女が力を抜いたこと
によって浮きあがり、彼のほうもそれほど身体に負荷を掛けずに引っぱり出すことができ
た。
 そのときにも、彼女に意識はあったようで、今は水をはき出すべくしてせきこんでいる。
もがくことをやめたのは、だれかがというよりはミカゲが腕をつかんだと分かって安心し
たためであったようだ。彼は、彼女が水をはき出しやすいように背をさする。
 そこで、ミカゲの目の前に、ふらりと紋白蝶がやって来る。先ほどここまで導いてくれ
た蝶であるという確信は彼にもあった。ただ、この蝶はもう、空に浮かんでいることさえ
ままならないだろう。それも察した彼はてのひらを差し出す。
 すると、蝶は飛ぶことをやめて、ミカゲのてのひらの上に落ちていく。役目を終えたと
いうように息を引きとりながら。
「ありがとう」
 ミカゲは、今までにないほどの感謝をこめて、この勇敢な蝶の亡がらを土に還した。
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