+. Page 030 | クロヴィネア編 .+
 クロヴィネアの郊外には、農耕に適した、なだらかな土地がひろがっている。
 そこには草花が茂っており、きれいに舗装されているふうではないが、人が通る分には
困らないほどの道があった。
 その道の上を、ふたつの人影が歩いている。彼らの容貌は、まだ年頃ともいえる男女で
ある。ふたりは、なぜだか、戦った後のように、身に着けている衣服が傷んでいる。
「うーん、動物たちが凶暴化してるというのは、局地的なものなのか、それとも世界全体
でのことなのか」
 と、考えこむときのしぐさでそう話しているのは彼のほうである。青年と少年の中間ほ
どの顔立ちで、陽に照らされてかすかに光沢をはなっている銀髪が、わずかに掛かってい
た紫の色を浮かび上がらせている。
「単に、動物さんたちも強くなってるってことじゃないの?」
 そう受け答えた彼女のほうは、彼よりやや年下といったところだが、まだ少女といえる
ほどのあどけなさがあった。髪は薄い紅色であるということ以外には、取り分けて特徴が
あるというわけではないが、手には槍を携えている。
「というよりも、なんだか混乱しているといったほうがしっくりくる。それに、小さな動
物たちはそれほどでもない分、どうなってるのか気になるところはある」
 彼、レキセイは、なおも食いつくように続ける。
「あ!」
 彼女、リーナが、今度は、レキセイの話に受け答えるでもなく、そう声を発すると、な
にかを見つけた子どものように、駆け足でその場へと向かっていく。レキセイも、なにを
思うでもなく、彼女を見失わない程度の早足で続いていった。
 彼らが向かった先には、大きな畜舎が構えられていた。
「わあ、ちょっと、なかをのぞいてみてもいいかしら」
「でも、依頼主はここにいる人じゃなさそうだ。確か、畑のほうだって言ってたから」
「もう、そうじゃなくて、単なる好奇心よ」
 リーナは、そういたずらっぽく告げると、早速なかのほうへと入っていった。レキセイ
も、糸に引かれるようにして続いていく。
 畜舎の内部では、数十頭の牛が、囲いの奥で飼われている。彼らは、低くありながら穏
やかな鳴き声を不協和音のようにあげている。それが、いつからかのなりわい、摂理とも
いうべきか。
 それらをなにげなく眺めまわすリーナのかたわら、レキセイは、牛たちの一挙一動に集
中して見入っている。本に載せられている活字を追っているかのように、世界の様相を見
下ろしているかのように。
 やがて、ファイルとペンを手に持った、係員と思しき男がやってくる。彼は、その場に
いるレキセイとリーナの存在に気づいた様子もなく、牛たちを眺めては、ファイルに挟ん
である書類になにかを書き記している。そして、思ったとおりの結果に満足したようにう
なずき、その場を後にした。
 牛たちは、そのことに気がついた様子もなく、相変わらずの様子で、それぞれの営みに
勤しんでいる。外の世界のことなど考えつくよしもなく、この場がすべてであるかのよう
に。ここから出られたとしても、そのときは人間への供物になっているとは夢にも思わず
に。
 その瞬間、レキセイは、こわばった面持ちで、勢いで振り向く。その目の先には、取り
立ててなにかがあるというわけでもなかった。
 しかし、こちら側からはうかがいしることのない場所から、だれかに見下ろされている
かもしれない。それも、自分たちの経過を観察しては、それらに一喜一憂しながら。いず
れ、自分たちも、そのものたちへの供物になるのではないか。ただの妄想でしかないと思
いながらも、自分たち人間もこの想定のらち外にあるとは言いきれない。そんな思考が駆
けめぐったといったところか。
 ほどなくして、ぬるりとした、それでいて柔らかな感触が、レキセイの皮膚を駆けめぐ
る。レキセイが向き直ったその先には、囲いの外へと顔を突きだしていた、一頭の牛。そ
の牛が、レキセイの後ろから、彼の頬を舌先で触れていたのだ。それからも、その一律の
動作は続く。
「え、あ、ちょっと……、くすぐったい」
 戸惑いながらもこそばゆそうな面持ちで、牛の頭を両手で持ち上げるようにしながら声
を発するレキセイ。
「あーあ。なめられちゃってる」
 リーナのそんなつぶやきを肴に、彼らの、囲いをはさみながらの触れ合いは暫し続いた。

 レキセイとリーナは、再び外を歩きだす。周囲の様相に変わりはないが、空模様だけは
曇りを帯びはじめていた。
「急がないとまずいな。雨が降ってくる」
「そうなの? 確かに雲だらけで暗いとは思うけど」
「うん。風が冷たくて、刺すような粒子の感触があるから」
「感触はよく分からないけど、それなら、逆に、動物さんたちが畑を荒らしに来る心配も
ないんじゃない?」
「どうかな。食べないと生きていけないのは動物も人間と同じだから、雨どころか雪が降
ろうとも食料は取りに来るかもしれない」
「荒らす体力はなくなるでしょうし、来ても追いはらうだけで済みそうじゃない?」
「……うん。少なくとも、飼われている動物たちに関しては、凶暴化したという話は入っ
てきてないから……そうだな」
 律動的に繰りひろげていた会話のさなか、不幸中の幸いであるといった内容であるにも
かかわらず、不意に、歯切れが悪く、自身を納得させるように言うレキセイ。
「そうそう。動物さんたちみんなが凶暴化しちゃってたら、今ごろ、都ひとつは壊滅して
たところかもしれないもんね」
 リーナは、すさまじいまでの内容であるにもかかわらず、調子を崩すことなく、無邪気
な調子で受け答えた。
 かみ合っているような、かみ合っていないような、そんな会話を繰りひろげている合間
にも、目的地へと到着する。
「わあ……、もしかして、ここ?」
 すると、まだ任務を遂行したわけではないにもかかわらず、既にまいっている様子で確
認するリーナ。
 そこには、遠くのほうの視界までも覆うほどにひろがっている田畑。そして、ぽつりぽ
つりと建てられている、住むには困らない程度の築きの木造の、十数件の家屋。
 農夫たちは、一仕事を終えて帰路に就こうとしていたり、まだ作業に没頭していたり、
それぞれの営みに勤しんでいる。彼らの行き交う方向に規則性はなく、足並みにもまとま
りがない。それは、まるで、おのおのが独自の世界を生きており、ここが幾つかの別の空
間が重なっている場所であると言わんばかりに。この場に不似合いな、成人する手前ほど
の年ごろの男女がふたりやってきても、その姿に気づくよしもなく。
「とりあえず、村長さんに話を聞きに行きましょ」
 うちひとりである彼女、リーナが、同伴である彼に向けてそう切り出す。
「村というより、この場で寝泊りができるように家屋が建てられているというだけのよう
だから、元締みたいな人ということになるかな」
 辺りを見まわしながら受け答える彼、レキセイ。
「それじゃ、あのいちばん大きな家の人に聞いてみましょ」
 そして、リーナは、周囲の人々を気にする様子もなく、そこへ向かって駆けていった。
 レキセイとリーナが、目的の家に到着すると、
「ごめんくださーい」
 彼女のほうが、大声で、家主を呼びだそうとする。それからしばらく待ってみても、反
応はない。
「あれ、いないのかしら」
「いや、人の気配はあるみたいだ。身を潜めてるようではないけど」
 レキセイは、自身の耳を、扉に密接させながら告げる。
「それじゃあ、聞こえてないのね」
 リーナは、そう解釈するやいなや、大きく息を吸いこみ、
「ご・め・ん・く・だ・さああああい」
 言葉を区切りながら、先ほどより大声で呼びだそうとしている。
 レキセイは、そんな彼女の声が耳に響いたのか、鼓膜に近い位置の皮膚を、両手で挟む
ように押さえている。
 この付近を行き交っているものたちはというと、どこかの家の玄関に向かって叫ぶ少女
という状況を気にした様子もなく、相変わらずそれぞれの営みに勤しんでいた。
 不意に、その家の扉に付いている取っ手を引いてみるレキセイ。大ざっぱな築きの建物
であるせいか、それだけで、大げさな調子できしむ音が響く。
「あいてる……」
 あっけにとられた調子でつぶやくレキセイ。
「んもう、入るわよ?」
 リーナがそう告げたとき、ひとつの影が、彼らのそばにやってくる。
「おや、君たちは?」
 やってきたのは、老年の男性。農夫であるためか、穏やかな印象とは裏腹に筋肉質であ
る。
「あ、もう、やっと来たわね。さっきから呼んでたのに」
 リーナは、ようやく顔を出した家主に向けてぶうぶう言う。
「そうじゃったのか? わしゃ、うちの扉がひらく音がしたから、なにごとかと思って来
てみたのじゃが」
「え、そっちで気づいたの?」
 そして、口をとがらせながら応じるリーナ。レキセイは、首をかしげた姿で、その男性
を眺めている。
「おお、すまん。それで、どうしたのかの? 若い男女がふたりとは珍しい。道にでも迷
ったか」
「いえ、俺たちは、LSSから来ました。畑を荒らす動物を退治してほしいとのことです
が……」
 レキセイは、はっとした様子で、身分証明書を提示しながら告げた。
「おお、おお、そうだったか。いやはや、若いのに感心じゃ。話は、ほかの者たちからも
聞いてくれ。もうそろそろ、みなが仕事を終えるころじゃろうから。どれ、呼び集めてこ
ようかの」

 大きな家の前にある、広くひらいている場所。そこには、この畑地で先ほどまで働いて
いた農夫たちが集まっている。彼らに向かいあうようにして立っている、成人する手前ほ
どの年ごろの男女がふたり。そして、そのふたりを、後ろから見守るようにしている、老
年の男性がひとり。なんとも形容しがたい光景であった。
「まず聞きたいのは、被害の状況と、動物たちの活動の度合です。退治するかどうかの判
断はそれからにしたいと思いますので」
 そのふたりのうちひとり、彼、レキセイが、それぞれの手に帳面とペンを持ち、取りま
とめようとする。
 そのとき、せきとめられていたものが押し流れるようにどよめく農夫たち。そして、彼
らから口々に告げられる言葉。
「被害もなにも、強固に作ったはずのさくまで壊された挙句、手塩に掛けた作物がほうぼ
うで食い荒らされてんだ。追いはらっただけで済むわけがねえよ」
「そのうえ、俺たちが油断してる夜間をねらってきやがって」
「ったく、何ヶ月も前から作りはじめる苦労をなんだと思ってんだ」
 かく言う彼らの意思は、激流のように、ひとまとまりにまざりあって勢いを増していた。
切っても切り離せないきずな、初めからそうであったかのような。このままの状態にして
おこうものならば、洪水が起こり、世界を浸食しそうでさえあった。
「――話は分かりました。ひとまず、夜間は、外を見張っておきます。そして、動物たち
がやってきたときは、もうここに来られないよう対処します」
 そう告げた後、レキセイは、相棒である少女、リーナのほうへ目配せする。
「リーナそれでいいわよ。それ以外の方法はなさそうだし」
 リーナは、レキセイの言わんとすることを察したようで、即座にそう答えた。
 そして、再び、農夫たちが、次々になにかを言わんとしている。
「よおおおし、これで当面の心配はないぞおおおお」
「ああ、たのんだぜ、若いの」
「いやあ、ありがたい」
「俺たちもここで寝泊りするから、なにか困ったことがあったら言ってくれよな」
 彼らは、口をひらくやいなや、レキセイとリーナに、感謝と激励の言葉を述べた。これ
らは、愚かしいまでにまじりけのない、本心からのものであるようだ。
 現在の時刻は、夕方に差しかかろうとしている。しかし、曇っているためか、紅玉髄の
ように輝く夕陽は見られず、薄暗い空がひろがっているだけであった。
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