+. Page 005 | プロローグ .+
 きらびやかさを誇る都は、同時に暗黒面も抱えている。
 そのなかでも、俗にいうアンダーグラウンド――もとい地下に敷かれている水路がある。
明かりをなくしては見えないほどに暗い。足場も悪く、歩くなどもってのほかであるだろ
う。湿気がこもっているなか、通気孔から吹きぬけてくる風の影響で寒いというのだから
始末に終えない。あまつさえ、その風によって、どぶやかびのにおいまで運ばれてくる。
 そのようななかにも、なぜだか人影があった。携帯用の電灯を照らしながら歩いている
あたり、なにか目的があってのことだろう。顔ぶれは、成人する手前ほどの年ごろの男女
と、そんなふたりの後ろから続くかたちで歩く、ひとりの青年である。
 そのなかのひとり、前方を歩いている彼は、落ち着かないといった様子で、視線をさま
ざまな方向へさまよわせている。
「レキセイ、どうしたの?」
 同じく前方を歩いている彼女、リーナが、首をかしげながら尋ねる。
「あ、うん。ここに、俺たちのほかにも、だれかがいるような気がして……」
 ――かつん。突如として響いてきた音。風にさらされた鉄格子からのようだ。さらに、
鉄格子のすきまを通ってくる風が、ひゅうひゅうとうめくように鳴る。そして、水の流れ
る音や滴る音。
「いろんな音が反響してるから分かりにくいけど、やっぱり泥棒さんが入ったとか?」
「いや、それはないと思う。その……、泥棒だったら、逃げる時間を省くためにも、鍵な
んてかけていかないはずだから」
「ほへー、なるほどね。あ、だったらだれもいないってことじゃない? やましいことが
目的でもない限り、こんなところに入る物好きなんていないでしょうし」
 リーナがまくし立てるように力説すると、レキセイは、なにを考えているとも知れない
表情で黙りこんだ。
 ふたりがそんなやりとりをしているなか、青年は口を閉ざしたままだった。飽くまで見
守るという姿勢のようだ。
 そして、その合間にも、目的の箇所へと到着した。レキセイとリーナは、それぞれの仕
事に取りかかる。
「どう? レキセイ」
 マンホールへと続くはしごに登り、そこの点検をするレキセイ。リーナは、彼のいる場
所を、携帯用の電灯で照らしながら尋ねる。
「……うん。異常はどこにもないみたいだ」
 と言いながら、レキセイは、音を立てずに、はしごを降りる。
 ひとつの作業を終えると、またひとつ取りかかるため、次の目的の箇所へと向かう。
 相変わらず反響しあう、さまざまな音。それぞれの発生する場所すら、特定が困難であ
る。自分の足音さえも、遠くからのものだと錯覚するほどに。そして、レキセイも相変わ
らず、視線をさまざまな方向へさまよわせていた。
「レキセイ、やっぱり怖いの?」
「ん? 大丈夫だけど、平気ではないな。リーナのほうは大丈夫なのか?」
「うん! 目も慣れてきたし、なんとか滑らないように歩けそうだから大丈夫だよ」
「そうか。じゃあ、寒くはないか?」
「言われてみれば寒い気はするけど、このくらいなら平気よ」
 一定の調子で会話を繰り出すふたりに、彼らを後ろから見守る青年。その合間にも、目
的の箇所へと到着する。そして、準備に取りかかるふたり。先ほどと同じ手際で仕事を終
えると、
「結構歩きまわったと思うけど、点検が終わってない箇所はまだありそう?」
 リーナが話も持ち出すと、レキセイはしばらく、確認のために考えをめぐらせた後、
「うん、これで最後だ」
「そっかあ。それじゃあ、カノンお姉さまのところに行きましょ」
 リーナは、足場の悪さをものともせず、軽やかな足どりでその場を後にする。
「あ、ああ……。ひとまずそうしようか」
 レキセイは、ためらいながらも同意の旨を示し、彼女の後に続いていく。青年のほうは
というと、彼らが歩きだした方向とは別のところに目を光らせているようだ。しかし、そ
れも一瞬のことで、すぐに彼らの後に続いていった。

 都の地下に敷かれている水路にて、任務を終えたらしい三人組が、地上への出口へと向
かって歩みを進めていた。
 そのなかのひとり、レキセイが不意に立ちどまる。彼の隣を歩いていたリーナは、均衡
を崩しそうになりながらもどうにか立ちどまる。そして、後ろを歩いていたグランも、彼
らに合わせて立ちどまった。
 不意に、レキセイが口をひらく。
「ええと、やっぱり、もうひとまわり確認してから出ないか」
「大丈夫だと思うわ。だれかが間違えて入ったとして、助けが必要なら声をあげるはずだ
もの」
「うん……。そう、だよな」
 出入口の付近に差し掛かると、そこから、地上の光がかすかにもれているのが分かる。
 そのとき――曲がり角のほうからやってきた、中年の男と鉢合わせる。
 彼の身なりは、無地のワイシャツとズボンで、ところどころ擦り切れていた。
「ど、どうも」
 そして、どうにか反応できたといった様子のレキセイ。
「えっと、ここは悠長にあいさつするところなのかしら?」
「……な、なんだ、おまえたちは……」
 中年の男は、きつねにつままれたような表情で、とぎれとぎれに言葉を発する。
「貴様こそなんだ?」
 かくいうレキセイの瞳には一切の邪気もなく、素朴な疑問を投げかけるように聞き返す。
「こっ、こんのガキがあ!」
 男は、突然のわめきとともに、小刀を取り出し、レキセイのほうへと迫ってくる。
 レキセイは、立ちつくしたまま面食らっていた。
 すると、リーナは、携帯用の電灯をその場に落とし、持ち歩いていた槍を取り出すと、
小刀を携えている男の手を弾くように、それを突き出す。
 男のほうは、槍の刃がかする寸前にその手を引き、足場の悪い通路をものともせず、後
ろへととびはねてさがる。
「レキセイっってば。今時、貴様っていうのは、相手をののしる意味で使われることが多
いんだからね」
「そ、そうだったのか」
 そんなのん気なやりとりをよそに、当の男は、目の前にいる彼らを見やる。
 武器は持っていないようだが、柔術で用いられる手甲を装着している、レキセイという
彼。一見ただの少女のようだが、先ほども、目にもとまらぬ反応の速さで槍を突き出した
彼女。そして、ふたりの引率者であるようだが、武器を手にしていないどころか、なにも
するつもりもないといったふうな、そこそこの体くである青年。そんな彼らに、かわるが
わる視線をさまよわせている。
「ちょっとグラン! 武器くらい構えておきなさいよ」
「姐さんのところに戻るまでが試験だからね。宣言どおり、僕は口出しも手出しもしない
よ。こうした思いがけない事態を対処するのも、リベラルの腕の見せ所さ」
「……ふ、ふざけるなあああ!」
 男は、なにかが吹っ切れたように、グランのほうへと向かって小刀を突き出す。
「待った!」
 声をあげ、小刀を持っている男の手をつかむレキセイ。
「とにかく落ち着いて。その人は、お偉いさんが派遣した密偵と見せかけて、実は調子に
乗ってここに入った挙句、迷ってしまったただの旅人なんだ」
 さらに、だた混乱しているだけの者をなだめるように続ける。
「うわああ、レッキーってばさりげなく言いたい放題ー!?」
 と、おどけているだけなふうのグラン。
「え、いや、あの。なんだか殺伐としてきたようなので、場を和ませようと……。ついで
に、リーナとグランさんの設定を掛け合わせて……」
 レキセイの口調は脱力をさそうようなものであるが、つかんでいる手を緩めることはな
い。
 当の男は、その手を振りほどき、後ろへととびはねる。そして、レキセイは彼のほうを
向き、
「とにかく、話はここを出てからにしましょう。困りごとならリベラルのほうに相談すれ
ばいいですし、緊急時の場合の依頼料は、リベラル自体が負担してますから」
 なんの含みもなく、そう持ちかける。
「させるかあああ!」
 今度はレキセイのほうへと向かって小刀を突き出す男。
 そのとき、リーナは、再び、それを弾くように、槍を突き出した。
「レキセイ、話が通じる相手じゃないわ。明らかに、困ってるってわけじゃないみたいだ
し。それどころか、ただの乱暴なひとというだけじゃないみたい」
「――――っ!」
 苦しげな声とともに、構えの姿勢に入るレキセイ。
 男は、小刀を一定の間隔で振りまわしてきている。こころなしか、刃をかざす方向にも
規則性がある。リーナのほうも、それを槍で制しており、刃と刃のぶつかる音が律動的に
響きわたる。
 レキセイは、なにかを見計らうように、両者を眺めている。
 そのとき、先ほどまで律動的に刃を交わしていたリーナの、その手に携えられている槍
が、相手の小刀からぬけだすようにそれた拍子に大きくそれた。そんな彼女の面持ちは、
興がさめたかのようであった。
 すると、迷い子のように、うろたえた様を浮かべる男。
 その瞬間、レキセイは、彼のその手をつかみにかかった。勢いに乗ったためか、重心と
なる足までも、地を離れて突き出された状態で。
 ところが、それが幸いしたようで、レキセイの足が、男の足もとを崩すかたちとなった。
それに伴い、男は、手にしていた小刀を落とした。同時に、レキセイも、蹴りの反動で、
地面に転がった。
 そのすきを突いたリーナが、小刀を水道に投げ捨てる。水の跳ねる音とともに、男のほ
うは、おもちゃを捨てられた子どものように、途方に暮れたような面持ちであった。
 そのすきを突き、敵の急所を蹴るリーナ。彼がもだえ苦しんでいる合間にも、リーナは、
敵の背後にまわりこんで、槍で殴りつける。けして力強いわけではないが、はでな打撃の
音が響きわたる。
 男は、魂が抜け落ちたかのように白目を剥いた表情で、鈍い音を立てて前のめりになっ
た。
「はあ、びっくりしたあ」
 先ほどの険しい顔つきとはうって変わり、胸に手をあてながら、無邪気な表情で言うリ
ーナ。
「ええと、俺もいろいろとびっくりした」
 のろのろと立ち上がりながら、あっけらかんと言うレキセイ。
「でも、レキセイ、この人の足場をけって崩すなんてすごいね」
「いや、実はまぐれだったんだ。手を突き出したら、いつのまにか足まで突き出してたと
いうか……」
「それでも、レキセイがああしてくれなかったら、リーナも危なかったよ」
 そんな彼女を、そっと見やるようにするレキセイ。
 やがて、彼は、倒れている男のそばにかがみ、
「とりあえず今は、この人のほうが危ない状態みたいだから、いったんリベラルの支部に
連れて帰ろう」
 と、彼を背負いながら持ちかけた。
「それじゃ、今度こそ、カノンお姉さまのところに行きましょ」
 すると、おつかいから帰るような調子で促すリーナ。
 かくして、地下に潜っていた者は皆、日のさすほうへと向かっていった。
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