Prologue Act.1
 星煌暦が始まる頃――時は満ちようとしているというのに、世界は終焉を思わせるほど
に暗かった。
 真夜中のことだった。外では、洗礼のような雨に、すべてをさらわんとするような風。
空には、切り裂くような稲光が走っている。そんななかでも、満月が、おぼろげながらも、
存在を主張するかのように浮かんでいた。
 辺りには、建物らしいものは見当たらない。地面には、雑草が広がっている以外は、簡
易に舗装された道があるのみだった。
 そんななか、ひとりの、歩く人影があった。背はやや高めの青年といった容貌。大きな
荷物や数本の剣を所持しており、旅装束に身を包んでいる。
 彼は、不意に立ちどまり、天を仰ぐと、
「やっべーなー、野宿なんてできたもんじゃない」
 つぶやくような口調でありながら、空に反響しそうな声で言う。
 その刹那、彼の背後から、草を踏む音がかすかに聞こえてくる。彼の振り向いた先には、
「おっ、あんたも旅してんのか?」
 彼より頭半分ほど背の低い人影があった。白装束で全身を包んでおり、帽子をすっぽり
と被っていた。そして、包帯のようなもので覆われている両目。口はつぐまれており、表
情は読みとれない。さらには、光をかすかに帯びている、全身の周り。
「って、旅人って感じでもないか」
 そして、他意はないといったふうに、ふっと笑みを浮かべて言う青年。
「わたしは、大いなる棺のあるじの代行及びその守護者の選定をなりわいとしている」
 それに応じるように、口をひらき、うたうようになにかを述べだした。声は高くもなく
低くもなく、ややくぐもっていた。
「へえ」
 分かったのやら、分かっていないのやら、青年は、ぼんやりとした表情でありながらも、
よく通る声で相づちを打つ。
「んで、そのなんちゃらの選定をしてるあんたが、俺になんの用なんだ?」
 続いて、やや軽やかな口調でたずねると、
「わたしと一緒に来るつもりはないか?」
「へっ?」
 脈絡もなく唐突に聞き返され、ぽかんとした様子で受け応える。
 辺りは、相変わらずの様相を呈している。風や雨、雷などの音が、彼らの合間に漂う静
けさを駆けめぐるように響きわたっていた。それは、永遠ともとれる間――時が止まった
かのように。
「貴様にはその資格がある、ということだ」
 ようやく説明にかかったかと思いきや、多くを語ろうとせず、ただそれだけを。当の青
年はというと、
「なんだか分からんが助かった。よし、乗った!」
「ふむ。ずいぶんと話が早いな」
「だって、こんなところにいたってどうしようもねえもん。それに、わざわざさそいにく
るってことは、どこかに宿があるんだろ?」
 理にかなっているとは言いがたい要求に、迷った様子もなく応じる青年。そして、たず
ねられていないことであっても続けざまにしゃべりだしたかと思いきや、さらに聞き返し
た。
「宿といえるのかは知らぬが、ここではない場所であるのは確かだ。しかし、ここでなけ
ればいいというだけの理由で引き受けるとは」
「そりゃあ、こんなに寒い嵐のなかじゃ、身が持たねえからな。あんただってそうだろ?」
 そうたずねられた白装束の者は、
「……いいだろう」
 青年の質問に答えるでもなく、そうつぶやく。それを合図に、
「――うわ……っ!」
 眉に力を入れ、額のほうへ腕をやる青年。霧をまとった風のようなものが、帯をかたど
り、幾多に重なり合い、彼の視界を覆う。
 やがて、風がやみ、霧が晴れていく。それにともない、先ほどの天候も、なかったかの
ように静まり返っていた。ただ、おぼろげに輝く満月を残して。
 そのとき、
「星煌の扉はひらかれた。数々の洗礼をくぐりぬけて来るがいい。むろん、今から引き返
すも構わぬ」
 と、頭のなかに響くような声で告げられる。辺りを見わたしてみると、かの者の姿は既
になく、
「あっ、おーい……」
 青年の発した声は、虚空へと消えていく。そして――――
 空の暗さとは不似合いな、一枚の扉が、彼の前に立っていた。幻想的な装飾が施されて
おり、彩度の高い光が放たれている縁どり。入口は、彼の身体のひとまわり以上の大きさ
であった。
「ったく……」
 彼は、あきれたふうでありながらも、特に不快ではないといった調子で吐き出すと、な
にを思うでもなさげに、扉のほうへと足を運ぶ。
 彼が吸いこまれるようにくぐるっていくと、扉のほうも、それに乗じるかたちですっと
消えていった。
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