わたしは、クロヴィネアを拠点にしている医者だ。歳は聞くな。男か女かもどうでもい
いことだ。名前なんて聞いたところで、最も意味のないことだ。
それで、だれに話しかけているのだということだが、別にだれへでもない。とにかく、
この苦悩をどこかに吐き出してしまいたいというだけだ。
ついこの前に診た患者の話だが、火事に見舞われている酒場の中に飛び込んだという話
を聞いたときは、比喩ではなくマジで心臓や目玉辺りが飛び出るかと思った。いちばん肝
要な器官がだぞ。さらに驚愕したのは、そいつはまだ成人もしていなかったというところ
だ。ああ、今度は顎が外れるかと思った。確かに、少年の域は超えていたし、一般の男よ
りは鍛えられた身体ではあったが。それにしてもだ。いくら子どもが取り残されていたか
らといって、普通はそんな無茶なことをしないだろうが。
それで、その患者はあらかじめ水を被っていて、住人たちの処置のおかげで大事には至
らなかったが、はっきり言って死ぬところだったんだぞ。良くて意識不明の重体だ。まあ、
思ったよりは早く意識を取り戻したし、外傷もひどくはない。しかしあくまで思ったより
はだ。
だというのに、そいつは、目が覚めて早々に、町とか救出した子どもとかの様子を見に
行きたいなどと言い出した。連れの女、というよりは少女が同行して、危険だと判断した
ら引きずってでも連れて帰ると言うので渋々了承したが。
それだけならまだしも、傷がおおかたふさがったというところで早速の旅を再開したい
などと言いやがった。治癒力は大したものだと思うが、本来ならば数日はじっとしていて
もらいたいところを。リベラルの団員だからある程度は体調管理できるだろうということ
で、特別の中でも特別に許可を出したが。もちろん、そうでなければ、いくら聞き分けが
ないからといって了承はしない。殴ってでもとめた。
言うことは言った、もう知らん。とりあえず覚えておけとだけ念を押しておいた。
そういえば、セイルファーデで起こった事件に立ち向かった若者たちがいたと言ってい
たな。リベラルの団員だったようだが、それにしても無謀だろう。うちふたりは、かなり
衰弱していて、丸一日以上も目が覚めなかったというではないか。はあ。勇敢なのは結構
なことだが、これはこれで先が思いやられそうだ。
さて、心の中で叫ぶだけ叫んですっきりしたところで、仕事再開だ。そう気合を入れな
おしたところで、
「――はい、分かりました。今すぐそちらに向かいます」
そう聞こえてきたのは、備えつけてある通話機のほうからだ。どうやら現地で医師の手
を借りる必要のある患者がいるようだ。それ自体は珍しいことでもなく、大しておどろき
はしない。しかしながらどうにも気になって尋ねてみる。
「おい、いったいどの辺りにいる者だ」
「それが……、ディルトの駅だと。あの町の医師たちの手はふさがってるから、力を貸し
てほしいと」
「わざわざここへの要請か。なにがあったというのだ」
「なんでも、列車のテロを阻止した若者が、意識はあるらしいが起き上がれないほどの重
症だとか」
それを聞いてめまいがしたが、どうにか踏みとどまった。
それでは行ってきますよと言って走り出した彼の足音が遠のいていった瞬間、自分でも
意識が追いつかないうちに後ろのほうへと倒れこんだ。
ああ、無謀すぎる若者が、もうこれ以上いないことを切に願う。このままでは、逆にわ
たしが医者にかかってしまいそうだ。
〜 とある医師の苦悩 終 〜
|