カーナル教団の総本山である大神殿のなかを行き交う信徒たちの姿は、それ特有の厳か
さを徐々に失いつつあるように見うけられる。どこかへ向かっていく、そのたびに。とも
すれば、彼らは身につけているものを落とし、または、彼ら自身の身体の一部が削られて
いくような光景を思いおこさせる。少なくとも彼の目には。
彼は、そんな幻影から目をそらすようにして、とある場所へと向かっていく。世界で最
大の数もの蔵書を誇る図書館。内部の様子は、相変わらず豪奢な雰囲気を醸し出している。
ガラス張りの壁から見える、無数の花で彩られた外の景色も健在である。移ろいゆく世情
や、失意を漂わせる信徒たちの姿などをよそに。
そこへやって来た彼はというと、そのような景色など目に入っていない様子であり、踏
み鳴らすというほどではないが早足で書棚のほうへと歩いていく。とにもかくにも本を読
みたいといった風体だ。
まず初めに向かったのは、魔女に関する文献が並べられている箇所である。かつては聖
女と呼ばれていた彼女について書かれている書物。真っ先に彼の目に飛びこんで来たのは、
真新しい書類とじ。題目には『魔女の娘』となっている。荒々しいというほどではないが、
素早い動作でそれを手にとる彼。そこには、魔女と呼ばれた彼女の娘、セレアについて書
かれていた。
カーナルの加護によって授けられたとされる、神の力によって、あろうことか祭壇を血
で穢し、信徒のひとりを惨殺した聖女。刑に処しようにも、現在、彼女は行方をくらませ
ているため不可能なのだと。人々が寄せていた思慕の情は反転するように憎悪へと変わっ
ていき、彼女は魔女と呼ばれるようになったのだということも。
そんな魔女にも娘がいたことがついこのごろ分かった。名をセレアという。ただし、あ
くまで本人の証言であり、本名であるのかは不明。魔女の娘の名は住民票にも載っていな
い。それでも、彼女が魔女の娘であることは、遺伝子の検査によって確定されている。さ
て、そんな彼女、セレアであるが、現在はここ――カーナル教団の総本山である大神殿の
地下に位置する牢に幽閉している。魔女の代わりに、罪人として捕らえたのだ。
その書類とじに記されている、大まかな内容は前述のとおりである。最近になって書き
足されたと思われる筆跡によると、魔女の娘は近々火刑に処されるとのことだ。
彼は、ここまで読むと、空気が抜けたような音をたてながらそれ閉じて、もとの書棚へ
と押しやるようにして戻す。粗末な内容であったとまでは思っていないようであるが、目
新しいことが記述されていたわけでもないようだ。
それとなく外の景色を見やる彼。正午はとうに過ぎているが、空はまだ青かった。
それからというもの、様々な本を手当たり次第に読んでいく彼。
しかし、どのようなものを読んでいるときであっても表情の変化にはとぼしかった。彼
には、文字の羅列にしか見えていないようでさえあった。もちろん、どれに対しても全く
心に響いていないことはないであろう。
ひとまず彼の目をひいた本といえば、物語性のあるものがほとんどである。大抵の場合
は王子と姫の設定を原型としているものであるとの説明がつく。はたまた勇者と姫、騎士
と姫などが挙げられるが、これらともなると対等な関係であることが難しくなり、波乱の
要素もはらんでくる。牢番と姫なんてものはさすがにないようだ。
彼が手にしたそれらは、粗筋だけでいえば、とり立てて斬新でも突飛でもない印象であ
る。部分だけを読めば、理解の範ちゅうを超えた展開もあるのかもしれないが、それさえ
も予定調和であるかのように現実味を帯びているものであった。虚構であっても、さらに
虚構を重ね合わせるとたちまち実像に見えてくる理屈であろうか。
次いで、彼の目にとまったのは推理小説であった。これも例にもれず、大抵の場合は主
人公が探偵の役である。ほか、事を起こした犯人とその被害者。探偵の助手のような存在
もいる。実は、犯人はその助手であったというもの。あれこれと意見を交し合っていた者
からすれば、その相手が犯人であるとは夢にも思わないものであるのかもしれない。その
辺りが、彼にとっては感慨に浸るほどでの展開であったようだ。
彼の視界に、さらに一冊の本が飛びこんでくる。本にしてはどことなく不自然な形状の
もの。最後の幾頁かが、だれかの手によって抜き取られていた。読むことができる頁に目
を通してみる彼。
舞台は廃れた研究施設のような建物のなかであり、主な登場人物はふたり。彼らは捕ら
われの身であり、外に出ることはできない。ひとりは幾らか自由に動きまわれるが、もう
ひとりは全くといっていいほど動くことができない状態である。ここを出るべきだ、ふた
りは示し合わせたわけではないが、心のどこかで同時にそう思っていた。しかしながら、
武器を持った見張りがいる。動けるほうがひとりでならともかくとして、ふたり一緒にと
なると難しい。たとえ脱出できたとしても、外は敵だらけであり、逃げきれる確率は極め
て低い状況だ。そのことで、ふたりはしばらく離れて思い悩んでいた。時はそんな彼らの
逡巡を待ってくれるはずもなく刻々と進んでいき、過ぎていけば過ぎていくほどますます
不利に追いこまれるのだ。やがて、意を決したように、ふたりは手をとり合う。さあ、彼
らが行動を起こした。やはりというべきか、ここで彼らに魔の手が伸びる。
――というところで頁は途切れていた。これでは結末を知るすべはない。彼は気抜けし
た様子で、その本を書棚に戻す。
再び外の景色を見やる彼。空は先ほどよりくすんだ色をしており、夕刻が近いことを告
げているかのようである。
彼はここではたと思い出す。早くセレアのもとへ戻らなければと――。
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