+. Page 005 | 前編:魔女の娘 .+
 いつからだっただろうか、当の魔女と呼ばれし者こそがおとしいれられたのではないだ
ろうかという話になったのは。神殿のように光がじゅうぶんでないこの場所で、牢番であ
る彼は、魔女の娘であるセレアと、鉄格子をはさんで向かいあっていた。
 きっかけは、彼の、こんなたわいない問いかけからであったものと思われる。
「わざとなんでしょう?」
「ん?」
 彼の発する言葉の響きに、気に入るところがあったのか、楽しげに応じる彼女。
「あなたがこうして捕らえられていることですよ。旅先で敢えて目だつような行動をとり、
教団の者たちに、かの魔女の娘であると認識させたといったところでしょう」
「ふふ。あなたって、本当におもしろい想像をするのね」
「……あなたほどではございませんがね。ああ、言い忘れてましたが、盗聴器のようなも
のは仕掛けられておりませんので、思う存分、なんでも話して構いませんよ」
「そうみたいね。だけど、どこに耳があるかは分からないんじゃない? 人以外の存在な
ら、この場にいなくても、会話を聞くことぐらいできるかもしれないでしょう。例えば、
カーナル様なんていちばんの対象ね」
「ええ、その感覚は分からなくもありません。どこにだれの目があるやもしれないとは常
々考えてましたから。しかし、カーナル神が見聞きしていたとしても、不都合が生じると
も思えません。わたくしどもの会話など、ささいなこととして流すでしょうし」
「あら。本山に勤めている神官さんにしては、ずいぶんと客観的なのね」
「カーナル神のことは嫌いではありませんが、肉体に縛られてるうえに苦行にさらされて
もなお輝きを維持しようとする人間のほうが、好感が持てるのは確かです」
「そうね。わたしも、敬うなら人間のほうにこそって、根拠もなく思ってたことがあった
けど、そう言われてみると納得だわ」
 大げさなほどにうなずく彼女を見やった後、彼ははっとしたように、
「……失礼、しゃべりすぎました」
「しゃべるのはいいことよ。それじゃ、わたしも遠慮なく話させてもらうわね」
 そして、そう前置きする彼女に、遠慮なんて初めからしていないだろうという意味の言
葉を飲みこんだ様子で、次の言葉を待つ。
「まずさっきのことから。この神殿のなかに入りたかったのは本当だけど、わたしは特に
なにかをしたわけでもなくて、教団の人たちがやってきたのは突然のことだったわよ」
「なぜそのようなことをお思いになったのです? 一般の者が神殿の内部に進入する事態
など、こうなる以外にありえないという予想がつかないわけでもないでしょうに」
「知りたかったのよ。母が本当に信徒の命を奪ったのか、そうだったとして、どんな経緯
だったのかをね。そのためには、どうなろうとも神殿のなかに入ることが先決だったの」
 そう告げられて、目を大きく開く彼。彼にしては、世界の終末に直面したかのような表
情である。当の彼女はというと、顔色ひとつ変わっていない。
「魔女騒ぎが、わたしの住んでる所まで届いてたわよ。母ってば、よほどの影響力があっ
たのね。まあ、あらゆるものの質を変えられる力というと、神技のなかでも強力そうだか
ら、それも無理なからぬことよね」
 そして、彼の声にならない疑問に答えるかのようにつけ加えた。
「……そこまで知ってたのですか。力を持つものの立場からすると、家族だからとはいえ、
口外するには抵抗があるものだと思っておりましたが」
「わたしも直接聞かされたわけではないけど、ほら、母ってば隠し事が上手なほうではな
いから」
「そのようですね」
「もともと目だつからだということもあるわね。母のちょっとした言動でも、周囲からす
ると、聖女のそれであったり、魔女のそれであるようであったりするんじゃないかしら」
「なるほど。それでご自身の母親が魔女などと呼ばれてても落ち着いていられたというこ
とですね」
 他愛のないような疑問が、彼の口から新たに流れ出る。
「それもあるけど、あの母だもの。普段は人格者だけど、精力ゆえに、なにかとんでもな
いことをやらかしたとしても不思議ではないわね」
「なんといいますか……信用のないかたなんですね」
「ああ、それは違うわよ。母だってただの人間には違いないもの。そういう意味でも、絶
対に過ちを起こさないなんて言いきれないでしょう。それに、母がどんな嫌疑を掛けられ
て、そして実際になにかを犯してたとしても、わたしの母に対する気持ちは変わらないっ
てことよ」
 どこまでもまっすぐと彼を見つめている彼女。彼のほうも、なにを思っているわけでも
なさそうだが、釘付けにされたかのように、ただただ彼女を眺めている。まもなくして、
再び彼女のほうから話しだす。
「ねえ、やっぱりあなたも母のことに明るいほうかしら。かなり近い位置にいたなんてこ
ともあるのではなくて?」
「いいえ。わたくしには、指先さえ届かないほど遠いお方です」
「そう? あなたって口は固そうだし、約束をたがえることもなさそうだし、非道徳なこ
とをよしとするようなことはないでしょう。そういう意味でも、母とは縁がありそうだと
思ったんだけど。近い位置にいたか否かは別としても、あなたのことを知ってたら、話し
かけるぐらいのことはしたはずね」
 彼女は、ひとしきり語り終えると、うんうんと、ひとりで納得している。
「それはそれは……光栄なことです。わたくしのことはともかくとして、確かに、彼女の
部下のかたは総じてそのようでしたね。もちろん、常にそうだったかと問われれば、それ
は疑問ですが」
「そうかしら。あの母のもとに就くなんて、よほどの忍耐の持ち主だと思うけど。もちろ
ん、母のほうでもとりまとめてたでしょうけど」
「百名近くいたんです。そうなると、どれほどの統率力があったとしても、長期にわたっ
て秩序を保ちつづけるなど無理なことでございましょう」
 かく言う彼はにべもない。彼女は、彼をまじまじと見つめていると、なにかに気がつい
たようで、
「あ、わかった。あなたは、母の部下が怪しいとにらんでるのね」
「……そうなりますね。あの手合は陰湿な野心家ですから。彼ら自身がその地位に就くた
めに、彼女をおとしいれたとも考えられます」
 こころなしか、彼の語気がますます強まってきた。
「結果はどうあれ、母にとってはそれでよかった気がするの。そのぐらいの熱意がないと、
母に付いてくことはおろか、対等な会話さえ成立させるのが難しそうだもの。母のほうも、
あくが強いぐらいの人たちじゃないと物足りなかったと思うわ」
 彼女のほうも、彼の言葉におくした様子はなく、相変わらずな調子で受け答えた。
「そういえば、母の部下の人たちは無事なのかしら?」
「……はい。全員なにごともなく今の業務に就いておりますよ。血まみれだったという遺
体は、今でもだれのものか特定されておりませんので、内部でも把握されていなかった新
人のものと思われます」
「そう……。わたしの母ながら、つくづく謎な人ね」
「お役に立てず、申し訳ございません」
「謝らなくていいわよ。こうして話してみるだけで整理がついたのだから、お礼を言いた
いぐらいだもの」
「それはよかったです。……ところで、ほかに話したいことはございませんか? 故意に
とらえられた理由はほかにもあるとお見受けしましたが」
「あら、そう見える? 謎の組織から派遣された諜報員みたいだとか、地上の様子を見に
来た天使みたいだとか?」
 ちなみに彼女、そう尋ねられてますます楽しそうだ。
「まあ、無理に聞こうとは思いません」
「いいの? もしかすると、世界的に重要なことが隠されてるかもかもしれないわよ」
「ええ。そうだとしても、わたくしの任務はただの牢番。それ以外のことに干渉するつも
りもございませんし、聞き及んだところで、なにをどうするわけでもございませんゆえ」
「それじゃあ話さないでおくわね。その代わり……」
 彼女は、そこまで言いかけると、鉄格子のすき間から手を差し出し、
「手をとってもらえないかしら?」
 不意にそう願い出る。意図を把握していないながらも、緩やかな動作で彼女の手をとる
彼。ふたりが、初めて触れあった瞬間。
「ああ、やっぱり。見てたときからもしかしてと思ってたけど、皮膚の感覚がぴったりと
いうか、溶け合う感じがするわ。まるで自分の肌に触れてるみたいに」
「……はい。なんだか、境界が分からなくなりそうです。なぜでしょうね。家族とでさえ、
このような感覚は味わったことがないというのに」
 行為そのものに大きな意味があるわけでもないのだろう。それでも、彼らは、どちらと
も手を離す様子もなく、いつまでとなくそうしていた。静かで、それでいて熱烈な光が射
すような余韻。
 やがて、彼は、さらに彼女の手を柔らかく握り、自身のほうへ引き寄せようとするが、
鉄格子の幅がそれを阻む。辺りも薄暗いままであり、これでは華やかな舞踏会であるどこ
ろか、満足に踊ることすらできない。
 とらわれし者と、その牢の番人。互いの手を触りあうことのみ許された、異質なもの同
士の彼と彼女。そんなふたりが、指先さえも触れあうことがかなわない者たちを差し置い
て、これ以上のこと求めるのは、ぜいたくであるということになるのだろうか――。

 翌日。場所は打って変わって地上、神殿の内部に構える大会議室。一般に美しいとされ
る城などもかすんでしまいそうなほどに華やかな装飾が施された、厳かさの漂う空間。高
位の神官たち、そして彼もいる。玉座には、険しい顔つきの教皇が座しており、なにか不
穏なことを告げそうな雰囲気が漂う。
 会議の主な内容は承知であるが、彼や、ほかの神官たちは、あくまでも落ち着きを払っ
た様子で、告げられる言葉を待つ。まもなくして、教皇が口をひらくと、
「みなに再び集まってもらったのはほかでもない。現在、地下の牢に捕らえてる、魔女の
娘、セレアの処遇についてだ」
 平静を装ってはいるが、次々と息をのむ参加者たち。
「結論から申す。――かの者を、火あぶりの刑に処す」
 彼らは、身体から魂が抜けたかのようにうつろへと変貌し、この室内だけが無重力であ
るかのような状態へとおちいっていった。
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