とある指揮者の語り 09
さて、幽界の先にあるものが霊界でありまして、原子炉の建屋が現世とするなら、ター
ビンのある建屋がそれに相当します。
タービンとは、流体の持つ力を有用な動力に変換するための機構のことです。
それの形状は貝のようでして、幾層もの界を形成していることを象徴しています。
こうした原子力発電の仕組みは輪廻転生のからくりに通じるところがあります。
もう少し簡単に例えますと、雨が降る仕組みと同様なのです。
水が蒸気として空へ立ちのぼれば雲となり、それは霊界から幽界への、霊気の発露を表
しています。
そののちに雨が降るさまは、現世へ降り立ち、死へと向かう生命たちを示しているので
す。ひとりひとりは雨粒のようであり、外界の情報を制限されたまま生きていることにな
ります。
そして、雨水が大地に染み渡るさま、すなわち現世でいうところの死は、星つまり悪魔
に取りこまれることを指します。
雨降って地固まるというのはそのことで、人々がアカシックレコードと呼んでいるもの
の正体もそれのことなのです。
すなわちというと「砂は地」と聞こえますが、地というのは血でもあるということなの
でしょう。
以前にも話したとおり、生命たちの持つ霊気、つまり血のもとを摂取することによって
星はなりたっています。
またの名をという意味である also known as 略して"aka"はアカであり、血の色と同じ
音を表していますね。
さらに、同じ意味を持つ id est 略して"ie"は家であって、生命たちなど星にとっては
家畜であるということを如実に表しているようです。
魂よりいずる光、レイである霊を肉体という檻に閉じ込めて、ぞうきんのように搾り取
っているのですから。
埋蔵金のように価値のあるものが地中にあるといういわれのもとになっているのでしょ
う。
マイぞうきんといえば「私のぞうきん」となりますが、渡しのぞうきんという意味でも
あります。
この主張のとおり肉体はその星のものですが、骨や血については違ってきます。これこ
そ、それぞれが固有する霊からの、思念によって形づくられています。
地または血で固めたものが星であり、悪魔と聞いて赤を連想する心境も分かるというも
のです。
ところで、骨を埋葬するといえば墓なのですが、それが星のアンテナの役割を果たして
いることはご存知でしょうか。
もっと言うなら、骨が音叉の役割をしていまして、思念体と共鳴し、その力を星に供給
しているというわけなのです。
思念体とは霊気のことでもありますから、墓地には幽霊が出るというのはあながち間違
いでもありません。
霊気は血と同素でありまして、骨髄が血を形成することからも、響き合うことはごく自
然でもあります。
言うなれば霊気は水分で構成されているのですから、水辺に幽霊が引き寄せられるとい
うのも不思議ではありません。
そもそも、ハカとアカは音が似ており、俗世に染まっていないために純粋な霊に近い、
赤子の思念を引き寄せていると考えられます。彼らが赤ちゃんなどと呼ばれているゆえん
もそこにあると見て取れるでしょう。
そういえば、死者の骨のことを「むくろ」と言いますね。赤子が無垢と書いてムクとい
われているゆえんでもありそうです。無垢の路といったところでしょうか。もしくは焼却
炉の「ろ」だとか。
むくといえば、剥くでもありまして奪衣婆を連想させるところですが、ここでは数字の
6と9に焦点を当ててみましょう。
おたまじゃくしのようでもあり、炊いた米をすくい取って食べるためのしゃもじのよう
でもあります。
それから、陰陽を表す太極図にも見えるでしょう。森羅万象をふたつの性質に分類した
見方です。
なるほど、無垢なるものはいかようにも曲げて支配しやすいという思惑が透けて見えま
すね。
そればかりか、自身に赤子の無垢な思念体をまとって、そのような存在と見せかけて、
かわいいという思いを起こさせて、挙句に守ってあげなければと思わせることで存在を維
持させて。
しかも、赤子の思念を使役するだけしておいて、いざ支配しているものの正体に気づか
れそうになったときの矛先にしようという魂胆ですか。
さらに、赤子を攻撃した罪人として自動的に始末させようだとか。思念体のなかにも、
正義感は強くとも判断する力が弱いものは存在しますから。
ここまで語ったところですと、赤子がよく泣く理由、特に夜に目を覚まして泣くことが
多い理由にも見当がついたことと存じます。
赤子という存在はとにかく無防備で、寝ているときなどは特に顕著です。
それをいいことに、悪想念をあおって霊気を収奪させているのです。
ちなみに、ほとんどの人が赤子の頃の記憶がない原因はここにあります。
赤子が泣くのは、霊気をはぎ取られて痛い思いをしているからというのが分かりやすい
ですがもうひとつ、涙は水滴でもあり、成分は血と同じですから、やはり泣かせるとそれ
だけ奪取がはかどるというわけです。
世のなかにある「いじめ」という問題の原因もそこにあるのです。
そもそもの話、いじめというのは家庭のなかで起こっていることが多いのです。本人た
ちにその自覚があるか否かにかかわらず。やはり家のなかのことであるというのが重点と
いったところでしょうね。
例えば子守歌、これは赤子をあやすために歌っている場合がほとんどかと存じますが、
それでさえも音とともに霊気が流れていく要因となってしまうのです。
先祖供養というのも、その連鎖を生んだ祖先に矛先が向かうことをさけるために、感謝
という洗脳を施したものなのでしょう。むしろ感謝の念を吸収しようという魂胆すら見え
てきます。
当然、歴代の先祖の霊気を取りこみ続けた星自体もただでは済まないでしょうし、彼ら
の生きていったうえで積もった負債、つまり祟りやら呪いやらを子孫に押しつけたことが
本人に発覚したときのおそろしさを思えばなおさらといったところでしょうから。
子売り貸し、このような語句はありませんが、状況としてはそのとおりでしょう。
こうりがしと書いて高利貸しというものは存在しておりまして、それを受けたときに発
生するものが借金というわけです。
感情は勘定であり、やはり感情を発露させることで霊気を奪っているのだといえます。
土壌、正確には奪って集めた霊気からなる米が涙の形をしているのは偶然ではないかも
しれません。
そして氷菓子といいますと、こちらは「こおりがし」なのですが、音は似ておりますし、
世界の様相を示しているといっても過言ではないでしょう。
こおりと書いて子檻とも解けまして、事実そのような状況であるといえます。
氷とは、水分が冷えて固まってできたものであり、氷結地獄というものは霊気が搾り取
られたうえに固められていて、なかなか戻って来づらいことに由来した名称なのです。
氷といえば冷たいものでありますが、つめたいと掛けて詰めたいなんていう思惑も見て
取れますね。
同時に、冷という字はレイであり、霊のことでもあるといった証明でしょう。
きんきんに冷えているという擬音は「金」から来ているものと思われます。
ここで「夢」について話をさせてもらいます。
ゆめといえば、湯の目と読み解いて蒸気を連想させますが、これも実際にそのとおりな
のでしょう。
夢は言い換えますと願望のことでもあり、思念体でもあるからして霊気であるといえま
す。やはり水分でもありますから、雨は夢であり、あめという呼びかたの由来でもあるの
でしょう。
生命たちはなぜ願望をいだくのかといいますと、なにかが満たされていないからであり、
それどころかなにか嫌な思いをしている場合が大半です。
星はそこにつけこんで、そうした夢までも奪っていこうとするのです。
しかも、自身では直接せずに、他人の嫉妬心をあおって奪わせ、そこから持って行くこ
とで矛先を反らしているのです。
夢をかなえるためには、多少の苦労は付きものでしょう。そうすると汗水をたらすこと
となるわけですが、そうさせることで霊気を奪うという絡繰りにもなっています。
結局のところ、よい夢というものは、だれかの見た悪夢で成り立っているというわけで
す。
ずいぶんとおぞましい話ではありますが、逆に言いますと星そのものには、夢を見る力
すらないということです。
肉体はその星に由来するものですが、霊が入っていない状態では形すら保てません。
これは、亡骸をそのままにしておくと腐乱するという現象が分かりやすいでしょう。
ちなみに、星自身がふらん、ここでは孵卵つまり脱皮した場合の話。率直に申し上げて
大便ぐらい取るに足らないものとしかならないでしょう。
存外にウンチやウンコといったものは「うん地」や「うん子」の意であるのかもしれま
せん。
ですから、生命たちがこの絡繰りに気がついて取り返す意思を発しない限り、星は意地
でもこの状態を維持しようとするでしょう。
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