とある指揮者の語り 07
ときに、母親は女児よりも男児をかわいがるといわれているゆえんをご存知でしょうか。
当然ですが、母親の肉体は女性であります。それをまとって生まれた時点で、自身は女
であるという固定観念が発生します。魂に性別はないということを忘れてしまうのです。
子を産むぐらいの年齢となった頃には、なおさらその思いが凝り固まるでしょう。
つまり、なくしたと思いこんでいる自身の男性性を求め、現存している男性に投影する
かたちで恋をするようになるのです。
その対象は、自身の息子にも当てはまります。恋とは特定の感情に限ったわけではなく、
親愛の情というものはすべて、かたちを変えた恋愛ということになります。自身の子宮か
ら生まれてきたとなると、なおさらその感情は強まることでしょうね。
母親の寵愛を受けて育った息子は、女性に対してはなにをしても許されるという認識を
しやすくなります。
または、溺愛されるあまりに恐怖すら感じて、女性そのものに嫌悪する場合もあります。
どちらにしても、そのことによって生じやすくなるのが女性への暴力的な衝動、それは
性的な部分で現象化しやすいのです。
例外として、親の好みでなかった場合や、兄弟のうち一方のみを気に入ったなどといっ
たときには注がないかもしれませんが。
いずれにしても、そのようななかで健全な女性性を育むことは難しいでしょう。ただで
さえ男性という肉体に縛られて見えづらくされているのですから。そして現存している女
性に投影するかたちで恋をするようになるというわけです。
ひとまず、この仕組みから成っているものが増殖というわけなのです。
さて、こちらも当然といえばそうなのですが、赤子という生き物は、ひとりではなにも
できません。そのようにつくられているというほうが正しいのですが。
それで、赤子は自身の世話をしてくれるもの、おもに親に対して無意識に感謝の念をさ
さげ、聖人のような印象さえいだくのでしょう。
その時点で、赤子の霊気、簡素な表現をするならば光でしょうか、それはその親のもの
となってしまいます。赤子ならなおさら、まだへその緒でつながっている感覚が残ってい
るため、自身と母親との区別などないに等しいのですから。
七つまでは神のうちという言葉もございまして、これは生まれて間もない子どもはまだ
現世の通念などに染まっておらず、魂の本体ともあまり分断されていないため、光にあふ
れています。
そうなると、のどから手が出るほど欲しくなることでしょう。しかもほぼ無意識のうち
になのでなおさら抗いようがありません。子がかわいいといういわれもそこから来ている
のでしょう。産みの苦しみが壮絶なものだとしても、また産もうとするのもそのためでし
ょう。
また、赤子が亡くなりやすい本当の理由もそこにあり、親とはまた別の外側から引っぱ
られていることもあり、神に呼ばれたからというのはこじつけなのです。
ともすれば、子から得たその霊気は、その親の思うがままになるということなのです。
自分で使うことができるばかりか、第三者に付けることも可能ということになるのです。
赤子が女児である場合は特に実りが大きく、収穫といえるのでしょうから。
子どもたちが兄弟姉妹であったとして、彼らからやってきた霊気の配分まで決定するこ
とができたりもするのです。
まさに、楽園と呼ばれた場所でのイヴの反映であり、そうすることによって半永久的に
繁栄させているのです。
特に、子どもたちの組み合わせが男女である場合、男児をかわいがっている母親によっ
て、女児の霊気がそちらのほうに付きやすいということになります。
一姫二太郎といわれはじめた魂胆はここにあるのでしょう。まず女児を産み、次に男児
を産むと、霊気を移すには効率がいいことになりますから。
家族だと顔が似るという最大の要因であるのでしょう。男児は母親に、女児は父親に似
やすいといった理由にも納得がいきます。
ちなみに、自身が生んだ男児が気に入らないなどといった場合、その霊気を移す対象は
別のところとなります。目に映りやすく分かりやすい象徴、有名人といったところでしょ
うか。応援しているとなると必然とそうなるでしょう。言い換えれば力を分け与えること
ですもの。
なぜそのような仕組みとなっているのかといいますと、生まれたのが女性である場合は、
幼子のうちに霊気の大半を奪っておかなければ、現世の仕組みに気づかれる要因になるか
らといったところでしょう。
もっと根深い理由としましては、女性に恋をさせる必要があるからというものがござい
ましょう。そして子を産ませるためです。特に女性の霊気を多くまとった男性、俗にいう
イケメンであると反応しやすいですし。
失ったものを求める衝動を外側に向けさせるといったものです。まさか自身の親に原因
があるとは思いもしないでしょうから。親に感謝をしましょうといった教えがあるのも、
そこに気づかせないためのものでしょうね。
もし親に愛されていないと感じるならば、それはある意味で正しい判断だといえるでし
ょう。愛というものが慈悲ではなく、いとしいといわれているように、糸で操るような支
配性からくるものだとするならば。
女の敵は女という言葉がございますが、この辺りを軸に派生したものなのでしょう。
このようなことをして、両親は良心が痛まないのかといいますと、そうであってそうで
はないと答えるほかありません。
本人たちも、意識では気づかないところでそのようにさせられているという点では呵責
を覚えにくいといえます。
しかし、無意識の領域では罪悪感が溜まっていることでしょう。そこに付けこむことで
そうさせられているともいえますが。
それとは別に、親もかつては子であり、ある種の支配をされた側でもあります。その傷
を癒すため、今度は支配する側にまわるために子を産むという悪循環にも要因があるでし
ょう。
そもそも、星や宇宙がそのような象徴をつくりあげており、簡単にはその催眠誘導から
逃れられないようにされているのです。
このようにして、生まれては産んでという循環がなされているわけです。
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