わたしは空がいい、自由に飛びまわれるの。ならば海はぼくが背負おう。
わたしは昼、流れる雲と一緒に遊ぶの。ならばぼくは夜、星の守り人。
きみが光で、ぼくは――。
きっかけはなにであったか。
そう、はじまりはどのようにして起こったかということを論じること、それすなわち文
字どおりの切りかかりにかかってくるともいえる。
世界についていえば、光と闇に分断されたことによって誕生したものであろう。はじめ
はこうした抽象的な概念から起こったものであると思われる。
こうした「光」や「闇」といったようなものも、のちにそう呼ばれることとなった名に
すぎない。なにを用いてそう呼ばれるようになったかといえば、当然のことであるだろう
が、言葉である。
言の葉とはコトの刃であるといえよう。存外、ふたつにひき裂いたものといえばそれで
あるだろう。
光と闇であるといえば、これもまた人の観念であるところの善と悪を思わせるだろうが、
そうではない。互いが互いに鏡に映し出された姿であるといったところだ。光にとって闇
は闇でしかないように、闇にとっては自身が光であって、光は闇として映る。どちらがど
ちらかという問いは意味をなさない。
次に、このように光と闇を区別するにあたって、白や黒といった色という観念が生まれ
ることとなったのだろう。そしてさらにさまざまな色に分けられていく。数という概念も
同じ原理で生まれたものであるだろう。
ところどころに散りばめられた星というのも、つまりはそういうことなのだろう。とき
おり星くずと呼ばれていることも、もとはひとつであったものがばらばらになったのだと
いう、太古からの記憶によるものなのかもしれない。
ひとつひとつの星の檻のなかでは、天と地に分けられていると見てとれる。さらに空は
昼と夜に分けられ、地上は海や陸として分かたれる。
魂というのも、雨や雪のように幾多もの粒に分かたれ、個々の肉体をまとって、生命と
しての姿をとったもののことであるだろう。
さて、その生命体たちの住まう世界、現世と書いてウツシヨという。
ならば、その現世というものは、死後の世界と鏡合わせであるのかというと、そうでは
ない。確かに、現世とは、どこからともなく映された世界のことであるといえる。しかし
ながら鏡に映されるような対称の関係ではないのだ。
むしろ、入れ子のように幾層にも重なっていて、境遇にも格差がある。天国や地獄とい
うのはそういうことであるだろう。
逢瀬とはよくいったもので、あの世とは黄泉、つまり現世と死後の世界の境目とは、水
際のようなものを指すのだろう。眠っているときに見る夢も同様であるのだろうか。
ミカゲは、夢のなかで、暗い暗い奈落のような、井戸の底のような場所にいた。
足元の水は、かなしい音を響かせる。たちどころに黒い波をわきたたせながら。
黒い波は、手のような形に変わっていくと、動かないミカゲのもとへと寄っていき、彼
の足からのぼるようにして絡みつく。
――どうして殺したの。
聞こえてきたのは、そのような言葉だった。
――おにいちゃん。苦しい……、助けて……。
――よくもやったな。許さない。絶対に許さない。
――ねえねえ、遊ぼうよ。
ミカゲをさいなむように、次から次へと聞こえてくる言葉。しかし彼は、なおもそこか
ら動かないでいる。
――おまえも道づれだ。
そうしてミカゲがいっさいの抵抗をしないでいるその瞬間にも、彼の身体に侵食するか
のようにうねうねとのぼっていく黒い波。
――ああ、そうだな。いっしょに行こう。
そうミカゲが念を発すると、彼に絡みついていた黒は消えていく。いや、彼の身体のな
かに吸いこまれていっている。彼が黒となって、黒が彼となったのだ。
――ぎゃあああああ…………!
――おまえたちを押しのけて刈り取ってしまったその命、それに見合った働きを現世で
してみせよう。
罪悪感をあおって彼を取りこもうとしたもくろみは破られ、逆に取りこまれたようであ
る。
そのとき、ミカゲの目の前に光が射した。大きく白く光るそれはまるで太陽のよう。
ミカゲは、硬直が解けたかのように動き出して、光に向かって走る。それは彼の近くに
あるというよりも、一枚の鏡を隔てただけの距離でしかないように見えるが、走っても走
っても追いつくことができない。
――ふふ。ふふふふ……、ふふ……。
光はやがて、柔らかく暖かな波動からまたたく間にあやしい輝きへと変わっていく。
――あなたって、なにも知らないのね。
それは、誘惑しているどころか、軽蔑しているようでさえある言の音。
彼は、ぴたりと足をとめたものの、追いかけることをやめたわけでもなく。次の音を待
つかのようにその光を見すえている。
――あなたに彼らをのけさせるように働きかけたのはわたしなの。
そう告げられると彼は、おどろいた様子で目を見開く。それは、衝撃を受けているとい
うよりも、不意に告げられたことに対してのものであるようだ。
信じられないとでも言うつもりだろうか。しかしそのようなすきを与えるはずもなく。
――踊る肉片、飛び散る血。むせかえるような臭気。耳をつんざくような悲鳴。ああ、
なんという絶頂感。これこそがなににも勝る快楽だったなんて。
憎い? 憎いでしょう。許せないでしょう。残響のようにそう聞こえてきて、彼は、ど
うにか否定しようにも、惑いがあるためか、声をしぼり出すことすらできずにいる。
――血のように燃え盛る炎。世界を終末に導く大火。すべてを包みこむもの。火とはな
んて優しくてあたたかいものなのでしょう。
次から次へと告げられてくる音に、ただ黙って立ちつくすことしかできないでいる彼。
――だけど、まさかわたしまで殺されるなんて思わなかったわ。
そしてまた新たに不意を突かれるかのようにそう告げられると、彼は首を横に振る。
違う。俺は、君のことは殺していない。なあ、そこにいたのか。生きていたのか。それ
なら君も、俺と一緒に――。
そこまで言いかけて、いや、言おうとして声にならなくて、彼はただ立ちすくむ。
そうしている合間にも、音のぬしは、彼から遠ざかっていっているかのようで。
――さようなら。
最後に、呪うかのような音で告げて、光とともに徐々に姿を消していった。
うわああああああ……!
ミカゲが、自身の叫び声とともに目を覚ましたとき、次に目に映ったのは白い天井であ
った。彼が寝泊まりしている部屋のものである。
上体を起こして、隣の寝台に視線を向けると、彼の姉チカゲがいた。
彼女は、彼と同じように上体だけを起こして、なにを思うでもなく彼のほうを向いてい
る。
「……起きたか」
そして、いつもどおりの朝を迎えたといった調子で一言。ミカゲも調子を狂わされるこ
となく、ただうなずいただけであった。
「だが、今回ばかりは血をはくんじゃないかと思った」
そう言われるとミカゲは、目を丸くして瞬きを繰り返す。
「あまり叫びすぎると、のどを壊すぞ」
そしてチカゲは、それだけを言うと、ぷいと顔をそらした。
|