「うかつ者」
いかめしい形相で、どっしりと立ってそう言い放ったのは、黒い髪をした少女である。
ほのかな明かりに照らされた、夜の教会のなかという、幻想的な雰囲気にはおよそ似つか
わしくない姿だ。
その向けられた相手は、彼女と同じ黒い髪をした少年ミカゲ。この双子の姉はもとより
悪態をつくようなところがあるが、今回ばかりはそのように投げかけられるいわれはなか
った。
確か、先ほどの夕食の席では、出された料理にみんなが満足して、楽しいひとときの余
韻を残しながら、それぞれの寝床に戻ったはずだと。ここでの食料の状況を思えば、贅沢
な食事であったほうなのだ。それがかなったのも、リゼがふらりと厨房にやって来て、彼
を手伝ったからなのだが。
「うっかり見られるなど……。あれが殺りくの現場だったらどうするつもりだった」
「殺りくって……。そんなことをするわけがないだろう」
いや、死んだ動物の肉を切るというところでは、料理とて、ある意味での殺りくかもし
れないがと。ミカゲは、頭に手をやりながら反すうする。
「そんななか巻きこんだとなれば、気が狂ったとしか思えないぞ」
ミカゲは、長い息をはきながら、それは一理あるかもしれないと思う。
それにしても、この姉チカゲの物言いには、ある意味でのすがすがしさを感じていたが、
最近は安堵すら感じているかもしれないと、弟ミカゲはまたひとつ息をはいた。
「それで、リゼのことをどう思ってる?」
不意を突かれたような問いかけに、ミカゲは目を丸くする。
「ミカゲが、たったひとりに入れこむなど今までになかっただろう」
そうなのだろうか。確かに、傍からみれば、多くの時間はリゼと一緒にいるとは思う。
しかしながら、気にかけているというところでは、ここに住んでいるだれに対しても変わ
らないのだが。当のミカゲの挙動の意味を要約するとこんなところか。
主張の激しい人間と接していると、その者の感情や思惑を受けとってしまって疲れると
いう事態が、ミカゲにはしばしばある。その点でいえば、リゼは、彼にとっては程よい具
合であるのだ。だから、一緒にいるのが楽なのであろうか。
しかし、それは後付けの理由でしかない。彼はそう考える。もっと底のほうに、根幹と
なるものがあるはずだと。
「ほれたはれたというにしては、浮ついたところもないようだ」
「好きかといえばそうなんだろう。だけど――、ひとまず恋ではないだろうな」
彼女をひとりじめしたいというわけでもなく。彼女がほかの男と付き合っていると仮定
しても、嫉妬の念はわいてこない。
「ただ、離れたくないとは思うけど」
ひとりじめしたいというわけではないけれど、離れたくない。なんとも不可解な気分に
見舞われているなと、首を横に振るミカゲ。そもそも、好きであることには違いないのに、
一般的にいわれている恋の状態とは相反した心境でさえあるのだ。
どきどきしているのではなく、なにかがこみ上げてくる感覚。
燃えるような激しさではなく、波に揺られているような安らぎ。
かなしいような、うれしいような気持ち。
のまれている。おぼれている。海の藻くずとなりそうなほどに。
「そういうわりには、混乱してるどころか、落ち着いてるように見える」
「そうだな。気がせいてないことはないが、多分、これは――感激してるからなんだろう
な」
リゼと出会う前は、彼の目に映る世界は色あせており、かすんでさえいたのだという。
なにを見ても変わらない。動いてすらいない。そんな情景。
しかし、それもリゼに会ってからは、目に映るものすべてが色づいて見えるのだとも。
辺り一面が青い風景であってさえ、星よりも、なによりもきらめいて見えて。
ミカゲは、なないろでかたどられた、教会のステンドグラスを見あげながら思いをめぐ
らせていた。
次の日の昼下がり。ミカゲは厨房にて、流し台の上に置いている卵や乳製品を見つめな
がら、なにか考えをめぐらせている。牛乳やチーズ、バター、生クリームなど。今しがた
届けられたものだ。
人里から離れたこの教会では、それらを手に入ることは難しく、届けられてくる日を待
つしかないのだ。貴重なものであるといってもいい。だからこそ、どのように調理するか
は重大な事柄である。
そういえばと、ミカゲは思い出す。確か、砂糖はまだたくさんあったし、バニラエッセ
ンスだって以前に入手したものがあったはずだと。
そこで、なにを作るか決めたミカゲは、早速の準備に取り掛かる。その後は彼女をさが
しに行って。
「――リゼ。今度は、その場ですぐに食べないとだめになってしまうアイツに挑戦してみ
るつもりはないか」
不意にミカゲにそう持ちかけられたリゼは、白く輝く髪を風になびかせながら、きょと
んとした面持ちで彼を見る。次第に、どのような食べ物だろうかと考えはじめる。
「しかも、あまり急いで食べると頭に響く。難度はかなりの高さだ」
リゼはおどろきのあまり、口を大きくあける。そのような食べ物が存在するなど、およ
そ信じられないといったふうに。風にあおられた木々の葉が、がさがさと音をたてている。
すると、ミカゲはにこりと笑って、
「実はアイスクリームを作ったんだ。もうそろそろ冷え固まる頃合いだから、今からみん
なを呼びにいこうとしてたところ」
それを聞いたリゼは、ほっとしたように笑った。
この教会の住人たち全員を食卓に呼び集めて、アイスクリームを振る舞うという試みは
盛会のうちに終わった。彼らの活気は、以前よりもさらに増したようである。ただ、相変
わらず、あの彼ひとりだけがやって来なかったのだが。
その後、ミカゲとリゼは、厨房に来ていた。ミカゲが、冷凍庫をあけようとしながら、
「次は俺たちの番だ。準備はいいか?」
なぜだか神妙な顔つきでたずねると、リゼも意を決したかのような表情でうなずく。
すると、みっつ置いてあったうちふたつのそれを取り出すミカゲ。潔癖ともいえるほど
の均等さで容器に分けられたアイスクリーム。濁ったところがないほどに、白い。
そして、銀色に輝くスプーンを添えてリゼに手渡す。
「いただきます」
リゼは、アイスクリームをスプーンですくって口に運ぶと、
「おいしい」
ひとりでにそう言葉を発した。
その後も、ミカゲは、教会の周辺でだれかをさがしているようであった。彼にしては落
ち着きがない様子で。リゼを探し当てるよりは難しくないだろうが、できるだけ早く見つ
ける必要がある。
そうでなければ、手にしている容器のなかのアイスクリームが溶けてしまうのだ。今は
夏日であるのだからなおさらだ。
ようやく目的の人物の姿をとらえた彼は、安堵して彼の側へと駆け寄って名を呼ぶ。
「ルーイン」
そう呼ばれた彼が振り向いた瞬間に、彼の燃えるような赤い髪がゆらりとおどる。そし
ておどろいたかのような表情でミカゲのほうを見やる。
「これ、まだ食べてなかっただろ。作ったんだ。よかったらもらってくれ」
ミカゲがそう言って差し出したのは、先ほどから持っていた、アイスクリームの入った
容器。
すると、ルーインは、それに手を出す前に口をひらいて、
「……お前、わざわざそのためだけに来たわけじゃないだろう。用はほかにあるんじゃな
いか」
出し抜けにそうたずねた。彼も、勘は鋭いほうであるようだ。
ミカゲは、意を決したかのように息を吸いこんで、
「ルーインってさ、リゼとは特に親しい間柄なんだろう」
単刀直入にそう言われたルーインは、眉をひそめる。どうやら困惑しているようだ。
「だから、ルーインとも懇意にしたいと思ってさ。それから、好きにもなってみたいと」
いや、変な意味はなくて。あわててそう付け加えた後に続けて、
「俺のこと気に入らないならそれでいいんだけど、できれば普通に話したいなって」
頭に手をやりながらそう告げるミカゲ。
ルーインは、あきれたような、気が抜けたような、そんなため息をついた。
「……別に」
そして、それだけを言って、差し出されたものを手にすると、
「なれ合うつもりはないが、話をするぐらいならかまわない」
そう言うと、早々に教会のほうへと立ち去っていった。
ミカゲは、その後ろ姿をただ見送っていた。まだぎこちなさは残るものの、ひとまずは
仲間としての関係を築くことができたのだ。今はそれだけでじゅうぶんであった。
|