旬というにはまだ早いが、味のよい桃が採れる時期。ミカゲたちが住む教会の敷地に植
えてある桃の木にも実がなった。
ミカゲは、桃と短刀を入れた手さげかごを携えて、どこかへと向かう。行き先は、彼女
がいそうなところ。
彼女は毎度、一定の場所にいるわけではなく、かくれんぼの鬼の役にまわしたくないと
言わしめるミカゲでさえ見つけることは容易ではない。それでも、彼女は必ずどこかにい
るという確信が彼にはあった。
海原というほうがしっくりとくるほどに青々とした原っぱの、ある一点。風に揺られて
いる白く長い髪を、陽の光にさらしてきらめかせている彼女の姿。この世の光景とは思え
ないほどの鮮麗さをうかがわせ、理想郷の一端をも思わせる。
やがて、黒い影が、彼女の頭上に音もなくやってきて、
「こんにちは、リゼ」
ほほえんではいるが凛とした顔つきの、重厚な感じだがよくとおる声で彼は言う。とり
わけてひねったところのない、定型どおりのあいさつ。
彼、ミカゲは、彼女、リゼの返事を待たずして、滑りこむような動作でその隣に腰掛け
る。
リゼはこうしてひとりでどこかに出向いていることが多く、だれとも距離を詰めようと
はしないが、だれかが来ることを拒みはしない。ミカゲも、嫌がられていないことは感じ
とっているため、相も変わらず彼女をさがしにやって来るのだ。
「今日はいい桃が採れたから持ってきたんだ」
そう言って、おもむろに桃を取り出して言うミカゲ。
「どうする? 今すぐ食べるか」
「今……すぐ?」
「皮をむいてしまったら、変色も早いし、食感もすぐに落ちる。弁当のおかずよりタイミ
ングが重要だぞ」
そして、どことなく不敵な笑みで言う。リゼは一瞬おののきはしたものの、真剣そのも
のの表情で、
「た、食べる」
すると、ミカゲは、用意していたゴミ袋を広げ、短刀で桃の皮をむき出す。手に力は入
れていないが、切りこみは大胆に。皮を途切れさせることなく、川のようなさらさらとし
や流れでむいていく。むき終えた後の桃でも、ほとんどもとの形のままで。それを紙皿に
置き、意識せずとも等分に切り分ける。
「できたよ。ほら」
「いただきます……!」
ミカゲが切り終えた桃を差し出すと、リゼは覚悟を決めたかのように手にとって、
「……おいしい」
口に運ぶと、ごく自然にそう発した。
そして、二切れめを食べようとしたとき、彼のほうに目をやり、
「ミカゲくん、食べないの?」
「俺はここに来る前に食べたからいいんだ」
「でも、いっしょに食べたいな……なんて……」
すると、ミカゲは、ぱちりと目をひらく。それからすぐさまほほえむと、桃をつまんで
口へ運んだ。
「ミカゲくん」
桃を食べ終えた頃。リゼはなにげなく彼の名を呼ぶ。
「うん。なに」
「あの……、ええと……」
いざ応答されて口ごもるリゼ。
ミカゲは、口をはさむことなく、ただほほえみながら次の言葉を待っている。それは、
相手に不快を与えないためにも、その相手の言わんとしていることを先回りして述べない
という、これまでにつちかってきた消極的な理由からではない。あくまでも彼の自発性に
よるものだった。
沈黙から少しの時間が経った頃に、
「そういえばさ、初めて会ったときもこんな調子だったな。あのときもなにか言いかけて
た」
ミカゲのほうから、間合いを引きとるようにして切り出す。彼は、心の底から懐かしそ
うに言った。
「あ……の、あれは……」
リゼは、次の取っ掛かりを与えられると、口ごもりながらも答えをしぼり出そうとする。
「用があったんじゃないけど、つい呼んでしまったの。それで、自分でもびっくりして、
そのまま飛び出しちゃって……」
「そうか。そういうものだよな」
この青空よりも透きとおるような笑い声をあげながら言うミカゲ。
思いがけないところで、さらりと風が吹き、リゼの長い髪が、彼女の顔の半分を覆い、片
目だけをのぞかせる。そういえば出会ったときもこんな姿だったなと、ミカゲは懐かしそう
に目を細めた。
「そうだ、リゼ」
ミカゲはまたなにかを思い出したかのように、持ち運んでいた手さげかごからなにかを取
り出す。ぶどうの花をかたどった、女物の髪飾り。ほかの子どもたちに、作りかたを教えて
ほしいとたのまれたときに、手本として作ってみせたものである。
ミカゲは、流れるような動作でリゼの目の前にやって来ると、これもまた自然な動きで彼
女の髪に触れ、隠されていたもう片方の目をあらわにする。リゼは警戒した様子もなく、さ
れるがままになっている。
そして、ミカゲが、それをリゼの髪にかざったところで、
「顔に掛かったら邪魔だろう。それに、顔はよく見えるほうがいい。ひとまず、それを着け
ててくれ。ついでに、よかったらもらってやってくれ」
すると、ぽかりとした様子のリゼ。
ミカゲは、はっとして自身の行動をかえりみる。口より先に手が出るというような傾向に
あるが、言い忘れていたということが大半である。あまつさえ、伝えたつもりになっている
ことがほとんどなのだ。それよりも、いきなり触れられることに抵抗がある者とているので
はないか。男から女にともなるとなおさらかもしれないと。
リゼは放心としているものの、それは感激しているためであるようだ。
「あ、あの…………、ありがとう」
彼女はなにか言葉に迷っていたようで、ようやくそれだけを述べることができた。
ところでこの彼女、とある国と国の混血児なのである。それを聞いたミカゲは、どうりで
きれいだと思ったなどといっていたものだから、リゼ当人は完全に意表を突かれていた。彼
ならばそれほど悪い反応を示さないだろう。そんな確信を持っていたからこそ打ち明けるこ
とができたのだが、それにしても好意的であると。合いの子であるというだけでいじめられ
ていたことがあったため、あまりの差におどろきを禁じえなかったのだろう。
さらに、ミカゲはというと、
「ハーフって、なんとなく格好いいって思ってたんだ。それに、それぞれの特色がまざりあ
って織りなされた存在こそ美しい。もはや奇跡の結晶だな」
なんて言っていたものだから、リゼはもはや否定をあきらめることにしたものだ。
おまけに、彼女を初めて見たときの印象を太陽みたいな人などと称するものだから、当の
リゼは、どのようなことを聞かされてもそれなりに平然としていられる自信があったにもか
かわらず、へきえきとさせられた。そのときの顔つきは、軽蔑を表しているといっても差し
支えがないほどであった。自身のことを根暗だと思っているからであるのだろう。
それで、ミカゲを初めて見たときの印象を、リゼいわく天使なのだという。今度は彼があ
っけにとられることとなった。髪は漆黒であり、瞳は暗い色をしている自身の、どこをどう
見たらそうなるのだと。双子であることのみならず、この容貌も手伝ってか、不吉なものと
して見なされた思い出しかなかった。死神だとさえ言われたことがあるぐらいなのだ。
ひとしきり話し終えたミカゲとリゼは、しばらくの間、互いが互いをにらんでいるかのよ
うに、じっと見つめあっていた。
「なあ、ミカゲ」
日も暮れかけて、教会に戻ってくると、彼はふと呼びとめられる。彼が振り向いた先にい
るのは、年端はまだ十にも届かない子どもたちが数人。
「リゼのところに行ってきたの?」
「そうだよ」
「リゼ、どんな人だった?」
どんなかとたずねられようにも、たわいない話をしていただけであり、これといった情報
らしいものはない。人となりを説明するにも、ひとことでは表しきれそうもなかった。
「うーん……、かわいい人……だな」
適切な言葉をさがし出してようやく述べたのがそれであった。
そして、彼らの思っていることを察するやいなや、
「リゼと話してみたいなら、話しかけてみるといい」
そう勧められた彼らは一様に顔を見合わせる。それからミカゲのほうに向きなおって、
「ぼくたち、話に行ってもいいのかな」
と、おずおずとした様子の彼らに、ミカゲは一息ついて言う。
「それなら今度、君らも一緒に話していいかどうか聞いてみるよ」
|