酒場の多いクロヴィネアの都市部では、夜がふけても、窓辺からもれる明かりが消える
ことはない。
しかし、明かりはまぶしいというほどではなく、空に浮かぶ幾多の星は煌々として見え
る。
「わあ、きれいね」
と、少女の声がしたのは、宿泊施設の一室からである。
「都会のようなきらびやかさはないけど、こうしてくっきりとお星様が見えるのもいいわ
ね」
そして、窓辺から空を眺めているままで、だれかに問いかけるような調子で述べる。
そのとき、少女よりやや後ろにいた彼が、緩やかな動作でやってきて、彼女にならうよ
うにして空を見あげる。
「うん、きれいだ。だけど……」
静かに、同意の言葉を口にする彼。一旦区切った後に続くのは、
「だれの目にもとまらずにひっそりとしてたいこともあるだろうに、こうして浮き彫りに
されるのも幸せじゃないだろうなって……」
そんな彼の言葉に、小首を傾げる彼女。
それからの、つかの間の緩やかな沈黙の後。彼は、彼女のほうへと向きなおり、
「ところで、リーナ。最近、絵日記のほうは書いてる?」
素朴な事柄を口にするかのように問いかける。
「あ、そういえば書いてなかった」
彼女、リーナは、あっけらかんとした様子でそう答える。
「旅に出てからはいろいろとありすぎて、書くタイミングもなかったし、強烈すぎて書き
留めるまでもなかったといったところね」
そして、息をつくように述べた。
「そっか」
彼は、相変わらず静かに、それでいて深みのある声で返事をした。
不意に、彼は、緩やかな動作で、再び窓辺から外へと目をやる。
戸外は、なおも、窓辺からもれる明かりで照らされていた。それも、先ほどよりも明る
みを増しているようだ。揺らめいて見えるほどに美しい燭光のように。
それとは裏腹に、辺りは、人々のどよめく声に包まれている。
同時に、さらに明るみが、というよりも赤みが増していっている。そのうえ、なにかが
はじける音と、くすぶるにおい。
――火事だ。そう覚った彼は、火がついたように、景色を眺めていた二階の窓から跳び
出し、どうにか着地した後、光のような速さで現場へと駆けていった。
「あっ、待ってよレキセイ」
リーナも、その窓から跳び出して着地すると、彼、レキセイの後を追っていった。
出火の元の建物は、少し前にいざこざが起こっていた酒場だ。そのときに流れ出た酒の
片づけをしなかったため、火気にふれたときに燃えだしたのだろう。
その場にいる人々は、おけに水を汲んではやってきて消火にいそしんでいるが、水をか
ける場所がちぐはぐであったり、それぞれが思いのままの方向に行き交ったりしている。
彼らは真剣そのもので、目的以外の箇所に目をやる余裕はないようだ。
その合間にも、火はとどろく音をたて、建物から建物へと燃え移っていく。空は、きら
めく幾多の星を従え、相変わらずの威厳をはなっている。
そのとき、こちらへ素早くやってくる足音。そのぬし、レキセイは、この場に立ち止ま
るやいなや、顔立ちに似合わず激しい表情で、辺りを見まわすと、
「あの、建物のなかに残ってる人はいませんよね」
その酒場の主人と思しき中年の男性に問いかける。
「あ、ああ。店にいた者の避難は全員確認したが」
酒場の主人は、レキセイの気迫におされながら受け答えた
懸念していたことがひとつ消え、ひと安心したところで、もうひとつの足音がやってく
る。レキセイの後に続いていたリーナが追いついてきたようだ。
そして、ふたりが、反射的に顔を見合わせたとき、
「いやああああ――――!」
突如として響いてきた、火の轟音をもかき消す、女性の悲痛な叫び声。レキセイとリー
ナも、声のしたほうへ目をやる。そこには、火の燃え移った民家へ飛び込もうとしている
女性を、数人が取り押さえている姿。
「離して! ケイトが……ケイトがまだこのなかに……!」
彼女の子どもが、この燃えている建物のなかに取り残されているようだ。
レキセイは、青ざめた様子で、目を見ひらく。
母から子への、届かぬ呼びかけは、なおも途切れることはない。
それは、種を危険にさらされた遺伝子からの警鐘のようでもあり、母自身の心の底から
湧きあがる心痛でもあるような。
その合間にも、レキセイは、おけに水を汲んでは、頭からそれをかぶっていた。
「おい、あんた、なにやって……」
酒場の主人が、レキセイに問いかけようとして彼の顔をうかがったとき。そこには、燃
えさかる炎までも気おされそうなほどの、なにかを決意した彼のまなざし。周囲のものた
ちも、次々と、そんなレキセイのほうを見やる。
「俺、行ってくる」
そして、静かに、それでいて強く迫る声で告げるレキセイ。
――助けに行くつもりか!? 無茶だ! そんな周囲のざわめきをよそに、レキセイは、
「リーナ、俺が戻るまで待っててくれ」
彼女のほうへ向きなおり、念を押すようにそう言う。
リーナは、口をつぐんだまま明後日のほうを向いていると、やがて、ため息をつき、
「いいわ。レキセイは、足が速くて、身体の鍛えも並じゃないのは分かってるから、必ず
帰ってこれるもの。リーナはここで待ってるわね」
にこりと、自信満々な様子でそう言った。
レキセイは、力強くうなずいた後、人々を振りきり、まるで魔物が覆いかぶさっている
かのように燃えさかる建物のなかへと、光のような速さで吸いこまれるようにして駆けて
いった。
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