「そうか、ご苦労だった」
ざっと聞いたところでは無粋な印象であるが、心の底からねぎらっている様子の、中年
である男性の声。
ここ、LSSが所有する、やや簡素な造りの建物の内部には、窓口のほうにいるその男
性と向かい合うかたちで、ややくたびれた風体の、成人する手前ほどの年ごろの男女がふ
たり。ほかに目につくものといえば、書類が乱雑に張られた掲示板ぐらいである。
「いえ、依頼は通してないですし、気にしないでください」
そう応じたのは、彼、レキセイ。
「そうそう。いきなり飛び出してってやったことだもの」
と、レキセイのほうを横目で見ながら、彼女、リーナ。
「う、ごめん……」
「ふむ、ほかの団員たちは出払ってたから、助かった」
ふたりのやりとりのかたわら、手堅さはとれていないものの、どことなく緩やかに告げ
る、受付の担当者である男性。
「市長から謝礼金を預かってる。受け取ってくれ」
そして、おもむろに、賃金の入った封筒二通を、側にある引出から取り出し、ふたりに
差し出す。
「へえ、あの市長さん、荒っぽいと思ってたけど殊勝なのね」
リーナは、自然な動作でそれを受け取る。
「根は義理堅い男なんだ」
そんな彼らの会話をよそに、レキセイは、突き立ったまま、
「でも、礼金であるとなると、当事者たちに対する侮辱になりますから……」
と、ためらっている。
「しかし、君らは旅をしてるのだろう。ならば受け取ってくれ」
担当者がそれだけを促すと、レキセイは、なにかに気がついたように、一瞬リーナのほ
うに目を向ける。資金が不足したとき、自身の問題だけでは済まないと認識すると、
「……分かりました。それでは遠慮なくもらいます」
そう述べながら、緩やかな動作でそれを受け取った。
「ねえ、もしかして、あいつらが、通行どめの原因の賊なの?」
場の空気を破るようにして、好奇心の旺盛な子どものようにたずねるリーナ。
「そうは考えにくいな。あのぐらいの惨事は茶飯事だ」
担当者は、こともなげに答える。
「賊といえば賊だけど、よくいる盗賊だと思う。それも、食料に困っているような」
レキセイは、瞑想するかのように静かに述べた。
「そう言われれば、手つきが器用だったわりには、武器の扱いは乱雑だったもんね」
そして、リーナは、すぐさま納得したらしく、しきりに感心していた。
「ところで、彼らを空いている蔵のなかに閉じこめてるとのことですが、殺傷ざたになり
はしないでしょうか?」
犯人を留置するための場所はこのLSSの支部にも存在するのだが、レキセイとリーナ
以外の団員は出払っているため、住民たちが交代で見張りやすい場所にとめておくことに
なったのだ。それも、なにか事が起こったときにはすぐに対処することができるよう構え
ているとのことだ。軍に引き取らせようにも、明日になるまではやって来られないそうだ。
「先ほども言ったが、あのぐらいならよくあることだ。だから、住人たちもいつまでも根
に持つことはないだろう。犯人たちも懲りただろうからな」
「は、はあ……」
レキセイは、話は分かったが納得はしきれていない様子で受け答えた。
「ねえ、もう一泊したら次の場所に行こうよ。もう、ここで得られるものはなさそうだも
ん」
リーナは、この件に関してはなんの感慨もなさそうで、ただレキセイにそう提案する。
「うん……そうだな」
レキセイとリーナが再び歩いているこの町なかでは、先ほどの騒動などなかったかのよ
うに、人々はそれぞれの営みにいそしんでいる。ただ、彼らのグループのほとんどに護衛
の者が付き添っている光景は相変わらずであったが。ともあれ、辺りはおだやかな雰囲気
に包まれているふうである。
そんななか、
「おーい、そこの人ー!」
レキセイとリーナの前方から、子どもの陽気な呼び声がする。ふたりのほうへ勢いで向
かってやってくる者は、ラフな服装の、十歳前後の少年。彼は、石につまずき、均衡を崩
し、
「うわあ!」
叫び声とともに、レキセイのほうへと、反射的に手を伸ばして倒れこんでいく。
「わ、とと……」
予想していなかった展開に不意を突かれてか、レキセイも、つられるようにして後ろへ
と倒れこんでいく。
「あ、ごめんなさい」
少年は、はっとしてそう言うと、勢いで起きあがる。
「いや、謝らなくていいけど……どうかした?」
レキセイは、立ちあがることはせず、体勢を整え直し、目線を少年に合わせる。
「いやあ、別に用があるってわけじゃないんだけどさ。兄ちゃんたち、さっき、悪いやつ
らを追いはらってた人だろ?」
すると、またもや、ぱっとにこやかに話しだす少年。
「そうなんだけど、追いはらったというか、なんというか……」
「成り行きでああなっちゃったんだけどね」
そして、思いめぐらせながら説明するレキセイに、やれやれと言わんばかりの調子で語
るリーナ。
そんな彼らの話をよそに、
「かっこよかったぜ、兄ちゃんたちの戦いぶり。最後には一気に決めてくれてすかっとし
たぜ。俺、すっかりファンになっちまったよ」
少年は、ひたすら、ぱっちりとひらかれた目を輝かせながら感激している。
「ええと、それはありがとう……」
すると、レキセイは、複雑そうな面持ちでありながらも受け答えた。
「ケイトー?」
そのとき、やや遠くから聞こえてきた、女性の間延びした声。
「あ、いけねえ。母さんと一緒に買い物してる途中だったんだ」
ケイトと呼ばれたその少年は、急に思いだしたかのように告げると、レキセイのほうに
向き直り、
「なあ、今度会ったときは、俺と遊んでくれよな」
満面の笑みでそう願い出る。
「え?」
すると、不意を突かれて、首をかしげるような調子で反応するレキセイ。
「俺も兄ちゃんたちみたいに強くなりたいんだ。だから、特訓のついでに、な」
ケイトは、相も変わらず元気な調子で話す。
レキセイは、どことなく恍惚とした表情を浮かべながら、
「うん……次も会えたら、な」
実現できるかどうか定かでない未来に思いをはせるようにそう取りつけた。
「うん、じゃあまたなー!」
そして、ケイトは、さっそうとした様子で母親のもとへ駆けていった。
ケイトの母親は、ブロンドの髪が特徴的な、彼とは対照的におっとりとした雰囲気の女
性であった。
ケイトとその母親は、なにやらたわいない会話を繰りひろげているようだ。
そんな様子を、もの珍しそうな、そして、憧憬のようなものを帯びたまなざしで眺めて
いるリーナ。レキセイは、なにも感慨のなさそうに、いや、もろもろの情感が絡みあった
結果、なにを思うでもなくなったのか、ただただ見つめていた。
夜になると、クロヴィネアの都市部では、酒場などの飲食店が建ち並んでいるため、人
々の営みは昼間よりも活発さを増していく。
特に規模の大きな酒場では、毎晩宴会でもしているかのような雰囲気に包まれる。鼻腔
をくすぐり、舌をとろけさせるような料理や酒の数々。そして、様々に入りまじった熱気
の、むせ返るようなにおい。ひいては、思い思いに談笑する人々の、心地よい具合の不協
和音に彩られている。
時折、言い争いが起こり、暴動にまで発展することもあるが、それらは茶飯事であり、
取りたててあわてふためくほどのことではなかった。店員たちは、その方面に関しては玄
人であり、店をつぶすようなことはせず、そしてさせない。仮に取り返しがつかないとこ
ろまで及んだとしても、近場に常駐しているLSSの団員たちがにらみをきかせる。
今回、事はその取り返しのつかないところにまで及んだ。既に悪酔いしている男が、突
如として、斧を片手にしてやってきて、店内でそれを振りまわした。殺傷ざたの騒ぎにと
どまらず、酒を保管していた樽をそれで破壊してしまったのだ。ちなみに、壊された樽に
入っていた酒は流れ出し、地面はひたひたの状態になった。
そして、この騒動には到底及ばない、後の惨事の発端であった。
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