セイルファーデ――首都カンツァレイアに隣接する地方で、都じゅうに水路が張りめぐ
らされている。首都ほどのはでやかさはないが、水のきらめきが、繊細ではなやかな造り
の建築物を引きたてる。噴水に至っては、首都に置かれているものより豪奢で、水芸さな
がらであった。ここが、水の都と呼ばれるゆえんである。
首都と共通していることといえば、人々の目まぐるしいほどの行き交いである。観光を
目的としている者の比率が高く、首都から流れてくる者も多い。このセイルファーデの住
人と思しき者たちは、互いに顔を合わせると言葉を交わしながら、緩やかな動作で歩みを
進めていく。
その一角、
「うわあ、うわあ……! 見て見てレキセイ。すっごいきれいだよお」
感極まった様子で、なんども飛び跳ねながら言う少女がいた。
「うん、そうだな。カンツァレイアと変わらない気もするけど」
そして、彼女よりやや後ろで、さらりという彼。
「もう、ロマンがないんだから」
「リーナは元気だな。あれだけ歩いたというのに」
「レキセイは疲れちゃったの?」
「うーん、大丈夫だけど、元気ではないな。ひとまず、宿をとって、荷物を置いていこう」
「あっそっか。観光もしたいところだけど、まずはお風呂に入って、洗濯もお願いしない
とね」
一連の会話の後、彼らも、そのなかへと、流れこむようにして入っていく。
観光が盛んな場所では、宿泊施設が必要不可欠である。特に、旅人にとってはオアシス
のようなところであろう。
そこに、とある一組の男女が入ってくる。見たところ、旅人のようだが、まだ成人する
手前ほどの年ごろともいえる。
「いらっしゃいませ」
支配人と思しき女性が、お決まりのあいさつをする。
「チェックインお願いしまーす」
そして、客である彼女が、元気よく言う。
「ご利用ありがとうございます。しかし、空き室はふたり部屋なのですが、ひと部屋しか
なくて……」
と、当のふたりを見つめながら告げる支配人。
「うわあ、危なかった。もうちょっとで部屋が埋まるとこだったんだあ。まあ、観光地だ
から当たり前か」
「それでは、その部屋でお願いします」
ふたりは、どことなくおろおろとしている支配人をよそに、なんでもないといったふう
に話を続ける。
「は、はい。では、こちらにお名前を……」
支配人のほうも、その様子にのっとったのか、おそるおそると、用紙をふたりの前に差
し出す。
成人する手前ほどの年ごろの男女が、宿泊施設にて、ひとつの部屋で一緒に泊まる。こ
れだけ聞くと、世間体はよろしくないだろう。しかし、旅人にとっては、疲れをいやし、
日常でなにげなく行われている衣食住の生活を営むことが先決なのだ。ましてや、普段の
日常でも一緒に暮らしていたふたりであるなら、事情を差し引いても、気にとめることで
もなさそうだ。
ふたりは、要項を書き終え、用紙を支配人のほうへ戻す。そこには、レキセイとリーナ
という名が記されており、姓はふたりともシルヴァレンスであった。それを確認した支配
人は、たちまち胸をなでおろすような面持ちへ変わっていった。
彼らふたりが、次に向かった先はレストランであった。この建物の壁は、ほとんどがガ
ラスで張られたものである。外の景色は、観光地であるだけにはなやかさがうかがえる。
ガラス越しから眺められるそれが、店内の雰囲気を引きたてる。
そして、ふたりは席に着き、品書きを手に取ると、
「えっと、メニューは……あれ? 数品売り切れかあ。観光地だからしょうがないね」
「観光客の来店に慣れてる従業員たちが、そんな失敗するかな。たまたま品切れだったと
いうことは、もちろんあるかもしれないけど」
なにやら煮え切らないようであるが、ひとまず、それぞれメニューを注文するふたり。
やがて、注文したものが運ばれてくる。二品ともパスタだった。違いは、ミートソース
かカルボナーラかということでしかない。
「うわあ……! ねえレキセイ、これすっごくおいしいよ。見た目は普通のスパゲティミ
ートソースなのに」
「うん。言われてみればおいしいけど、いつもと変わらない気はする。俺は、空腹さえ満
たせればなんでもいいから」
「もう、朴念仁なんだから」
ふたりは、いつかどこかで繰り広げたような調子で会話をしながら食事をとる。
そして、それを終えると、本題へと入る。
「さてと。これからどうしよっかな」
「とりあえず、都のなかをまわりながら、クロヴィネア方面の関所のことを聞きにいこう
と思う。あと、両親のことも」
「もう、そんな見境なしに聞きにいったって仕方ないでしょ」
「えっと、ここって、観光で来る人も多いから、もしかしたら、なにか知ってる人もいる
んじゃないかと思って」
「はあ、レキセイって……。ときどき、頭良いのか悪いのか分からないこと言うよね」
「そ、そうか?」
「とりあえずは、リベラルの支部のほうへ行って、情報提供を呼びかけてもらったほうが
いいと思うわ」
やがて、ふたりは話をまとめると、勘定を済ませ、この場を後にした。
観光の名所であるセイルファーデは、いつも人であふれている。
そんななかにいる、かのふたりが向かっている先には、LSSと刻まれた看板を掲げて
いる建物がある。
LSSの内部、窓口のほうには、中年の男性の姿があった。かっぷくのよさに加えてご
つさの目だつ印象だが、どことなく穏やかさがうかがえる。
そして、出入口のほうで、
「こーんにちわあ」
「えっと、失礼します」
入ってきたのは、先ほどこちらに向かってきていたふたり。彼女のほうは、内部に響き
わたるほどの声をあげ、身ぶり手ぶりの動作をとっている。
「ん? おお、いらっしゃい。なにか依頼かね?」
窓口のほうにいる男性は、目を丸くしたが、すぐさま、客に応対する姿勢をとる。
「ううん、リーナたちもリベラルの団員なの」
と言いながら、彼女、リーナは、Liberal Support Section という文字が記された身分
証明書を提示する。
同伴の彼も、彼女に続いてそれを見せた。そこにはレキセイ・シルヴァレンスという名
が記されている。
「おお、そうだったのかね。君らもずいぶんと若くして資格を取れたものなんだなあ。い
や、むしろ、道理ですきのない足運びだったというべきか。声を掛けられるまで、まった
く気配がしなかったよ」
「え、そうなの? リーナたち、別に気配を消してないわよ?」
「はは、わたしも、ぼうっとしてたわけではないんだがね。この都も、首都と同様、さま
ざまな人が集うとこだ。この建物の近辺での足音くらい読めるつもりさ。こちらに向かっ
てきてる者のであるならなおさらだよ」
受付担当の男性が流ちょうな口調で話しているところ、レキセイが口をひらく。
「ところで、君らもってことは、俺たちと同じ歳くらいのリベラルもなんにんかいるので
すか?」
「いや、わたしが知ってる限り、ここにはひとりしかおらんよ。各主要都市に出向いてる
ことが多いから、あまり見かけないだろうがな。おお、あと、前に一度だけここに来たの
がひとりいたな」
「そうですか。俺たちのほかにも、苦労してる人たちがいるものなんだな」
目を閉じ、静かに言うレキセイ。
「そういえば、君らはなにか聞きたそうな顔をしているが、どうかしたかね?」
「え……、あ、はい。クロヴィネア方面の関所が通行どめになってる件で。あと、俺たち
の両親のことも」
当のふたりは、自分たちの生き別れた両親をさがすため、旅をしている。その際、この
セイルファーデとクロヴィネアの地方間の関所が、軍隊によって通行を停止されているこ
とを話した。さらに、横暴なまでの頑なさで、通行を拒否されたことも。
「ふむ、通行どめか。わたしは、市長や教会とは懇意にしておるが、そのような話は聞い
たことがないな。もしかすると、彼らも知らされてすらないのかもしれないが」
「門番の隊士たちのほうも、通行どめの理由はなにも知らされてないのかもしれないです
ね。横暴というより、気が立ってたみたいでしたから」
と、返答するレキセイ。
「ふむ、なるほど。ああ、それから……」
そして、このように前置きした後、さらにに話を続ける受付担当者。
「残念ながらわたしにも、君たちの両親らしき者たちに心あたりはないんだ。ただなあ」
ここでいったん区切り、意を決したように、
「シルヴァレンスというのは、北方の人々にありそうな苗字だ」
「ほえ、そうなの?」
「……はい。多分そうです。俺が昔いたところは、雪が降ってましたから」
と、レキセイは、しんしんと言葉を落とすように告げる。
「ただ、両親はそのときから……物心がついたころからいなかったので、北方にいるとは
限らないです」
「そうか……。ご両親のことは、わたしのほうからも、団員たちを通じて情報収集してお
こう。それと、通行どめの件は、市長や教会に話を通したうえで、こちらからも探りを入
れておくよ」
「はい。ありがとうございます」
ひとしきり話を終えると、ふたりは、未解決であったり請負人のいない依頼を確認しは
じめる。
「よお、しばらくここの支部に就いてくれるのって、お前たちなんだって?」
そのとき、不意に声をかけられた。その先には、身体を動かすに困らない程度の武装を
している、多かれ少なかれ鍛えられた体つきの男たちが数人。LSSの団員であるようだ。
「はい、生き別れた両親を探してて、その流れで」
「ほお、若いのに大したものだな」
「ま、なにか仕事を一緒に請け負うことがあったらよろしくな」
団員たちは、ひとしきり話し終えると、きびきびとした足どりで、出入口のほうへと向
かっていった。
「ふう、団員さんたち、友好的で助かったわ」
こうして、レキセイとリーナも、仕事の内容の控を終えると、緩やかな足取りで、出入
口のほうへと向かっていった。
再び外に出ると、
「うふふ、とりあえずはなんとかなりそうね」
弾むような口調で言うリーナ。そんな彼女を見ているレキセイは、どことなくさえない
面持ちであった。
やがて、重い口をひらき、
「あ、あのさ……、リーナ」
「ほえ?」
「リーナは、その……、両親のことはなにも分からないにしても、ほかのこととかは聞か
なくてよかったのか?」
リーナは、表情をどこかに落としたふうな面持ちで、ぴたりと足をとめる。しかし、そ
れも一瞬のことで、
「前にも言ったけど、なにも覚えてないんじゃさがしようがないわ。ましてや、ほかの人
が知ってるはずないもの」
ぱっと明るい表情で答えた。
「るんるんるーん、らんらんららーん」
そして、いっそう楽しげに歌いながら歩いていくリーナ。レキセイは、その場に立ちつ
くし、自身との距離をあけていく彼女を、ただ見つめていた。
彼らを取りまく都の景色は、相変わらずのはなやかさをまとっていた。
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